竜を狩りて、君のもとへ 【雷雨の朝編】
ヨークは腰袋の中から干し肉とブドウを取り出すと、無言でそれをテーブルの上に置いた。
そして、帰り際に振り返り、どこか寂しそうな顔で俺を見上げた。
「朝になったら森を出ていってくれ。この香を持っていけば、魔物に襲われずに森を出られる」
その声は落ち着いたもので、かえって俺の後悔を深めた。
ヨークが帰った後、彼が外の世界への憧れに瞳を輝かせていた顔を思い出して、俺は深いため息を吐いた。
***
翌朝、俺は雷の音で目を覚ました。
大地が裂けるのではないかと思うほどの雷鳴に、思わず両手で耳を塞ぐ。
昨日の夜は満天の星空だったというのに、今はその空を暗雲が覆い、滝のような雨が降り注いでいる。
これでは外に出ることもできない。
俺は帰るのを諦めて、テーブルの上に置いてあった干し肉を噛み千切った。
噛んでいると、次第に口の中に塩気と肉の旨みが広がる。
ふと、『女神の寵愛を受けし民』でも肉を食べるのかと意外に思う。
彼らは嗜好品をほとんど摂らないらしい。
酒は祭りの時に飲むだけで、煙草は一切吸わないと聞く。
その身は女神に捧げられたものとして、常に清浄でなければいけないそうだ。
俺が肉を咀嚼していると、遠くから微かに笛の音が聞こえてきた。
雲の間から途端に一条の光が差し込み、雷の音がやんだ。
次第に雨も弱まり、青空が広がった。
俺は木窓を上げて棒で支えた。そして音のする方を確認する。
予想通り、そこにはヨークがいた。
遠くから俺の姿を確認すると、手を振って近付いてくる。
小屋に入ったヨークはテーブルの上に笛を置くと、椅子に座り、倒れるように突っ伏した。
「女神様にも困ったものだ。一刻の間ずっと笛を吹き続けて、ようやく願いを聞き届けてくださった」
俺はそんなばかなことがあるかと笑った。
「人間の願いなんて神がいちいち聞くわけがないだろ? ただの偶然さ」
ヨークはその言葉にため息をつく。
「外の人間は本当に信仰心がないんだな。僕は一族の中でも特に女神様の寵愛を受けているんだ。そもそもさっきの雷雨だって……」
途中まで言いかけて、ヨークはそのまま黙りこくった。
「雷雨だって、なんだよ?」
俺の質問に、子供のように拗ねた答えが返ってくる。
「バルトが、嘘なんか吐くからいけないんだ。さっさと森から出て行っていれば、僕だっておまえの話なんか聞かないですんだのに……」
何のことを言っているのだろうかと思案して、俺はようやくそれが昨日話した外の世界のことだと気が付いた。
俺が下手に外の話をしたせいで、未練が生まれて別れが惜しくなってしまったらしい。
意外と可愛いところもあるものだと感心しながら、俺はニヤけそうになる口元を抑えた。
「つまり、おまえは俺と離れたくなかったってことか?」
ヨークは顔を隠したまま「おまえって言うな」と不機嫌そうな声で返した。
おそらく、今の言葉は肯定と取って良いのだろう。
しかし、いくら『女神の寵愛を受けし民』だからといって、天候まで変えられるものだろうか。
けれど、事実昨日は笛の音で凶暴な魔物を手懐けていた。
俺はヨークの頭を撫でて「ごめんな」と謝った。
ヨークは少しの間沈黙して、照れ隠しのように怒りの声をあげる。
「子供扱いするな! 僕はまだ怒ってるんだ!」
そう言いながらも俺の手を振り払わずに受け入れている、意地っ張りな少年が愛おしい。
思わずそのまま髪の流れに沿って背中まで撫でていると、くぐもった声で「僕は犬じゃないぞ」と文句を言ってきた。
「犬じゃないなら、そろそろ顔を見せてくれないか?」
俺の言葉にゆっくりと身体を起こしたヨークの唇は尖っていて、実際の年齢よりもだいぶ幼く見えた。
「悪いと思っているなら、僕のこともちゃんと名前で呼べ」
俺はその可愛らしい要求に、ヨークの隣にしゃがみ込んでその名を呼んだ。
「ヨーク。俺が悪かった」
ヨークは俺の顔を真っ直ぐに見つめて、その美しい声で名乗った。
「僕の名はヨークリアだ。ヨークリア・フィアレール。女神様からいただいた名だ」
俺は聞き慣れないその名前を口の中で小さく繰り返した。
「ヨークリア。美しい名だ」
ヨークは少し照れたように微笑んだ。
それはまるで女神の微笑みのように美しかった。




