第100話縁の会は、お開きですわ
立ち上がると、小屋の中が、しんとした。
背後で重なっていた衣擦れの音が、ぴたりと止んだ。壇上の方は、両手を広げたまま、わたくしを見下ろしていた。燭台の火だけが、二本、細く揺れていた。
「お話の途中で、失礼いたしますわ」
わたくしは、日傘を閉じたまま、軽く膝を折った。
「わたくし、尊敬するお方から、もうひとつ、お言葉を賜っておりますの。……教えというのは、半歩ずれて受け取れば、反対側へ歩いていくものですわ」
【コメント】あ
【コメント】それ
【コメント】マリカ様の一本目
【コメント】お前のことだよっ!
【コメント】お前のことだよっ!!
【コメント】お前のことだよ
【コメント】全員同じこと言ってて草
【コメント】いや、今回は勧誘役のことでもある
【コメント】両方だよ
「あの方のお言葉は、恋のお話でしたのよ。お金のお話では、ございませんの」
【コメント】正論
【コメント】お嬢の口から正論が
【コメント】倉庫の話にしてた人が言う?
【コメント】今それ言う?
【コメント】言っていいんだよ、今は
壇上の方の口が、二度、開いて閉じた。
「ど、どなたでも、お越しいただける会、と……」
「ええ。ですから、こうして伺いましたの」
わたくしは、日傘を、ゆっくりと開いた。
「スタロ様は、いらっしゃいませんものね。三十秒、お待ちいたしますわ」
そう申し上げて、わたくしは、舞台に背を向けた。客席の皆様の方へ、向き直る。
*
背後で、壇上の方の声が裏返った。
「み、皆様! お急ぎくださいまし! 署名に、三十秒もかかりませんわ!」
【コメント】は?
【コメント】三十秒を、署名の締め切りにした
【コメント】砂時計の連中と同じ発想
【コメント】一
【コメント】二
【コメント】あいつら、三十秒で逃げる気だぞ
【コメント】客に押させてから逃げる気だ
「縁は、いま、おつなぎにならなければ、ほどけてしまいますの! この会は、今宵かぎり――」
舞台の袖から、もうひとりの方が、紙の束を胸に抱えたまま飛び降りてきた。客の一人ひとりの前で、何もない宙を指さして回る。押して、押して、と、口だけが動いていた。
客席の、いくつもの指が、何もない宙で、揺れていた。
【コメント】八
【コメント】押すな
【コメント】押すなよ
【コメント】でも、三十秒たったら、どうせこの小屋ごと
【コメント】お嬢の手前までは来ないだろ、たぶん
【コメント】たぶんで命かけたくない
【コメント】押したら借金、押さなくても吹っ飛ぶかも
【コメント】十二
縄の束の方は、画面を見ていなかった。
膝の上の自分の指を、見ていた。さっき、震えていた指を。
いちばん後ろの方が、宙の何かを、指で払うようにした。
それから、ふっと肩の力を抜いた。閉じたのだ、と分かった。
【コメント】閉じた
【コメント】後ろの人、閉じた
【コメント】十五
それから、もうひとつ。その隣も。
ひとつ、またひとつ。誰も、何も言わなかった。座布団の上で、それぞれが、宙の何かを払って、膝に手を戻していった。
「み、皆様、そんな、お待ちくださいまし、縁が――」
【コメント】二十
【コメント】次々閉じてる
【コメント】誰も喋ってない
【コメント】二十三
縄の束の方だけが、最後まで、宙の一点を見つめていた。
指が、上がった。
その一点の上を通り過ぎて、少し横の、何もないところに触れた。
縄の束の方は、膝に手を戻して、長い息を吐いた。
【コメント】閉じた!!
【コメント】雑貨屋の常連さん!
【コメント】自分で閉じた
【コメント】よかった
【コメント】二十七
背後で、二人分の足音が、舞台の奥の、楽屋への戸口へ駆けだした。
――柔らかい手応え。舞台の脇から、見上げる角度。二本の燭台の、揺れる芯。その向こうで、楽屋の戸口へ吸い込まれかけている、裾の長い借り物の上着と、紙の束を抱えた腕。
三十。
白。
振り返ると、舞台が、なかった。
燭台も、卓も、楽屋の戸口も。板張りの床の、最前列の手前までと、その上の屋根の半分。ぽっかりと開いたところから、歓楽街の夜空が見えた。遠くの提灯の列が、煤けた梁の切り口の向こうで、何事もなかったように揺れていた。
光の粒が、二つ、昇っていった。
舞台の脇の壁際で、小屋番の方が、丸椅子に腰かけたまま、芯切りの鋏を構えていた。
切るはずの芯は、燭台ごと、もうどこにもなかった。
【コメント】
【コメント】舞台だけ
【コメント】客席、無傷
【コメント】最前列、お嬢以外誰も座ってなかったからな
【コメント】みんな座布団ごと下がってたの、正解だった
【コメント】今日、普通にいいことしてない?
