竜を狩りて、君のもとへ 【世界の地図編】
『外の世界にまで厄災をもたらす危険性』と言う言葉に、冷たい汗が一雫頬を伝う。
俺は、それはあくまでも可能性の話だと自分に言い聞かせ、意識的に息を吐き出して話を戻した。
「……ここに住んでいた外護が死んだってことは、今集落に外護はいないのか?」
俺の問いに、ヨークは空いた平皿の周りにぶどうの実を上下左右の位置に一つずつ置いた。
「本来、外護は集落の東西南北の位置にそれぞれ一人ずつ配置されている。けど、ここに住んでいたおじいさんが亡くなって、西の外護がいなくなったんだ」
そう言ってヨークはぶどうの実を一つ取り除いた。
そして頷く俺を確認してそのまま話を続ける。
「西の外護をしていたおじいさんは長老の次に力が強かった」
俺は大剣を携えた屈強な老戦士を思い浮かべた。
ヨークは俺の顔を見て何を想像しているのか察したのだろう。
少し考え込んだ後に虚空を見つめた。
一瞬、ヨークが口の中で何かを呟いたように見えた。
俺がその様子に何をしているのかと疑問に思っていると、彼は左手の掌を上にした状態で俺の前に差し出した。
そして口の前に人差し指を添えて沈黙を求める。
白く傷一つないその掌は、まるで磨き抜かれた磁器のように滑らかだった。
その掌の上に、レモン色の光が宿る。
次第にそれは人の形を形成し、やがて透明な羽を持った、絵本でしか見たことのない妖精の姿になった。
俺は思わず声を上げそうになって、慌てて口に手を当てぐっと堪えた。
驚いて目を見開く俺の前で、そいつが羽を広げて天井近くへ飛んでいく。
すると、天井がぼんやりと光り始め、瞬く間に部屋全体が昼のように明るくなった。
ヨークは口の中で、聞こえないほどの小さな声で何かを唱えると、その生き物は一回りして姿を消した。
とんでもない現象を引き起こした張本人である少年は、何事もなかったかのように微笑んで俺を見つめる。
「僕たちは精霊と共に暮らしているんだ。彼らに気に入ってもらえば、それだけ多くの力を貸してもらえる」
あまりの驚きに、俺は息を詰まらせたまま金縛りにでも遭ったかのように固まっていた。
しばらくして、ようやく乾いた喉を潤すようにつばを飲み込んだ俺は、その奥から絞り出すようにして言葉を漏らした。
「女神の次は妖精か。おまえたちは本当に人間なのか?」
ヨークは悲しげに視線を落とした。
「きっと、外の人たちも、昔は精霊と暮らしていたんだ。今は、僕たちだけになってしまったけれど……」
俺は自分の言葉が失言だったことに気付いて奥歯を噛み締めた。
彼らは時に人間として扱われないことがある。
先の希少種狩りや密猟者による誘拐は『女神の寵愛を受けし民』を人として扱わないものだった。
「……今の言葉は撤回させてくれ。あまりにも現実離れしていたもんだから、驚いて思ってもいないことが口から出ちまったんだ」
言い繕う俺に、ヨークは「分かってる」と言って寂しげに微笑んだ。
それから静かに立ち上がると、木製のコップに水を注ぎ、それぞれの前に置いた。
自分も席に座り直したヨークは、コップを両手で包み込むようにしながら視線を落とす。
「半月前におじいさんが亡くなった後、すぐに僕は外護になることを願い出た。でも家族はみんな反対して、集落全体で話し合うことになったんだ。……結果、意見が二つに割れて、僕はこうして時折この小屋に来て、外護の真似事をしている」
それを聞いて、俺はなぜ集落から離れた場所に倒れていた自分が、こんな年若い少年に助けられたのか、ようやく合点がいった。
「おかげで俺は命拾いできたんだ。真似事なんかじゃないさ。魔物……いや、ヴォルフか。ヤツも追い払ったことだし、もうすでに外護の役割は果たしているんじゃないか?」
俺の言葉に、ヨークは顔を上げて嬉しそうにはにかんだ。
「そうだといいな。集落のみんなを守れるのは嬉しいし誇らしいよ。……でも、本当は外の世界を知りたかったんだ」
ヨークは壁に貼ってある地図をどこか遠くを見るような目で見つめた。
きっと、彼もそれが真実の地図ではないことに薄々気付いてはいたのだろう。
けれど、父親が渡してくれたものを嘘だと突っぱねることもできず、ただ静かに胸の内にしまい込むしかなかったのだ。
目の前の健気な少年を、このまま外に連れ出してやりたい衝動に駆られながら、俺はぐっと拳を握りしめた。
「俺は、まだおまえを守れるほど強くない。けど、もしそれだけの強さを身につけたら……必ず、おまえを迎えに来る」
その言葉に、ヨークは驚いた顔をして振り向いた。
俺は胸の内に固めた覚悟を真剣な眼差しに込めて、真っ直ぐに見つめ返した。




