第32話 赤銅盾勲章
ある日のこと――
「ヘルマー伯爵から月六回の偵察任務を八回に増やしてくれと言われたが、どう思う?」
ホークとヨーダがヘルマー伯爵のもとから戻るなり、用件を切り出した。
「八回に? つい最近六回に増えたばかりよね……今の感じであれば十分対応できるとは思うけれども、他の依頼に手が回らなくなるわよ?」
「それもあるが、問題は最近、帝国の斥候の規模が大きくなっていることだ。力のない傭兵団では対応しきれなくなりつつある。アイシャの言う通り、八回ならまだなんとかなると思うが、これ以上負担が増えるのは避けたい。いくら報酬が増えるとしてもだ……そこで、伯爵への返答と一緒にエーテルポーションのことを報告しようと思うんだが、どう思う?」
当初は月四回、戦闘義務なしで報酬は金貨五枚。
今は月六回、可能な限り帝国兵を討伐し金貨十枚。
そして今回は月八回、帝国兵の討伐を前提に金貨十五枚にしてほしいという要望だった。
「そうね……メナトの安全が確保されるのであれば、今すぐにでも報告したいというのが正直な気持ちね」
アイシャはそう言いながら、俺の頭をそっと抱き寄せる。
「そうだな。では待たせるのも悪いし、今からヘルマー伯爵の屋敷へ行ってくる。メナト、悪いが一緒に来てくれ」
「えっ――!? 僕も!?」
突然の指名に思わず声が裏返る。ホークは苦笑しつつうなずいた。
「ああ。悪いようにはしない。最悪、ラージャンから出ることになるかもしれないが、ヘルマー伯爵に報告する程度では、そこまでの事態にはまずならないだろう」
ってことは、その上に報告するときが危ないということか?
「うん、分かったよ」
不安げな表情のアイシャとステラの視線を背中に受けながら、俺たちは家を出た。
ホークに案内され、騎士団員が厳重な警備を敷くラージャンの頂に鎮座する伯爵邸へと足を踏み入れた。
執事が通してくれたのは、重厚な扉の奥にある執務室だった。
贅を凝らした装飾品が並ぶ棚。その中央で、初老の男が一脚の椅子に腰掛け、静かに書類へ目を落としている。
深く刻まれた皴。白く染まった頭髪。
それらは歳月を物語りながらも、男の纏う威厳をかえって際立たせていた。
「よく来たな、ホーク……して、その子は誰だ?」
「はい、我が息子のメナトです。メナト、挨拶をしなさい」
急に指名され、慌てて自己紹介する。
「は、初めまして! メナトと申します!」
深く頭を下げると、伯爵はふっと目を細めた。
「そうか、君がホークの……この場ではそんなにかしこまらなくていい。儂とトニトルス家の仲だ」
トニトルス家?
聞いたことのない名だが、恐らくオーロラ王国時代のホークの家名なのだろう。
ということは、ホークとヘルマー伯爵は昔からの知り合いということか。
ビサンド村から、どうして帝国と接するラージャンに移ったのか疑問に思っていたが……伯爵を頼って来た、ということなのかもしれない。
「で? 返事はどうだ。八回に増やしてくれるか?」
「はい、仰せのままに。ただ、一つお願いがございまして……」
ホークはそう言うと、コルク栓で封をした試験管型の陶器を二つ、ヘルマー伯爵の前のテーブルへそっと置いた。
「魔力を使ったあとで、どちらかを飲んでいただければと。選ばれなかった方を、私が飲みますので……」
要するに毒など入れていないことを証明したいのだろう。だが、伯爵は腹の底から豪快に笑った。
「ホークがその気であれば、とっくに儂はこの世におらんわ!」
そう言い放つと、部屋の外で警護している騎士たちへ向け、大声で命じる。
「これより魔法を使う! 騒ぎ立てるでないぞ!」
伯爵は右手の手袋を外し、ゆっくりと立ち上がった。
現れたのは、盾を模した紋章。
それを前に掲げ、低い声で詠唱を始める。
『集え、守りの光。我が背に立つ者を抱き護れ。万物も通さぬ壁となれ――
【護界ノ盾】!!』
白い魔法文字が宙に浮かび上がり、伯爵の前で一点に集まる。
そして、淡く白く輝く半透明の盾が、半球状に展開した。
「うわぁ……」
思わず声が漏れる。するとホークが、展開された魔法について説明してくれた。
「ヘルマー伯爵は【盾の紋章】を宿しておられる。伯爵以外にも同じ紋章を宿す者はいるが、魔力を持つのは伯爵だけだ。見てのとおり、この魔法は防御魔法。父さんや母さんの【風迅槍】や【氷迅槍】でも、数発は防がれてしまう」
マジか――!?
それだけの防御力を誇るのであれば、ちょっとやそっとの攻撃では破れないじゃないか!?
