第87話本物は、もう少し丈夫ですのよ
【コメント】こんにちは
【コメント】昨日の白い倉庫、見た?
【コメント】見てきた。朝になっても白いまま
【コメント】中、何もない。家具も棚もない。真っ白な部屋が五つ
【コメント】運営に問い合わせた奴いる?
【コメント】「仕様です」だって
【コメント】お嬢、あそこ行かないの?
「行きませんわよ。昨日、行きましたもの」
わたくしは、歓楽街の市の通りを歩いていた。
昼すぎの市は、人でいっぱいだった。焼き菓子の甘い匂い、香の煙、呼び込みの声。屋台の軒が、通りの両側から、ほとんど触れ合うほどに張り出している。
【コメント】行ったから、もういいのか
【コメント】この人、終わったことに一ミリも興味ないからな
通りの角で、子どもが泣いていた。
五つか六つくらいの、女の子だった。片手に、日傘を握っている。正確には、日傘だったもの。柄の先で、骨が三本、あらぬ方向に折れ曲がって、薄い布が、ぺろりと垂れていた。
そばで、母親らしい女の方が、困った顔で背中をさすっていた。
「……開いたら、こわれた」
女の子は、しゃくり上げながら、折れた日傘を、わたくしの方へ突き出した。
わたくしの日傘を、見上げていた。
「おねえさんのと、おなじの、って言ったのに」
【コメント】あ
【コメント】お嬢の日傘の真似っこか
【コメント】「同じの」って誰が言ったんだ
女の子の母親が、通りの先を、小さく指さした。
通りの、ほんの十歩ほど先に、ひときわ派手な屋台が出ていた。
軒先に、日傘が、ずらりと吊るしてある。白、桃色、水色。どれも、縁にひらひらのひだがついていた。屋台の上に掲げた板には、大きな字でこう書いてあった。
悪辣非道のお嬢様 ご公認
お嬢様と同じ日傘 本日限り
屋台の前で、ひらひらのドレスを着た女の方が、高い声で呼び込みをしていた。
縦ロールは、ちゃんと巻けていた。守る会の方々より、ずっと上手に。
「さあさあ、ご覧になって! 九条院瑠璃華様が、直々にお認めになった日傘ですわ! これを差せば、あなたも今日からお嬢様! お値段、たったの銀貨一枚ですわ!」
【コメント】ご公認
【コメント】公認してないだろ
【コメント】これ、プレイヤーだな NPCの屋台にしては商売が下品すぎる
【コメント】守る会の掲示板、「うちとは無関係です」って声明出してる
「……公認」
わたくしは、屋台の板を見上げた。
ご公認。
わたくしは、何ひとつ、お認めした覚えがない。
それから、もう一度、女の子の手の中の、骨の折れた日傘を見た。
あの屋台の方は、わたくしの名前を使って、お嬢様に憧れる方々に、すぐに壊れる日傘を、銀貨一枚で売っている。
――悪い方の、なさることだ。
【コメント】あ
【コメント】子どものため? 名前を勝手に使われたから?
【コメント】いや、たぶん両方
呼び込みの女の方が、こちらに気づいた。
一瞬だけ、扇を持つ手が止まった。それから、いっそう高い声を張り上げた。
「――まあ! 皆様、ご覧になって! ご本人様ですわ! ご本人様が、わたくしの日傘を見にいらしてくださいましたわ! これ以上のご公認の証はございませんことよ!」
通りの人たちが、いっせいに、わたくしと屋台とを見比べた。
「わたくし、どなたにも、何もお認めしておりませんわ」
「聞こえませんわー!」
女の方は、扇で口もとを隠して笑うと、銀貨を差し出していた若い娘さんに、日傘を一本、手渡した。
ひらひらのドレスを着た、まだ巻き方の下手な縦ロールの娘さんだった。
【コメント】聞こえませんわー!
