竜を狩りて、君のもとへ 【父親の邂逅 後編】
女神の力によって深い霧がかけられた集落の中に、武装した一人の男が現れた。
彼は二十代半ばほどの青年で、精悍で男らしい顔つきをしていた。
年齢の割にどこか兵士の隊長を思わせるような落ち着いた風格を纏っている。
鎧の隙間から覗く身体は無駄な脂肪が一切なく、鍛え抜かれているのが一目で分かった。
青年は、怯えて身を竦ませる複数の女やそれにしがみ付く子供たち、それに、彼らを背中に必死に守ろうとしていた私の姿を眺めて口を開いた。
「おまえたちが『女神の寵愛を受けし民』か」
私は青年を強く睨みつけながら答えた。
「我らはただ静かに暮らしているだけだ。なぜ奪われなければならない」
命を乞うつもりも、屈するつもりもなかった。
自分を含めて数人程度であれば身を隠すことは可能だった。
しかし、私の背後には大勢の女や子供たちがいる。わずかな隙も見せるわけにはいかなかった。
(ここで倒す——絶対に中へ通すわけにはいかない)
私は闇の精霊の力を引き出し、自身の気配、吐息、足音すらも世界の輪郭から完全に消し去った。
闇の精霊を使役できるのは、集落の民の中でも唯一私だけだった。
視界を埋める濃霧に溶け込み、踏み込みの一歩すら無音のまま、青年の死角である背後へと回り込む。首元へ向けて、無慈悲に刃を一閃させた。
勝った。——そう確信した、次の瞬間だった。
カァンッ!
甲高い金属音が静寂の霧を切り裂いた。
青年は振り返りもせず、背中に目でもあるかのような無駄のない動作で、私の放った必殺の刃を己の剣の腹で軽く受け流してみせたのだ。
「なに……!?」
驚愕に目を見張る間もなく、青年は身を翻し旋風のような勢いのまま、恐ろしい速度と打撃力で一撃を打ち返してきた。
「ぐっ……!」
寸前で剣を交叉させ、なんとか直撃を免れたものの、両腕を痺れさせるほどの重い衝撃に私は足裏を擦らせて後退を余儀なくされる。
気配を完全に遮断していたはずだ。姿も音も気配すらない攻撃を、なぜこの青年は防ぎ、的確に反撃まで仕掛けてこられたのか。
「……なぜだ。なぜ私が見える?」
剣を構え直したまま問う私に、青年は視線すら揺らさず平然と言い放った。
「なに、気配で感じるだけさ」
(そんなはずはない……! 魔獣や獣でさえ察知不可能な私の気配を、人間の感覚だけで捉えるなど……!)
青年の計り知れない底力に、私の背筋を冷たい汗が伝う。
直後、私たちは再び交錯した。
鋼と鋼が激しくぶつかり合い、霧の中に火花が散る。
青年の剣筋は鋭く重く、一切の無駄がない。それでいて私の攻防にしなやかに追従し、完璧な間合いを保ち続けていた。
打ち合うたび、互いの力が完全に拮抗していることを悟る。数多の死線をくぐり抜けてきた者にしか持ち得ない、圧倒的な強者としての領域。
しばしの交戦の末、刃を交えたまま互いの息遣いが触れ合う距離で、攻防がピタリと止まった。
「……名を何という」
私が刃越しに尋ねると、青年は息一つ乱さずに答えた。
「ロイスだ。ロイス・ハーデン」
「ロイス……。おまえが隊長か?」
これほどの圧倒的な武と風格を持つ男だ。兵を率いる将に違いないと確信しての問いだった。
だがロイスは、自嘲気味に口端を歪めて吐き捨てた。
「俺が隊長なら、こんな下らない狩りなどさせていない」
その言葉に、胸の奥から湧き上がる怒りを抑えきれず、私は彼を鋭く睨み据えて言い放った。
「ただ静かにひっそりと暮らしている我らを獣のように狩るなど、おまえたちの王に誇りはないのか!」
ロイスは一瞬目を伏せ、予想に反して真面目な顔に戻ると、静かに答えた。
「そうだな。俺もそう思う」
彼はそう言うと交えていた剣を引き、すっと鞘に収めた。
「……今、俺以外の兵は別の方面を探している。できる限り近づけないように気を付けるが、なるべく見つからないよう隠れていてくれ」
私は耳を疑った。兵士である彼が私たちを見逃す理由など皆目見当もつかない。
「なぜ我らを庇う。上に知れれば死罪になるかもしれないのだぞ」
ロイスは口端を上げて目を細める。
「俺の誇りを失わないためさ。命よりも誇りの方が俺にとっては重いんだ」
彼はそう言って集落から離れていった。
私はその後ろ姿を黙って見つめていた。




