第99話縁の会へ、ようこそ
九つの鐘が、歓楽街の屋根の上を渡っていった。
古い芝居小屋は、歓楽街の外れの、提灯の灯りが途切れるあたりにあった。板壁は煤けて、看板の字は半分剥げている。それでも、木戸の前には、若いプレイヤーの方々が、ぽつり、ぽつりと吸い込まれていった。
木戸の脇で、腕に金のサイコロの布を巻いた方が、ひとりずつに頭を下げていた。
「縁の会へ、ようこそ」
【コメント】こんばんは
【コメント】来た、芝居小屋
【コメント】思ってたより人いる
【コメント】ぼろい小屋だな
【コメント】お嬢、ほんとに来た
【コメント】木戸番、お嬢見て固まってる
木戸番の方は、わたくしを見て、下げかけた頭を途中で止めた。
わたくしは、日傘を畳んで、軽く膝を折った。
「いちばん前のお席を、お願いしておりましたの」
「……は、はい。どうぞ。……どうぞ」
*
小屋の中は、思っていたより広かった。
板の床に、座布団が三十ほど。そのほとんどが、もう埋まっていた。泥のはねた長靴の方。弦の緩んだ弓を膝に抱えた方。空の矢筒を背負ったままの方。どなたも、若かった。
舞台の上には、燭台が二本と、小さな卓がひとつ。卓の上には、金色のサイコロの置物が、灯りを跳ね返していた。
舞台の脇の壁際、最前列と同じ並びに、年寄りの小屋番の方が、丸椅子に腰かけていた。膝の上に、燭台の芯を切る鋏。この小屋に、ずっと昔から雇われている方なのだろう。勧誘の会にも、灯りの番は要るらしかった。
最前列の真ん中の座布団だけが、空いていた。
わたくしは、そこに腰を下ろした。膝の上で、両手を重ねる。
後ろで、誰かが息を呑む音がした。
それから、座布団の擦れる音が、最前列の端から端まで、そっと後ろへ下がっていった。
【コメント】最前列のど真ん中
【コメント】後ろの人たち、座布団ごと下がった
【コメント】そりゃ下がる
【コメント】お嬢の両隣、誰もいない
【コメント】スタロは?
【コメント】港の方。ヤスってやつ、まだ探してるってスタロの配信で
【コメント】今夜は来ないのか
【コメント】止める人いないじゃん
腰を下ろす前に見回した客席の中ほどに、見覚えのある方がいた。
擦り切れた外套に、腰に縄の束。日向雑貨店で、毎朝、携帯食と縄をお求めになる方だ。断った、と小夜さんにおっしゃっていた、あの方。膝の上で、指を何度も組み替えていた。
【コメント】あ
【コメント】雑貨屋の常連の冒険者だ
【コメント】断ったって言ってたのに
【コメント】気になって来ちゃったのか
【コメント】来ちゃだめだって
*
燭台の間に、昼間、樽の上に立っていた方が上った。
衣装を、着替えていた。借り物らしい、裾の長い上着。腕のサイコロの布だけが、同じだった。
「ごきげんよう、皆様。縁の会へ、ようこそいらっしゃいましたわ」
声は、昼間より、少しだけ上手になっていた。
「本日は、皆様に、とっておきの教えをお伝えいたしますの。……よろしくて? 欲しいものほど、自ら追いかけてはいけませんわ」
客席の何人かが、頷いた。
「お金を追いかけて、一日じゅう狩り場を駆けずり回る。矢を買い、魔力を買い、また駆けずり回る。……それは、追いかける側の生き方ですわ。お嬢様は、追いかけられる側に、どっしり座っていればよろしいの。お金の方から、こちらへ来ていただくのです」
【コメント】それ追いLINEの話
【コメント】借金の勧誘に使うな
【コメント】お嬢も同じ言葉で悪党追いかけないの正当化してたけどな
【コメント】それはそう
膝の上で重ねた手が、少しだけ、強く重なった。
「では、どうすれば、お金の方から来ていただけるのか。……人を動かしてこそ、お嬢様、ですわ」
壇上の方は、卓の上のサイコロの置物を、指で軽く撫でた。
「お知り合いを、お連れなさいまし。一人お連れくだされば、紹介料。二人なら、二人分。皆様が人を動かせば、お金が動く。……動かす側に、おなりなさいまし」
【コメント】人を動かす(勧誘)
【コメント】お嬢のは人を動かす(物理)
【コメント】どっちもマリカ様の意味と違う
【コメント】マリカ様のは、たしか一人で抱え込むなって話だったぞ
客席の空気が、少しずつ、前のめりになっていった。
後ろの方で、誰かが、おずおずと手を挙げた。
「あの……利子って、本当に、ちょっとだけなんですか」
「ええ。ちょっとだけ、ですわ」
壇上の方は、にっこりと笑った。
「法律の上限より、ずっと下。お調べいただいても、結構ですのよ」
【コメント】それは本当なんだよな
【コメント】本当のことしか言ってないのが、たち悪い
【コメント】じゃあ何が罠なんだよ
【コメント】それが分からないから、みんな借りるんだろ
壇上の方は、最後に、声を落とした。
「それから、ひとつだけ。……贈られたお言葉は、受け取った方のものですわ」
わたくしは、顔を上げた。
「契約のお言葉も、同じこと。お読みになったあなたのもの。……どうぞ、ご自分の目で、お確かめくださいまし」
【コメント】は?
【コメント】それ、元カレの言葉の話だろ
【コメント】お嬢が朝、嬉しそうに話してたやつ
【コメント】最悪の組み合わせ
【コメント】お嬢の顔
【コメント】瞬きしてない
わたくしは、膝の上で、手を重ねたままでいた。
壇上の方が、両手を広げた。
背後で、衣擦れの音がいくつも重なった。めいめいの視界にだけ、契約の画面が開いたらしかった。わたくしの前の空中には、何も浮かんでいなかった。
「さあ、皆様。縁を、おつなぎなさいまし」
【コメント】みんな、何もないとこに指伸ばしてる
【コメント】契約の画面か
【コメント】署名させる気だ
【コメント】雑貨屋の常連の人、指止まってる。震えてる
【コメント】押すな
【コメント】押すなって
わたくしは、膝の上の手を、そっとほどいた。
それから、日傘を手に取って、最前列の座布団から、静かに立ち上がった。




