第80話閑話 合ってるとは、言ってない
☆ 紫堂万里花視点 ☆
カメラの赤いランプがつくと、背筋が勝手に伸びる。
五年やっていても、そこだけは変わらない。
「ごきげんよう、皆様。今宵も、紫堂万里花のお茶会へようこそ」
アンティーク調のソファ。紅茶のカップ。窓の外は、とっくに真っ暗だ。
画面の端を、コメントが流れはじめる。
【コメント】ごきげんよう〜
【コメント】待ってました
【コメント】今日の紅茶なに
【コメント】マリカ様、髪巻いてる日だ
「今宵はアールグレイですわ。……さて、お便りが溜まっておりますの。順にお答えしてまいりましょう」
手元の板に、質問箱の中身を並べる。
一通目は、職場の先輩に言い返せない、という相談。二通目は、元カレから三年ぶりに「元気?」と来た、という相談。
「三年ぶりの『元気?』は、お返事の必要がない『元気?』ですわ。お嬢様は、既読の向こうで優雅に紅茶をいただいていればよろしいの」
一拍置いて、カップを置く。
「……って、お嬢様っぽく言ってみたけどさ。要するに、深夜に来た連絡は朝まで寝かせとけってこと。だいたい、向こうも酔ってるから」
【コメント】出た素
【コメント】これを聞きに来てる
【コメント】三年ぶりの元気?はマジで返さなくていい
【コメント】経験者は語る
ここまでは、いつもどおりだった。
*
三通目を開いて、私は少しだけ黙った。
――万里花様の教えを、しっかり実践している人がいたら嬉しいですか?(合ってるとは言ってない)
読み上げる前に、もう一度、頭から読んだ。
括弧の中が、引っかかった。合ってるとは言ってない。誰が、何を。
【コメント】ん?
【コメント】括弧なに
【コメント】あっ
【コメント】これ例のお嬢の件では
【コメント】言うな
【コメント】マリカ様には見せるなって言ったのに
【コメント】誰だ投げたの
コメント欄が、急にざわついた。
全部ではなかった。それが妙だった。半分は、きょとんとしている。もう半分は、何かを知っていて、それを私に知られまいとしている。
お便りを読む配信を五年やっていると、こういう空気には鼻が利く。
何かある。でも、ここで聞き返したら、たぶん、配信が別の話になる。
「……そうですわね」
私は、カップを両手で包んだ。
「わたくしの言葉を、大切に持っていてくださる方がいらっしゃるなら、もちろん嬉しいですわ。お茶会の甲斐があったというものです」
それは、本当だった。
ただ、括弧が、まだ引っかかっていた。
「ただ、ひとつだけ。……教えというのは、半歩ずれて受け取れば、反対側へ歩いていくものですわ」
【コメント】おお
【コメント】名言きた
【コメント】メモった
【コメント】半歩ずれて反対側
【コメント】これ、例の人に届いてほしい
【コメント】だから言うなって
「……って、ちょっと怖い言い方になっちゃったけどさ」
素に戻って、ソファの背にもたれた。
「別に、ずれちゃだめって話じゃないんだよ。私が答えてるのは、送ってくれた誰かの、その日の相談でしょ。それとまったく同じ場面なんて、聞いてる人の人生には、まず来ない。だから、みんな自分の場面に置き換えて、勝手に使うしかないの。使っていいの、勝手に」
言いながら、自分で頷いていた。
これは、ずっと思っていることだ。
「たとえばさ、別れた彼に言われた『君は君のままでいい』を、ずっとお守りにしてる子がいたとするでしょ。彼の方は、もう覚えてないかもしれない。それでも」
私は、カップを置いて、背筋を伸ばした。
「殿方から贈られた言葉は、贈った殿方のものではございませんの。受け取ったあなたのものですわ」
【コメント】うわ
【コメント】刺さった
【コメント】元カレの言葉、まだ持ってる
【コメント】持っててよかったんだ
【コメント】今日の名言二本目
「……私の言葉も、同じ。言った私より、受け取った人のもの」
「ただ、置き換えるときに、ちょっとだけ意味がずれると、着地点がまるっきり別の場所になることがある。追いかけるな、が、相手のこと考えるな、になっちゃったりね。……だから、半歩ずれたかもって思ったら、一回立ち止まって、自分で考えてほしいなって。私の言った意味が正解なんじゃなくて、考えた答えがその人の正解だから」
コメント欄を見る。
きょとんとしていた半分は、うんうん、と流れていた。知っている半分は、妙に静かだった。
【コメント】深い
【コメント】……
【コメント】立ち止まって考える、かあ
【コメント】あの人、立ち止まらないんだよな
【コメント】言うなって
【コメント】すみません
「で、その方は」
私は、首を傾げてみせた。
「わたくしの教えを、どのように実践していらっしゃるのかしら」
【コメント】知らない方がいい
【コメント】紅茶飲んでて
【コメント】知らなくていい世界もある
【コメント】マリカ様は清らかなままでいて
「……え、なに、怖いんだけど」
【コメント】www
【コメント】素の「怖いんだけど」いただきました
*
配信を切ると、部屋が急に静かになった。
冷めた紅茶を飲み干して、ノートパソコンを開いた。
検索窓に、少し迷ってから、打ち込む。
お嬢 教え 実践
一番上に、切り抜き動画が出てきた。
サムネイルは、日傘を差した金髪の女の子の後ろ姿だった。その向こうで、建物が、白く光りながら崩れていた。
見出しには、太い字で、こうあった。
――悪辣非道のお嬢様、本日も絶好調。
私は、しばらく、そのサムネイルを見ていた。
建物が崩れていた。日傘は、まっすぐだった。
ノートパソコンを、そっと閉じた。
「……明日にしよ」




