第93話鐘の刻のお手紙ですわね
港の荷揚げ場は、朝から騒がしかった。
起重機が首を振り、桟橋の船から木箱が吊り上げられていく。その下で、荷を受ける番の方々が声を掛け合っていた。黒い羽織の若い衆が三人、灰色の上着の方々が三人。帳面を片手に、木箱の焼き印を一つずつ読み上げては、交互に印をつけていく。
以前は、入口で睨み合っていた方々だった。
【コメント】おはよう
【コメント】港、普通に動いてる
【コメント】黒鴉組とカルティエが並んで荷を数えてる
【コメント】組、番に戻ってきてる
【コメント】仮面が見つかるまで下りる、って話じゃなかったっけ
【コメント】串屋の旦那が、両方に頭下げたらしい
【コメント】殴り合いの火種、仲良く並べ直しただけでは
【コメント】あれだけ殴り合ってたのに
【コメント】仲良くはなってない。顔見てみ、目は合わせてない
確かに、黒い羽織の方と灰色の上着の方は、帳面の端と端を持ったまま、互いの顔を一度も見ていなかった。
それでも、木箱は、きちんと数えられていた。
「まあ。皆様、お仕事熱心ですこと」
【コメント】お嬢が褒めた
【コメント】嫌な予感はしない、たぶん
【コメント】港の連中、今の聞いて肩が跳ねてたぞ
*
倉庫街の方で、呼子笛が短く鳴った。
角を曲がると、灰色の外套の衛兵の方が二人、若い男の方の両腕を押さえていた。
日に焼けた、痩せた若者だった。港の日雇いの方々と同じ、すり切れた前掛けをしている。押さえられた腕の袖口から、折りたたんだ紙が一枚、はみ出していた。
衛兵の方々の後ろに、関谷様が立っていた。
その隣に、白い影がひとつ。
「……ごきげんよう、スタロ様。こちらにいらしたのですね」
「ああ」
スタロ様は、こちらを見て、短く頷いただけだった。
蛍光の線が、いつもより静かに灯っていた。
【コメント】スタロだ
【コメント】坂の下のあと、配信してなかったよな
【コメント】隊長の手伝いしてたのか
【コメント】声、低い
【コメント】まだ引きずってる
関谷様が、若者の袖から、紙を抜き取った。
広げる。それから、わたくしにも見えるように、少しだけ傾けた。
三つ目の鐘。炭問屋。
それだけだった。
小さく、几帳面な字だった。
「まあ」
わたくしは、その字を覗き込んだ。
「鐘の刻のお手紙ですわね。……カンパネッロ様の」
関谷様の眉が、わずかに動いた。
「知っているのか」
「以前、港で、ラクロワ様に教えていただきましたの。どのお手紙にも、鐘の刻が書いてあると。素敵なお名前ですわよね」
「……素敵かどうかは知らん」
【コメント】カンパネッロ
【コメント】久しぶりに聞いた名前
【コメント】仮面の男の投げ文か
【コメント】お嬢、相変わらず名前だけ褒めてる
【コメント】炭問屋って、この前お嬢が白くしたとこだろ
【コメント】三つ目の鐘、今日の?
関谷様は、紙を折りたたんで、自分の懐にしまった。
それから、押さえられたままの若者の前に、しゃがみ込んだ。
「名前は」
「……ヤス」
「ヤス。この紙は、誰から受け取った」
若者――ヤスさんは、唇を噛んで、黙っていた。
関谷様は、急かさなかった。しゃがんだまま、じっと待っていた。
「……知らない」
ようやく、ヤスさんが言った。
「荷揚げのあと、倉庫の裏で、銭と一緒に置いてあるんだ。紙と、銭。紙を、書いてある場所の、戸の隙間に差し込めば、それでいい。誰が置いたかなんて、見たこともない」
「何度目だ」
「……数えてない。ひと月くらい、ずっと」
【コメント】ひと月
【コメント】運び屋か
【コメント】顔も見たことない相手の使い走り
【コメント】日雇いの日当より、そっちの方がいいんだろうな
【コメント】この子、捕まったら終わりじゃん
関谷様は、しばらくヤスさんの顔を見ていた。
それから、立ち上がって、衛兵の方々に顎で示した。
「詰所へ連れていけ。乱暴にはするな。……こいつは、運んだだけだ。頼んだ者は、頼んだ者で調べる」
衛兵の方々が、ヤスさんを立たせた。
ヤスさんは、引かれるまま、よろよろと歩き出した。一度だけ、振り返った。倉庫の裏の方を。怯えた目だった。
【コメント】隊長、ちゃんと筋通すな
【コメント】頼んだ者は頼んだ者で、前にも言ってた
【コメント】長屋の火事のときの
【コメント】振り返ったぞ、今
【コメント】誰か見てる? 倉庫の裏
わたくしも、倉庫の裏の方を見た。
積み上げた空の木箱と、薄暗い路地。誰もいなかった。
スタロ様が、わたくしの隣に並んだ。
ヤスさんの背中を見送ったまま、低い声で言った。
「……今日は、撃つなよ」
「まあ。わたくし、まだ何も」
「あいつは証人だ。あいつが喋れば、仮面のやつに届くかもしれない。……頼むから、今日は」
スタロ様は、そこで言葉を切った。
何かを言い足そうとして、結局、言わなかった。
【コメント】スタロ、先に釘刺した
【コメント】撃つなよ、のトーンが前と違う
【コメント】坂の下のあとだからな
【コメント】お嬢、撃つ気あったのか
【コメント】あるだろ、いつでも
「承りましたわ。証人の方は、大切にいたしませんと」
わたくしは、日傘の先で、石畳を軽くつついた。
スタロ様は、わたくしの顔を、少しだけ長く見ていた。
*
詰所へ向かう衛兵の方々の後ろを、少し離れて歩いた。
倉庫街を抜けると、港の裏の路地に出る。干物、縄、樽の問屋。その一番奥に、白い店先が見えた。継ぎ目のない白い壁に、黒い手形が、いくつもいくつも重なっていた。
炭問屋だった。
白い店先の前に、見覚えのある背中があった。
空の炭袋を小脇に抱えて、炭問屋のご老人と、何か話している。
「……小夜さん?」
【コメント】小夜ちゃんいる
【コメント】炭問屋に
【コメント】お使いか
【コメント】串屋の炭、ここのだって言ってたもんな
【コメント】朝の炭の受け取りかな
【コメント】三つ目の鐘、炭問屋
小夜さんが、振り返った。
わたくしに気づいて、炭袋を持った手を、小さく振った。
港の鐘楼の方から、二つ目の鐘が渡ってきた。