【コメント】本人の前で売った
【コメント】スタロ待ちの三十秒、もうとっくに過ぎてるぞ
【コメント】スタロは原っぱの試合の立ち会い
【コメント】屋台のねーちゃん、逃げろ
【コメント】まわりの屋台も逃げろ
女の子は、もう泣き止んでいた。
折れた日傘を胸に抱えたまま、通りの先の、日傘の吊るされた屋台を、恨めしそうにじっと見ていた。
――吊るされた日傘の列。ひらひらのドレス。銀貨を受け取る、白い手袋。
白。
市の真ん中が、屋台三つぶん、空へめくれ上がった。
吊るされた日傘が、花びらのように宙に舞って、同じ白の中に消えた。隣の焼き菓子の屋台の軒も、向かいの香の屋台の煙も、いっしょに。
光の粒が、いくつか、ゆっくりと昇っていった。
そのまわりで、ひらひらの布の切れ端が、遅れて舞い落ちてきた。
【コメント】
【コメント】日傘屋
【コメント】と、隣と向かい
【コメント】買ったばっかりの子も……
【コメント】古着屋の二階です 一本向こうの通りにいました。今回は近くなかった。よかった
【コメント】三階です 焼き菓子屋で並んでました。拠点です
【コメント】並んでただけなのに
市が、しんと静まり返った。
それから、屋台の主たちが、おそるおそる、自分の軒先を確かめはじめた。
わたくしは、えぐれた石畳の前まで歩いていった。
足もとに、日傘の柄が一本、転がっていた。骨は全部、根元からなくなっていた。
【コメント】……白くならないな
【コメント】昨日のは、石段の下だったからか?
【コメント】お嬢の爆破の新しい効果じゃなかったのか
【コメント】条件があるんだよ、たぶん
【コメント】とりあえず、ここは明日戻る。焼き菓子屋も明日戻る
女の子の母親が、女の子を抱き上げて、こちらを見ていた。
何か言おうとして、言葉を探しているような顔だった。
わたくしは、女の子の前で、軽く膝を折った。
折れた日傘を、女の子の手から、そっと受け取る。
「こちらは、偽物ですわ。わたくしは、どなたにも、何もお認めしておりませんの」
女の子は、きょとんとした顔をした。
「本物は、もう少し丈夫ですのよ」
わたくしは、自分の日傘を、ぱちんと開いてみせた。
骨が十二本、きれいに張った。
【コメント】そこ?
【コメント】丈夫さ自慢
【コメント】女の子、目キラキラさせてる
【コメント】母ちゃん、たぶん「お礼を言うべきか」で迷ってる
*
市からの帰り道に、官庁街へ続く石段のふもとを通った。
白い倉庫の前に、人だかりができていた。
荷車引きの方々が、十人ほど。皆、昨日のおじいさんの、浮く台を取り囲んでいる。おじいさんは、台の輪を握ったまま、得意げに何か話していた。
「――わしのは、壊れたら、こうなったんだ」
「なら、俺のも壊れたら」
「やめとけ。壊れたら、普通は直るのに一日かかる」
「でも、ここで壊れたら」
荷車引きの方々が、いっせいに、白い倉庫の方を見た。
【コメント】おい
【コメント】やめろ
【コメント】自分の荷車をここで壊す気か
【コメント】昨日の今日で、もう便利さの方に目が行ってる
「――それは、ご勘弁ください」
穏やかな声がした。
荷車引きの方々が、振り返った。
鈴村さんだった。前掛けを外して、洗いざらしの着物の袖を整えている。その後ろに、羽織姿の関谷様が、腕を組んで立っていた。
「壊れたものが、どう戻るのか。まだ、誰にも分かりませんから。……分かるまでは、どうか、大事な荷車を、わざと壊したりなさらないでください」
荷車引きの方々が、ばつの悪そうな顔で、首をすくめた。
【コメント】鈴村さん
【コメント】代表、もう現場に来てる
【コメント】「わざと壊すな」、正論
「旦那。ここ、どうなるんだい」
荷車引きのひとりが、白い壁を指さした。
「上の連中の建物みたいになっちまった。上の持ち物になるのかい。この下の道も」
「いいえ」
鈴村さんは、静かに首を振った。
「昨夜のうちに、上へ伺ってまいりました。境目は、元のままだそうです。石段の一段目から下は、これまでどおり、下町。この白い建物も、この道も」
荷車引きの方々が、顔を見合わせた。
それから、ほっと息を吐いた。
「ついでに、このふもとの持ち場も、はっきりさせていただきました。今日からは、関谷さんのところで見ていただけます」
関谷様が、腕を組んだまま、白い壁を見上げた。
「……俺が掛け合って、ひと月かかると言われた返事だ」
それだけ言って、短く息を吐いた。
【コメント】一晩で
【コメント】上の返事、一晩で取ってきた
【コメント】串屋の代表、仕事が早すぎる
【コメント】隊長、ちょっと複雑そう
【コメント】代表になると、上への伝手ができるんだな
「まあ」
わたくしは、白い壁と、鈴村さんとを、順番に見た。
「境目のお掃除をいたしましたら、代表様のお仕事を、増やしてしまいましたわね」
「いえ」
鈴村さんは、白い壁に、そっと手のひらを当てた。
継ぎ目のない壁は、昼の光を受けて、かすかに青く光っていた。
「ありがたいことです」