「そう持ち上げるな。もう年を取ってな、魔力も大分落ちてしまった。昔のように何度も展開することはできん」
歳を取ると魔力が減る……のか。
でも、もし伯爵の言葉が本当だとすれば――
そう考えているうちに、伯爵は陶器の蓋を開けると、ぐいっと一気に飲み干した。
「な、なんだこれは――ッ!?」
やっぱり気づいたか!
そう思ったのも束の間、伯爵はもう一本の陶器も開け、そのまま飲み干してしまう。
「美味い! これほど旨い酒は初めてだ! ホーク、こんなものを今まで独り占めにしておったとは……!」
……完全に予想外の反応。
ホークも困ったように苦笑する。
「は、伯爵……味の感想ではなく、体に何か変化はございませんか?」
「うむ……できればもっと酒精が強い方がいいな。体がもっと欲しておるわ」
大丈夫なのか? 本当にこの人、大丈夫なのか……いや、マジで。
と、思ったときだった。
「メナトよ。分かっておるぞ。魔力が回復していることもな」
どうやら、不安がそのまま表情に出てしまっていたらしい。
「す、すみません!」
反射的に肯定してしまった。
伯爵に対して失礼なことを考え、それを認めるなど、本来なら首が飛んでもおかしくない。
しかしヘルマー伯爵は、豪快に笑ってそれを受け流した。
「にしても……なんだこの酒は? 魔力が回復する酒など、生まれてこの方聞いたことがないぞ?」
あくまでも酒と言い張る伯爵。
「はい。これはメナトが作ったエーテルポーションという魔力回復薬でございます。酒精を加えているのは、保存性を高めるためでして」
「メナトがだと――ッ!? まだ十にも満たぬ子供が、どうやってこんなものを作ったというのだ!?」
伯爵の驚愕の声が室内に響く。
するとホークが俺へ視線を向けた。
説明しろ、という合図だ。
「はい。実はこの原料には、ヴェノムモリスの毒を抜いた種を使っています」
俺の言葉を受け、伯爵の顔色がみるみる青ざめた。
「あ、いえ! 毒は完全に抜いてありますので、ご安心ください!」
「毒を……抜く? どうやってそんなことを?」
論より証拠だ。説明するより見せたほうが早い。
俺が右手の手袋を外した瞬間、伯爵の目が細まり、驚愕に満ちる。
「こ、子供が紋章を――!?」
「はい。僕は六歳のときにこの紋章を授かりました。では、魔法を唱えます」
【無毒ノ魔種】を詠唱したその刹那――
伯爵はさらに大きく息を呑んだ。
「魔法文字の色が変わるだと……!? それに合わせて紋章の輝きの色まで変化するとは……聞いたことがない!」
【追憶の紋章】に【草の紋章】と【毒の紋章】が内包されていること、この種が俺にしか創れないことを説明し、さらに付け加える。
「この種子が、ヴェノムモリスの毒を抜いたエーテルの種です。これを蒔けば稲が実り、さらに多くの種子を収穫できます。ただし、四世代目になると再びヴェノムモリスが咲きます。ですので、仮に他国に奪われても、大量生産はされないはずです」
「な、なんと……して、これをどのくらい作れる?」
今度は俺ではなくホークが答える番だ。
「土地と信用できる人員が見つからないのでそこまで大量には……ただ、現在屋敷には三十壺以上がございます。これを売り、利益を得て、事業の拡大などを考えてはいるのですが……」
「この酒のことを、儂以外の誰かに話したか?」
「【曙光の鷹】を除けば、誰にも話しておりません」
実際にはセラフィたちにも共有しているが、彼らが情報を漏らすとはまず考えられない。
「ならば……この酒、儂が買い取っても構わんのだな?」
「はい。ぜひお買い上げいただき、騎士団や傭兵団に卸していただければと思い、お持ちした次第でございます」
「……よし、分かった! 三十壺を金貨三百枚で買い取ろう。ただし、当分は儂以外への販売は控えてほしい。特に帝国には絶対に売るな」
「もちろんでございます。オーロラ王国の出である私が、帝国の利となるような真似は決して致しません」
「うむ、だからこそホークは信用できる――メナト、こんな美味い酒を開発したお前にはこれを授けよう」
そう言って伯爵は机の引き出しを開け、赤銅色に輝く盾を模した徽章を取り出し、机の上へ置いた。
「これは……?」
「我がヘルマー伯爵家が授与できる最高位の勲章だ。本来、この酒の価値を考えれば黄金大十字勲章いや、それより上の勲章を授けたいところだが、白銀十字勲章以上は王家でなければ与えられん。赤銅盾勲章を常に胸に着けておけ。それだけで、お前の身分と信用を証明するものとなる」
めっちゃすごい勲章じゃないか。
ずっと酒と言い張るのが少し怪しいが……。
「ありがとうございます!」
「うむ、では早く酒を持ってくるように……この酒にはナッツ、いやチーズも合うだろうな……意外にハーブも……」
……もしかして、酒として全部飲むつもりではないよな。
と、不安に思いつつ、屋敷を後にするのであった。
皆様、お酒は控えめに。
私はドクターストップがかかってしまいました(´;ω;`)




