第27話 雪解け
「ようやく雪解けだね」
三月。白く覆われていた山肌が、ようやく冬の化粧を落とし始める。
一月生まれのメナト――つまり俺は、もう七歳になった。そして今日こそ、長く待ち望んだその時だ。
「じゃあ、偵察に行ってくる」
ホークがアイシャとステラにそう告げ、俺とホーク、そしてヨーダのいつもの三人で家を出た。
ただし今日は、いつもの偵察だけが目的ではない。
黒涙草の採取。
遠出になるのは確実で、夜明け前からの出発となった。
「気を付けてね……ほんと、無理はしないで?」
アイシャは事情を知っているため不安そうな顔をのぞかせる。
ステラも雰囲気の違いには気づいているはずだが、表には出さず、いつも通りの明るさで背中を押してくれた。
「お父さん! お兄ちゃん! ヨーダ! とびっきり美味しい料理を作って待ってるからね!」
その声に励まされ、俺たちは山へと向かう。
普段は密入国者を取り締まる俺たちが、今日は逆にマルム帝国側へ侵入する番だ。
多少、緊張はしているが実のところ、難しいことはほとんどない。
なぜなら、一週間に一度の偵察で必ずウィンを国境越しに飛ばし、ホークがその視界を借りて周囲の状況を常に確認しているからだ。
攻撃こそ最大の防御だと言わんばかりに隙あれば攻め続ける帝国は、逆に自国の警戒が甘い。帝国側には俺たちのような偵察専門の要員もいないのだ。
まぁいたところでウィンの侵入を防ぐのは不可能なのだが。
そのおかげで黒涙草の群生地にも既に目星がついている。
幸いにもかなり近いところにあったというのもある。
何度かウィンに採ってきてもらうという案もあったのだが、黒涙草は下手すれば死に至る毒草。当然、ウィンも例外ではないはず。悩んだ挙句、自分たちで行くしかないという結論に至った。
「メナト、【魔纏】はどうだ? 上手くなったか?」
山道を進む途中、ホークがふとそんな問いを投げてきた。
「うーん……正直あまり進歩してないかな。体内の魔力を速く巡らせようとすると、止めるのが難しくてさ。できるイメージがどうしても掴めないんだ」
「魔力が多い者ほど、その問題にぶつかる。お父さんだって、魔力が漏れるなんて日常茶飯事だぞ。結局は訓練し続けるしかないんだ」
俺の悩みはとうに見抜かれていたらしい。
焦りすぎないよう、わざわざ軽い口調で言ってくれたのだと分かり、胸が少し軽くなる。
ついでに、もうひとつ抱えていた疑問も切り出した。
「ついにで……毎晩寝る前に【無毒ノ魔種】でエーテルの種子を創ってるんだけど、あれってどこかに植えたりできないのかな? たぶん、もう一万粒くらいはあると思うんだけど」
詠唱に『魔力が尽きる寸前まで』というニュアンスを加えてから、魔力を余らせず創れるようになり、一度に三十粒は安定して作成できるようになった。
第一世代だけで一万粒近く。
一粒につき百粒以上の第二世代ができる。
つまり上手く回れば、今の所有量だけでも第三世代は億単位になる計算だ。
「一万粒!? そりゃすごい量だな……エーテルポーションを精製するには多いほどいいが、問題は場所だ。植え付け、収穫、耕作……【曙光の鷹】の人数だけじゃ到底回しきれん。土地を借りるにしても、世話する人手が必要になる。その件は……そうだな、少し考えておく」
たしかに、言われてみればその通りだ。
種を埋めるだけで終わりではない。
収穫のたびに根を掘り返し、土をほぐし、肥料を撒き、時には石灰で酸度を調整する必要もある。
耕すだけなら魔法でどうにかなるかもしれないが、土そのものに栄養を与える工程は魔法だけでは代替できない。
結局、どれほど魔法が発達していようとも、畑を育てるのは人の手なのだ。
土地と人員が一気に手に入れば……などと考えてみたが、雇えば給金も必要になる。いや、そこまで考えるのは子どもの俺の役目じゃない。
ホークが「考えておく」と言ってくれたのだから、俺は信じて任せればいい。
そう思うと、少し肩の力が抜けた。
山に入ると、改めて過酷さが身に染みる。
冬の間、雪原を駆け回って体力をつけたつもりだったが、現実は甘くない。
雪解けで抜かるんだ土に足を取られ、何度も転びそうになったり、ホークやヨーダであれば、ひょいと登れるところも背の小さい俺では迂回しなければならなかったり……多分、俺がいない方が早いだろうが、どうしても自分の手で摘みたかった。
それでも、目指す場所は分かっている。
俺たちの頭上、遥か高くを旋回しているウィン。
あの黒い影の真下あたりが目的地だ。
けれど、近くに見えても山は真っすぐ歩かせてくれない。
回り込み、登り、また回り……そのたびに息が荒くなる。
もうすぐが何度も裏切られて、余計に疲労が溜まっていく。
そして、家を出てから十時間。
「……あった」
最初に気づいたのはヨーダだった。
視線の先にあったのは、背丈が一メートルほどの群生地。
黒い涙のような形をした葉が幾層にも重なり、まるで地面そのものが黒く泣いているように見える。
茎には鋭い棘が並び、刺さると軽い麻痺を起こす……薬師ギルドの者がそう語っていた危険な植物、黒涙草。
手袋を脱ぎ、触れると……【追憶の紋章】は新緑に輝くだけ。
ちなみにヴェノムモリスに触れると、禍々しい紫黒に発光する。
やはり、俺の【毒の紋章】は体内に取り入れたものにしか反応しないようだ。
自分の背負い籠に黒涙草を詰め込み、さっさと帰る。
それでも、家に帰ったのは深夜だった。
「お帰り! みんな!」
ステラが飛び出すように迎えに来てくれる。
その後ろには心配そうにアイシャの姿もあった。
ウィンに便箋を運ばせて遅くなるとは伝えてあったけど、不安だったのだろう。
「ただいま、ステラ。お母さん」
「お帰り、目的の物は採って来れた?」
「うん、バッチリだよ」
そう言って背負い籠の中身を見せると、アイシャは険しい表情になる。
自分の子が毒を飲む。
それが現実になることに恐怖を抱いているのだろう。
反応を見せたのはアイシャだけではなかった。
「……お兄ちゃん、なんか嫌な匂いがする……スカージャーが持ってきてくれた料理と同じ匂い……」
やっぱり、ステラは黒涙草を食べさせられていたのか。
「ごめん。ちょっとした実験に必要になって。これは外に置いておくから早く家の中に入ろう」
背負い籠を外に置き、家の中に入る。
その日を明日に控え、俺たちは団欒の時間を過ごしたのであった。




