第84話閑話 利子は、ちょっとだけ
☆ 借金を抱えた狩人視点 ☆
荷物は、運んだ。
九つの鐘のあと、倉庫街のいちばん端の倉庫まで。重たい木箱がひとつ。持ち上げると、中で何かが、とぷんと揺れた。言われたとおり、中は見なかった。置いて、帰った。
*
最初は、ただの被害者だった。
港の両替所で、人質になった。縛られて、窓の外に日傘が見えた、と思ったら、次は拠点の寝台の上だった。両替する前の銭は、窓口に置いたままだった。上層の役人は、回収の対象外です、とだけ言った。
だから、被害者の会に入った。ダブクロの賭けが立ったときは、迷わず「負ける」に張った。自分じゃ勝てない。でも、誰かがあの女を負かしてくれれば、儲かる。仇も取れる。
張る金が、足りなかった。
ダブクロが、貸してくれた。利子は、ちょっとだけ。法律の上限より、ずっと下。その夜のうちに、矢を買う金も借りた。腕に、金色のサイコロの布を巻かされた。目印だから、と言われた。
契約は、視界に浮かんだ画面で結んだ。条項が何十行も流れて、いちばん下に署名の欄があった。
ゲームの金は、換金すれば現実の金だ。ゲームの中の借金を、現実の借金として扱う判決が出たのは、もう何年も前のことだ。払わずにいれば、運営に照会がかかって、現実の口座が差し押さえられる。
ちゃんと読んだ。読んだ上で、署名した。
灯台の丘の茶会で、白に呑まれた日の夜、賭場の奥に呼ばれた。
窓のない部屋だった。机がひとつ。椅子が二脚。帳面の棚。壁に、金色のサイコロの絵。
ダブクロは、自分の配信に向かって喋っていた。今日いちばん派手に吹っ飛んだ人、みんな拍手、と俺を手で示して、糸みたいに細い目で笑っていた。
「……配信、切るね。おやすみー」
その手を、すっと下ろした。
顔が、変わった。目が、細くなくなった。口の端が、元の位置に戻った。それだけで、さっきまでの男とは、別の人間に見えた。
「座って」
声も、平らになっていた。
「返せないなら、仕事がある。明日の夜、港の倉庫街に、荷物をひとつ運ぶだけ。中は見なくていい。それで、矢の分は、なかったことにしてあげる」
中は見なくていい。その言い方が、何より、中身を教えていた。
ダブクロが先に帰ったあと、扉の脇にいた髭の男が、低い声で言った。腕に、俺と同じ布を巻いていた。端が擦り切れて、色が抜けていた。
「中は、見るなよ」
「……見たら、どうなるんですか」
「どうもならない。ただ、運べなくなる」
*
荷物を置いて帰った夜、安宿の窓の外の空が、倉庫街の向こうだけ、橙色になった。
翌朝、視界の端の赤い数字が、少しだけ減っていた。矢の分だった。約束どおり、なかったことになっていた。
それから、あの女の配信の切り抜きを見た。北の長屋。倉庫の屋根から投げ込まれる、火のついたつぼ。
とぷん、と揺れた音を、耳が勝手に思い出した。
切り抜きを、途中で閉じた。
*
賭けは、七回目の配信の夜に締まった。
あの女は、一度も負けなかった。
――賭けの締め切りにより、契約第十二条に基づき、残額の一括返済期日が到来しました。
通知の下に、赤い数字があった。矢の分が消えても、俺の所持金の、何倍もあった。
契約第十二条。何十行も流れた条項の、どのあたりにあったのか、もう思い出せなかった。ちゃんと読んだ。読んだはずだった。
賭場の奥で、ダブクロは、最初から平らな顔をしていた。
「払えないよね」
「……はい」
「うん。だと思った」
天気の話をするような声だった。
「じゃ、二つ、提案。断ったら、契約どおり外で取り立てる。それも法律の範囲内。……ひとつ目。港の交換所、知ってるでしょ。賭け札を、銭に替える店。あそこの店番がひとり足りないの。給料は相場どおり。それと、店の名義が要る。君の名前で、届けを出してほしいの」
「交換所って……あれ、ダブクロさんの」
「違うよ。あそこは、俺とは関係のない店。だから、俺の名前は出せない」
関係のない店の店番を、なぜ、この人が探しているのか。
聞かなかった。聞いたら、運べなくなる。髭の男の声が、頭の中で、そのまま鳴った。
新しい契約の画面が開いた。今度こそ最後まで読もうとして、途中で、目が滑った。
署名した。
「それと、二つ目。お客さん、紹介してくれたら、紹介料を出す。返済に回していいよ。……君みたいに、困ってる人、いっぱいいるでしょ。お嬢様に吹っ飛ばされて、悔しくて、でも自分じゃ勝てなくて。そういう人に、教えてあげて」
「……条件、とかは」
「条件は、契約書に全部書いてある。読めば分かる。読まない人は、知らない」
ダブクロは、扉の前で一度だけ振り返った。
「君も、ちゃんと読んだもんね」
目が、糸のように細くなった。
*
ヘッドギアを外すと、六畳の部屋は、カップ麺の匂いがした。
銀行のアプリの残高は、来月の家賃に、少し足りなかった。運営からの照会の知らせは、まだ、来ていなかった。
まだ、だ。
*
交換所は、港の倉庫街の入り口にある。
格子の向こうに、銭の箱と、帳面と、椅子が二脚。隣の椅子には、髭の男が座っていた。
昼すぎ、若いのがひとり、窓口に来た。
「あの……ここで、賭け札、替えられるって」
「替えられる」
「替える札、ないんすけど。……張る金が、なくて。あの女、どうしても負かしたくて」
若いのは、俺の腕の、サイコロの布を見た。
「それ、ダブクロさんから借りた人の印っすよね。……どうでした?」
隣で、髭の男が、帳面をめくる手を止めた。
俺は、格子越しに、若いのの顔を見た。
灯台の丘で、白に呑まれる前の、俺の顔だった。
視界の端に、赤い数字が浮かんでいた。
その下に、紹介料の欄が、小さく増えていた。
「……利子は、ちょっとだけだよ」
俺の声は、思っていたより、平らだった。




