第98話お席は、ございますの?
日向雑貨店の棚が、半分、空いていた。
糸巻きも、蝋燭も、瓶詰めの飴も、木箱の中へ。小夜さんは、帳場の前にしゃがみ込んで、値札をひとつずつ剥がしては、紐でまとめていた。
天井から吊った籠と鍋だけが、いつもどおりに揺れていた。
「五日だけでしょう? 棚は、そのままでもよろしいのではなくて?」
「五日で済むか、分かんないもん。上の会合って、長いんでしょ」
小夜さんは、剥がした値札の束を、鉢植えの脇の箱に落とした。
「それに、留守のあいだに盗られたら、やだし」
【コメント】こんにちは
【コメント】雑貨屋、店じまいモード
【コメント】棚が空くと寂しいな
【コメント】五日だけ、のはずなんだけどな
【コメント】朝の「お言葉を賜りましたの」の余韻
【コメント】……掲示板の三行まとめ、まだ回ってるよな
【コメント】ここで言うな
小夜さんは、最後の箱に蓋をして、ふと、手を止めた。
「……そういえばさ。朝、いつもの冒険者の人が来たんだよ。携帯食と、縄、毎朝買ってく人」
「まあ。お得意様ですわね」
「その人がね、誘われたんだって。港の荷揚げ場の空き地で。お金、貸してくれるとこ、紹介するって」
小夜さんは、紐の端を、指に巻いた。
「断ったって言ってた。でも、なんか、断りにくい言い方されたって」
【コメント】ダブクロのとこの連中か
【コメント】サイコロの布、最近港でよく見る
【コメント】断りにくい言い方、ってなんだ
*
見回りの道すがら、港の倉庫街の入り口に差しかかった。昼過ぎの日差しで、石畳が白っぽく霞んでいた。
荷揚げ場の脇の空き地に、人の輪ができていた。輪の真ん中に、二人。どちらも、腕に金色のサイコロの布を巻いている。
一人が、空き樽の上に立って、両手を広げていた。
「ごきげんよう、皆様。今日は、とっておきのお話をお持ちいたしましたの」
お嬢様の、口調だった。
「まあ。こちらにも、同志の方が」
同じ方に憧れる方が、こんなところにも。わたくしは、少しだけ足を速めて、輪の方へ寄った。
【コメント】ん?
【コメント】お嬢様口調
【コメント】お嬢の真似?
【コメント】最近、掲示板で流行ってるんだよ
【コメント】下手だな
【コメント】語尾しか寄せてない
「よろしくて? 人との縁こそ、最大の財産でしてよ」
わたくしの足が、止まった。
【コメント】あ
【コメント】それ
【コメント】マリカ様のやつ
【コメント】三つの教えの、三つ目
【コメント】お嬢が小夜ちゃんに唱えてたやつ
「矢も、魔力も、お金がなければ撃てませんわ。MPの買い直し代にお困りの皆様、縁をおつなぎなさいまし」
輪のあちこちで、いくつかの頭が、小さく上下した。
「縁は、つなげばつなぐほど、増えるものですの。お知り合いを一人お連れくだされば、その方の分だけ、紹介料が入りますわ。返済にお回しいただいても、結構」
樽の上の方は、そこで声を落とした。
「……利子は、ちょっとだけ」
輪の中から、小さな笑いが起きた。若いプレイヤーの方々だった。装備の擦り切れた方。弓の弦を張り替えずにいる方。一人が、隣の一人の肘をつついて、何か囁いていた。
【コメント】うわ
【コメント】MP代に困ってる奴、狙い撃ちか
【コメント】頷いてる奴いたぞ今
【コメント】縁をつなげば紹介料
【コメント】最悪の使い方
【コメント】マリカ様の言葉で、借金の勧誘すんな
【コメント】これマリカ様に届いたら炎上するぞ
【コメント】いや、届けるなよ
【コメント】あの人、恋愛相談で言ってたんだぞ、それ
わたくしは、日傘を差したまま、輪のいちばん後ろに立っていた。
樽の上の方は、次の言葉を探すように、宙を見た。
それから、もう一度、両手を広げた。
「欲しいものほど、自ら追いかけてはいけませんの。お金を追いかけるのではなく、お金の方から、来ていただくのですわ。……縁が、運んでまいりますの」
お腹の底の方が、すうっと冷えていった。
その冷たさの真ん中に、今朝、ノートの端に書いた小さな字が、浮かんでいた。
――ここぞという場面で。
【コメント】お嬢?
【コメント】顔
【コメント】顔が静か
【コメント】いつものにこにこが消えた
【コメント】こわいこわいこわい
【コメント】撃つ?
【コメント】撃たないのか
【コメント】なんか、溜めてる顔だ
わたくしは、日傘の柄を、軽く握り直した。
それだけにした。
「まだ、その時ではございませんわ」
誰にともなく、そう口にした。
【コメント】その時
【コメント】何の時だよ
【コメント】いつもなら樽ごと消えてる
【コメント】お嬢が我慢してる……?
【コメント】我慢っていうか、待ってる
*
樽の上の方は、最後に、懐から紙の束を取り出して、輪の中へ配りはじめた。
「今宵、九つの鐘。歓楽街の外れの、古い芝居小屋にて、『縁の会』を開きますの。詳しいお話は、そちらで。お知り合いも、お誘い合わせの上で」
紙が、一枚、また一枚と、若い方々の手に渡っていく。
わたくしは、輪の後ろから、一歩、前へ出た。
樽の上の方が、こちらに気づいた。広げていた両手が、宙で止まった。
「――ひ、日傘の」
輪が、さあっと左右に割れた。
わたくしは、割れた道を、いつもの歩き方で進んで、樽の前に立った。
「ごきげんよう。とても、心に響くお話でしたわ」
「……は、はあ」
「今宵の『縁の会』、わたくしも、伺ってよろしいかしら。お席は、ございますの?」
樽の上の方は、口を開けたまま、隣の、もうひとりの方を見た。
もうひとりの方は、首を、ゆっくりと横に振ろうとして、途中でやめた。
「……ど、どなたでも。どなたでも、お越しいただける会、ですので」
「まあ。でしたら、いちばん前のお席を、お願いいたしますわ」
わたくしは、配られていた紙を、一枚いただいた。
刻限と、場所と、小さな金色のサイコロの絵。
【コメント】予約した
【コメント】いちばん前
【コメント】勧誘役の顔、真っ白
【コメント】どなたでもって言っちゃったから断れない
【コメント】今夜、芝居小屋が消える
【コメント】芝居小屋の持ち主に連絡して
【コメント】笑ってないお嬢、レアすぎる
倉庫街を出てから、わたくしは、いただいた紙をもう一度ひらいた。
今宵、九つの鐘。縁の会。
小さな金色のサイコロの絵の上に、日傘の影が落ちていた。
わたくしは、紙を丁寧に四つに畳んで、胸もとにしまった。
【コメント】大事にしまった
【コメント】招待状の扱いが丁寧すぎる
【コメント】九つの鐘まで、あと何時間だ
【コメント】それまで、あの顔のままなのか