【コメント】やり方がな
【コメント】芝居小屋の持ち主に連絡しろって、昼に言ったのに
「縁の会は、お開きですわ。皆様、お足元に、お気をつけてお帰りくださいまし」
座布団が、いっせいに擦れる音がした。
皆様、わたくしの方を見ないようにして、木戸の方へ、静かに、けれども急いで、流れていった。
縄の束の方だけが、立ち上がる前に、一度だけ、屋根の穴を見上げた。
それから、腰の縄の束を、ぎゅっと握り直して、木戸を出ていった。
【コメント】みんな帰り足が速い
【コメント】お嬢の方、絶対に見ない
【コメント】常連さん、明日も縄買いに来るかな
【コメント】来てほしい
【コメント】名言の使い方、今日のは合ってたよな?
【コメント】合ってた
【コメント】合ってたうえで、撃った
【コメント】そこは合わせなくていいんだよ
*
木戸の外に出ると、提灯の灯りが、また途切れていた。
木戸番の方の姿は、もうなかった。
代わりに、木戸の脇の空き樽に、ひとり、腰かけている方がいた。
金色のサイコロが、指先から跳ねて、宙で掴まれた。
「や。お嬢様」
ダブルクロス様だった。
【コメント】ダブクロ
【コメント】いた
【コメント】ずっとそこにいたのか
【コメント】木戸の外で見物してたのかよ
【コメント】自分は中に入らないんだな
「見てたよ、最高だった! 切り抜き、もう三本上がってる」
ダブルクロス様は、わたくしの肩越しに、小屋の屋根を見上げた。
半分なくなった屋根の上に、星がいくつか、出ていた。
「あの二人? 俺のお客さんだったんだよね。お嬢様の真似、けっこう上手かったでしょ。……あーあ。お客さん、減っちゃったなあ」
「ごきげんよう、ダブルクロス様。とても、心に響く会でしたわ」
わたくしは、軽く膝を折った。
ダブルクロス様の指先で、サイコロが跳ねて、掴みそこねられた。
石畳から拾い上げて、肩を揺らして笑う。サイコロが、もう一度、宙に跳ねた。
「いやー」
掴んだサイコロを、手の中で、ころりと転がす。
「営業妨害だなあ」
【コメント】笑ってる
【コメント】お客さん二人、粒になったのに
【コメント】この人、何があっても笑ってるな
【コメント】笑ってる方が怖いタイプだ
*
翌朝の日向雑貨店は、棚が、また少し空いていた。
小夜さんは、帳場の前で、瓶詰めの飴を木箱に詰めていた。わたくしは、戸口の脇の丸椅子で、それを見ていた。
戸口の鈴が鳴った。
擦り切れた外套に、腰に縄の束。
縄の束の方は、戸口で、わたくしを見て、一歩だけ止まった。それから、わたくしの方を見ないようにして、帳場の前まで歩いていった。
「……いつもの、ください。携帯食と、縄」
「はい。縄、まだ箱に詰めてなくてよかった」
小夜さんが、棚の奥から、縄の束をひとつ下ろした。
縄の束の方は、銭を数えて、帳場に置いた。置いてから、少しのあいだ、手を離さなかった。
「……閉じました。画面。自分で」
「うん」
小夜さんは、銭を受け取って、頷いた。
「よかった」
縄の束の方は、品物を抱えて、もう一度だけ、わたくしの方を見ないようにして、戸口を出ていった。鈴が、少し遅れて鳴った。
【コメント】常連さん、来た
【コメント】いつもの、ください
【コメント】縄、買えてよかった
【コメント】お嬢の方、最後まで見なかったな
【コメント】お礼言いたいけど、言ったら吹っ飛ばされそう、の顔
【コメント】分かる
小夜さんは、飴の瓶をもうひとつ、木箱に詰めた。
それから、手を止めずに言った。
「瑠璃華。歓楽街の芝居小屋、屋根が半分ないって。持ち主の人、泣いてたって」
「まあ」
わたくしは、木箱の中の、飴の瓶に目を移した。
【コメント】まあ、じゃない
【コメント】持ち主に連絡しろって言ったのに(三回目)
【コメント】でも今回のは、正直よかった
【コメント】この切り抜き、マリカ様に届くぞ
【コメント】届けるな
【コメント】いや、今回のは届いていいやつだろ
【コメント】マリカ様の名言で、勧誘を止めた回
【コメント】止めたのは客の指だけどな




