竜を狩りて、君のもとへ 【無力な覚悟編】
窓から差し込む光がオレンジ色に変わる頃、俺はベッド上でヨークが巻いてくれた包帯を外していた。
「これも、女神の寵愛によるものなのか?」
その奇跡に思わず目を丸くして驚く。
魔物に抉られてぱっくりと開いていたはずの傷が、すっかり綺麗に治っていた。
数日ぶりに包帯を外した右足は、外からの爽やかな風に当たって少しひんやりとする。
「どうりで痛みを感じなかったわけだ」
俺は椅子の上に用意しておいた水桶から、水に浸されていた布をすくい上げて絞った。
その布で先ほどまで包帯が巻かれていた足を拭うと、冷たさと同時にすっきりとした心地よさを感じる。
魔物を手懐けるだけでなく、天候を変え、傷まで癒す。
これらの事象が全て『女神の寵愛を受けし民』が受ける女神からの恩恵によるものなのだとしたら、確かに大規模な狩りに発展してもおかしくない。
もしくはヨークという存在が特殊である可能性も否定できない。
今朝、彼は「僕は一族の中でも特に女神様の寵愛を受けている」と言っていた。
もしそれが本当なら、女神はヨークだけを特別扱いしていることになる。
俺はヨークのアッシュブロンドの長い髪と、エメラルドグリーンの瞳をもつ美しい顔を思い出した。
彼は確かに女神か妖精かと見紛うほどに美しい。
俺でも初めに見たときは我を忘れて見入ってしまったくらいだ。
そこまで考えて、ふと壁に貼ってある古い地図を眺めた。
あの地図はおそらくヨークを守るためのものだ。
外の世界から隔絶されたこの地で、女神からの寵愛を一身に受けて清く美しく生きる。
それが彼に求められた生き方なのだろう。
「……それで、おまえは本当に幸せだと思えるのか?」
俺は誰もいない虚空に向かって尋ねた。
ヨークなら何と答えるだろう。
それが定めだと納得するのか、それとも外に出て未知の世界を見たいと願うのか。
もし後者なのだとしたら——俺は、その手をとってここから連れ出す覚悟があるのだろうか。
昨日、外の話に目を輝かせていたヨークの顔を思い出す。
俺は拳を握り締めて、思わずかみ殺した吐息を漏らした。
あんな顔を見せられたら、引き返せるはずがない。
だが、覚悟というにはあまりにも自分は無力で、背負うものの重さに眉間が自然と寄る。
「……格好がつかないな」
苦い思いを噛み殺すように呟くと、俺はもう一度、固く結んだ拳に力を込めた。
ギィィー。
突然、小屋の扉が開く音がした。
「バルト、起きてるか?」
その声にはっとして辺りを見回すと、すでに明かりがなければ物もよく見えないほどに、すっかり暗くなっていた。
ずいぶんと長い間考え込んでしまっていたらしい。
「起きてる。今包帯を外してたところだ」
俺は返事をすると、手に持っていた布を水桶の中に戻した。
すぐにヨークがカンテラを手に、ゆっくりと部屋の中へ入ってきた。
橙色の小さな光が彼の美しい輪郭を浮かび上がらせ、揺れる影が壁の古い地図をかすかに揺らす。
「よかった、足を拭いていたんだな。……傷は、どうだった?」
そう言って、心配そうに窺ってくるヨークの顔を見て、一人勝手に悶々と悩んでいた自分が恥ずかしくなる。
「……ああ、おかげさまで綺麗さっぱり治ってたよ」
それを聞いて、ヨークはほっとしたように小さく息を吐いて微笑んだ。
「ちゃんと薬が効いたみたいで良かった。……もう二度と、あんな嘘をつくなよ?」
そう言って睨んでくる顔も可愛らしくて、思わず口元が緩む。
俺は軽く両手を挙げて降参してみせた。
「もう二度とあんな嘘は言わない。……女神に約束してもいいぞ?」
そう言ってヨークの顔を窺うと、彼はため息を漏らして「もういいよ」と諦めたように首を振り、小さく笑った。
ヨークはカンテラとベッドの上にあった包帯を持って「食事にしよう」と俺を食堂兼台所へと誘った。
「後は皿に盛り付けるだけなんだ。冷めない内に食べよう」
彼が掲げるカンテラの明かりに導かれるようにして部屋を出ると、廊下の先から香ばしいスープの匂いが漂ってきた。




