第92話閑話 問屋さんは、お店のことですわ
☆ 紫堂万里花視点 ☆
「明日にしよ」は、結局、三日続いた。
見なかったわけではない。毎晩、配信のあとにノートパソコンを開いて、検索窓に打ち込んで、日傘の後ろ姿のサムネイルを見て、閉じた。
見たら、何か言わなきゃいけなくなる気がした。
その三日のあいだに、質問箱には、同じ趣旨のお便りが二十通、届いていた。
「――『この前の、実践してるけど合ってるか微妙なやつ、まだ見てないんですか』。……はい。まだ見ておりませんわ」
【コメント】正直
【コメント】三日放置
【コメント】マリカ様、逃げてる
【コメント】見よう
【コメント】一緒に見よう
【コメント】初期のやつが一番分かりやすいよ
【コメント】切り抜き貼っていい?
「……わかりました。わたくしも、逃げ回るのはお嬢様らしくございませんもの。皆様と一緒に、拝見いたしますわ」
紅茶をひと口飲んで、画面を半分に割った。
片側に、自分。もう片側に、送られてきた切り抜き。
*
運河沿いの道だった。
金髪を左右で縦に巻いた女の子が、日傘を差して歩いている。隣に、背負子を背負った、小柄な女の子。
『尊敬するお方がいらっしゃいますの。そのお方の教えを、実践しているのですわ』
『教え?』
『ええ。たとえば、欲しいものほど、自ら追いかけてはいけない。人を動かしてこそ、お嬢様。人との縁こそ、最大の財産』
指を折りながら、ひとつずつ。
私の言葉だった。
ほとんど、そのままだった。違うのは言い方だけだった。私が言うときより、ずっと背筋が伸びていて、ずっと真剣だった。
【コメント】マリカ様の三大名言
【コメント】完コピ
【コメント】本人より丁寧に言ってる
【コメント】マリカ様、顔
『……それ、恋愛相談の話じゃないの?』
隣の女の子が、首を傾げた。
「そうなの」
思わず、素で言っていた。
「そう、恋愛相談なの。追いLINEの話なの」
【コメント】www
【コメント】マリカ様が画面にツッコんでる
【コメント】小夜ちゃんと意見が一致した
【コメント】この子、小夜ちゃんっていうの
【コメント】常識枠
画面の中で、金髪の女の子は、日傘の柄を握り直した。
『教えというものは、どんな場面にも通じるものですわ。殿方を追いかけない者は、悪党も追いかけない。人を動かせる者は、街も動かせる。本物の言葉というのは、そういうものですの』
私は、笑うのをやめた。
特定の場面にしか使えない言葉は、いい言葉じゃない。
それは、私がいつも思っていることだった。配信で口にしたことは、たぶん、ない。
【コメント】ん
【コメント】マリカ様、止まった
【コメント】今の、ちょっといいこと言ってなかった?
【コメント】騙されるな、この後だぞ
*
切り抜きは、そのまま倉庫の前の場面に続いた。
倉庫の前だった。閉じた鉄扉の前で、小柄な女の子が、日傘の子の袖を引いていた。
『待って。ほんとに待って。……大黒屋のおじさんもいるかもしれないし』
鉄扉が、細く開く。奥に、柄の悪い男たちが何人もいた。帳場の椅子には、額から血を流した初老の男の人が座らされている。
【コメント】ここ
【コメント】この子、少し前に「問屋さんごと吹き飛ばさないでね」って念押ししてたの
【コメント】ここからだぞ
【コメント】マリカ様、紅茶置いて
【コメント】置いて
紅茶を置いた。
画面が、白くなった。
音が少し遅れて、スピーカーが割れた。
【コメント】ぎゃー
【コメント】知ってても声出る
【コメント】倉庫が
【コメント】倉庫がない
【コメント】マリカ様、固まった
煙が晴れると、倉庫があった場所には、何もなかった。
真ん中に、帳場の机がひとつ。その前の椅子に、初老の男の人が、ひとりだけ、座ったままだった。
『問屋さんは、ご無事ですわ』
日傘の子は、ほっとしたように言った。
小柄な子が、口を押さえたまま、長いこと黙って、それから絞り出した。
『……問屋さんって、お店のことだよ』
切り抜きが、終わった。
*
しばらく、何も言えなかった。
【コメント】マリカ様?
【コメント】生きてる?
【コメント】放心
【コメント】これが「合ってるとは言ってない」の意味です
【コメント】師匠の顔が見たかった
【コメント】今見てる
「……半歩、ずれてるね」
やっと出てきたのが、それだった。
「半歩っていうか。……これ、どういう理解なの? 追いかけないから、待つ。そこまでは分かる。人を動かす。うん。……で、なんで倉庫がなくなるの?」
【コメント】それはみんな思ってる
【コメント】師匠にも分からないなら誰にも分からない
【コメント】本人は分かってるんだよ
【コメント】本人の中でだけ、全部つながってる
本人の中でだけ、全部つながってる。
そのコメントを、私はしばらく眺めていた。
あの子は、私の言葉を、ほとんどそのまま覚えていた。
覚えた上で、私が想像もしなかった場所へ、持っていった。追いLINEの夜からも、職場の先輩からも、ずっと遠い、運河沿いの倉庫の前まで。そこで、自分の頭で考えて、使った。
考えた答えが、その人の正解。
三日前、自分でそう言った。
「……まあ」
私は、紅茶を持ち上げた。もう、ぬるくなっていた。
「わたくしの言葉を、ご自分の場面に置いて、ご自分で考えて、使ってくださった。それは、お茶会の主としては、嬉しいことですわ」
【コメント】嬉しいの!?
【コメント】懐が深い
【コメント】倉庫消えてるんだぞ
【コメント】マリカ様、それでいいのか
「……まあ、ゲームの中だしね」
素に戻って、付け足した。
「現実で倉庫消したら、それはもう普通に警察だから。みんなは、真似しないように」
【コメント】しないよ
【コメント】できないよ
【コメント】真似できる人がいたら怖い
「ただ、ひとつだけ。この子に伝えられるなら」
私は、カメラの方に向き直った。
背筋を伸ばして、いつもの声に戻した。
「問屋さんは、お店のことですわ」
【コメント】wwww
【コメント】そこ!?
【コメント】小夜ちゃん側についた
【コメント】師匠からの最初の指導がそれ
【コメント】でも一番大事なとこではある




