第85話お使いの、お供ですわ
小夜さんのお店の帳場に、黒塗りの文箱が三つ、積んであった。
「それ、何ですの?」
「鈴村さんの書類。議事堂まで」
小夜さんは、文箱の紐を結び直しながら、肩をすくめた。
「代表になってから、毎日なんだよ。上へ出す願い書とか、届けとか。旦那は屋台を空けられないし、若い衆に頼むと文箱ごと港に置いてくるし。で、結局うち」
「まあ。小夜さん、すっかり代表様のお使い番ですのね」
「お使い番っていうか、ほぼ通い。お店、ここんとこ午前中しか開けてないもん」
小夜さんは、帳場の脇の、半分しか品の並んでいない棚を顎で示した。
【コメント】こんにちは
【コメント】小夜ちゃんの店、品薄
【コメント】鈴村さん、小夜ちゃん使いすぎでは
【コメント】代表って言っても、予算とかないんだろうな
【コメント】串屋の代表、人手が小夜ちゃんしかいない
賭けが締まってから、三回目の配信だった。
下町は、静かだった。屋根の上から矢を射かけてくる方も、ひらひらのドレスで坂を上ってくる方々も、めっきり減った。守る会は、街の外の原っぱで、狩人の方々と「試合」をしているらしい。スタロ様が立ち会って、決まりを作ったそうだ。
静かなのは、良いことだ。
良いことなのだけれど。
「……退屈ですわ」
「平和って言いなよ」
【コメント】言った
【コメント】平和を退屈って言った
【コメント】ヒーローの台詞じゃない
【コメント】この人、事件がないと困る人なんだよな
【コメント】初配信からそうだった
「それにさ」
小夜さんは、文箱を三つ、胸に抱え上げた。
「平和でもないよ、あんまり。官庁街の石段の下。上へ行く荷車が、今週だけで三回、やられてる」
「やられて?」
「荷を、まるごと。上へ納める香辛料とか、硝子の材料とか。昼日中に、石段のふもとで止められて、荷台ごと空っぽ。引いてたおじいさんは殴られて、傷は次の日に治ったけど、怖くて荷車を引けなくなったって」
【コメント】知ってる、掲示板で見た
【コメント】プレイヤーの三人組らしい
【コメント】顔隠してるけど、動きがプレイヤー
【コメント】盗った荷は、その日のうちに歓楽街で売り飛ばしてるって
【コメント】関谷の衛兵は?
【コメント】それがさ、出てこないんだよ
「衛兵の方々は、何をしていらっしゃるの」
「出てこないの。石段のふもとって、ちょうど境目なんだよ。上の段からは官庁街で、上の衛兵の持ち場。下の道は下町で、関谷さんとこの持ち場。でも、ふもとのあのへんだけ、どっちも『向こうの持ち場だ』って言うの」
小夜さんは、ため息をついた。
「関谷さん、上に掛け合ってくれてるらしいけど。上の返事が来るまで、ひと月かかるって」
【コメント】縄張りの隙間
【コメント】境目で張ってるのか、頭いいな
【コメント】頭いいっていうか、性格悪い
【コメント】上層のお役所仕事、ひと月
【コメント】ひと月あったら荷車三十台いけるな
わたくしは、日傘を手に取った。
「小夜さん。その文箱、わたくしもお持ちいたしますわ」
「……え」
「石段の下まで、ご一緒いたします」
「待って。今、退屈って言ったあとだよね?」
「ええ」
「退屈しのぎで、あそこ行くの?」
「お使いのお供ですわ。小夜さんが、そのふもとをお通りになるのでしょう。でしたら、お友達として、お供をいたしませんと」
小夜さんは、文箱を抱えたまま、しばらくわたくしの顔を見ていた。
それから、文箱をひとつだけ、わたくしの腕に載せた。
「……一個だけね。三つ持たせたら、たぶん落とす」
【コメント】行くのかよ
【コメント】理由が後から付いてきた
【コメント】お供(爆破)
【コメント】小夜ちゃん、止めるの諦めてる
*
坂を上りきると、官庁街へ続く長い石段が見えてきた。
ふもとの道は、思っていたより広かった。荷車が二台すれ違えるほどの幅がある。道の片側には、古い木造の倉庫が、肩を寄せ合うように五棟並んでいた。板壁は黒ずんで、どこも戸が閉まっている。もう片側は、崖に沿った低い柵だった。
石段を見上げると、ずっと上の方で、足もとの色が変わっていた。角の欠けた古い石が、ある段から先、継ぎ目のない白に変わる。その白の先に、官庁街の硝子の柱が、小さく並んでいた。
ふもとには、人がいなかった。
昼間なのに、誰も。
「……前に来たときは、もっと人がいたんだけどね」
小夜さんが、声を落とした。
「荷車引きの人たちが、ここで一服してた。今は、みんな、遠回りしてる」
【コメント】静かすぎ
【コメント】倉庫、全部閉まってる
【コメント】あの倉庫、空き倉庫だっけ
【コメント】ほぼ空き 持ち主が上層に移ったって聞いた
【コメント】人がいないと、かえって怖いな
小夜さんは、わたくしの腕から文箱を取り戻して、三つまとめて胸に抱え直した。
「じゃ、行ってくる。上で受け取りの判子もらって、帰ってくるだけだから。……瑠璃華は、ここで待ってて」
「ええ。お気をつけて」
「それ、こっちの台詞」
小夜さんは、石段を上っていった。
文箱を抱えた背中が、一段ごとに小さくなって、白い段の向こうに消えた。
【コメント】小夜ちゃん、ひとりで行かせて大丈夫?
【コメント】上は官庁街だし、衛兵いるから
【コメント】危ないのは、むしろ下のお嬢の方
【コメント】お嬢が危ないんじゃなくて、お嬢の周りが危ないんだよ
わたくしは、石段の一番下の段に腰を下ろして、日傘を開いた。
しばらくして、坂の方から、車輪の音が近づいてきた。
荷車だった。荷台に、上層の焼き印の入った木箱が、三段積んである。引いているのは、日に焼けた、腰の曲がったおじいさんだった。額に、布を巻いている。傷は、もう治っているはずだった。
「……あんた、ここで何してる」
「待ち合わせですの。おじいさまは?」
「上へ、荷だ。遠回りしてたら、日が暮れちまう」
おじいさんは、倉庫の並びを、ちらりと横目で見た。
それから、額の布に、そっと手をやった。
「……三日前も、ここだった」
【コメント】おじいさん、殴られた本人か
【コメント】怖くて引けないって言ってたのに
【コメント】引かなきゃ食えないんだろ
【コメント】やめとけじいさん
おじいさんが、荷車の柄を握り直して、石段の脇の、荷車用の坂道へ車輪を向けた。
そのとき、倉庫のひとつの戸が、内側から、ほんの少しだけ開いた。




