第5話:それでも、私は行く
翌朝。学院の中庭に、昨日より張り詰めた空気が漂っていた。
「——反対だ」
アルベールの声は、いつになく真剣だった。
「エリザベス。よく聞いてくれ。今回の演目審査は欠席して、次回までしっかり準備する。それが一番合理的な判断だ」
マリアンヌが続いた。「私もそう思います……。三日間でどうにかなるレベルじゃないんです。宮廷の方々の前で、もし大失敗したら……エリザベス様のお立場が」
「立場なんて、どうでもいいわ」
エリザベスは静かに言った。
「……どうでもいい、って」アルベールが眉を寄せた。「君はヴァンデルビルト公爵家の令嬢だ。宮廷での評判は——」
「アルベール」
エリザベスの声のトーンが、わずかに変わった。
「私はね、自分のことが何も分からないの」
誰も口を挟まなかった。
「記憶がない。以前の私がどんな人間だったか、何を考えていたか、なぜ演目審査を欠席し続けたのか——全部、分からない」
サンドラ『……エリザベス様』
「でも——宮廷の舞台に立てば、何か分かる気がするの。以前の私が避け続けたその場所に、自分の足で立てば」
シャーロット『……』
「大失敗してもいい。笑われてもいい。それでも——私自身のこれまでを、私自身の目で確かめたいの」
沈黙が落ちた。
アルベールはしばらく目を閉じていた。それから、静かに口を開いた。
「……理解できない」
「ええ」
「合理的じゃない」
「ええ」
「君が傷つくかもしれない」
「……ええ」
「——それでも、行くのか」
エリザベスは真っ直ぐに、アルベールを見つめた。
「行くわ」
アルベールは静かに踵を返した。
「……勝手にしろ」
その背中が、中庭の向こうに消えていく。
マリアンヌが困り果てた顔でエリザベスとアルベールを交互に見た。それから小走りでアルベールの後を追いかけていった。
中庭に、エリザベスとヴァイオレットだけが残された。
サンドラ『……アルベール様、怒っちゃいましたわ』
ジャスティス『エリザベス、大丈夫?』
シンデレラ『……仲直り、できるかな』
レギーナ『……』
エリザベスは静かに息を吐いた。胸の奥が、じくりと痛む。
(分かってる。アルベールの言う通りなのよ)
合理的に考えれば、欠席が正解だ。次回まで練習する時間を作れば、少しはマシな演目ができるかもしれない。
それでも——どうしても、曲げられなかった。
「……行くのね」
ヴァイオレットが静かに言った。
「ええ」
「大失敗するかもしれないのに」
「ええ」
ヴァイオレットは少し間を置いた。それから——小さく、ため息をついた。
「……付き合うわよ。三日間」
エリザベスは目を丸くした。
「……いいの?」
「よくないわよ」
ヴァイオレットはそっぽを向いた。
「でも——あなたが戦う時の目を、私は知っているから」
あの廊下での戦闘。暗闇の中で六色の光を宿して立っていたエリザベスの瞳。
「あの目をした人間が、舞台で何もできないとは——私には思えないの」
エリザベスはしばらく、ヴァイオレットの横顔を見つめた。
それから、静かに微笑んだ。
「……ありがとう、ヴァイオレット」
「感謝は演目が終わってから聞くわ」
シャーロット『——では三日間のスケジュールを組む。まず現状把握から始めましょう』
サンドラ『やりますわ〜!!お~ほっほっほ!』
シンデレラ『……こわいけど、やるよ』
ジャスティス『絶対に諦めない!!』
レギーナ『フン。覚悟を決めなさい』
青い空の下、二人は並んで歩き出した。
——三日後。ヴェルクハルト宮廷の舞台が待っている。
その客席の片隅に、誰かがこっそり座っていることを、エリザベスはまだ知らない。




