第75話お招きの手間が、省けますわ
日が傾くころ、議事堂前の広場は、もう一度、人で埋まっていた。
演説会の二日間に見た顔ぶれだった。前掛けのおかみさん方、港の日雇いの方々、仕立ての良い上着の旦那衆。皆、議事堂の正面の黒い板を見上げている。板はまだ、何も映していなかった。
隣で、小夜さんが、竹籠の持ち手をぎゅっと握っていた。
「……緊張する」
「小夜さんが出ていらっしゃるわけではございませんのに」
「わかってるよ。でも、一票入れたんだもん。自分のが、ちゃんと数えられてるのか、気になるでしょ」
小夜さんは、竹籠を胸に抱え直した。
どちらに入れたのかは、聞かなかった。小夜さんも、言わなかった。
【コメント】こんばんは
【コメント】開票きた
【コメント】小夜ちゃん、自分の一票を大事にしてるのいいな
【コメント】お嬢には一票もない
【コメント】ございませんの
石段の上に、灰色の制服の方々が並んだ。
先頭は、あの背の高い女の方だった。硝子の板を、黒い板にかざす。
白い光の文字が、ゆっくりと組み上がっていった。
――下町区域代表選、開票結果。
――鈴村。千九百四十二票。
――関谷。七百十八票。
――下町区域代表に、鈴村を選出する。
「以上です」
【コメント】鈴村さん!!
【コメント】圧勝
【コメント】千九百
【コメント】関谷も七百は入ってる
【コメント】「以上です」
【コメント】この人、最後まで「以上です」だった
広場が、一拍遅れて、沸いた。
前掛けのおかみさん方が、手を取り合って跳ねている。港の日雇いの方々が、帽子を宙に放り投げている。北の長屋の女の方が、腕の中の子どもの手を取って、小さく振らせていた。
小夜さんは、竹籠を抱えたまま、ほうっと長い息を吐いた。
「……よかった」
それだけ言って、少しだけ笑った。
*
演説台に、鈴村さんが上った。
前掛けは、していなかった。ただ、いつもの洗いざらしの着物の袖を、きちんと整えていた。
「ありがとうございます。……大それたことは、やはり、申し上げられません。明日の朝も、串を焼きます」
広場のあちこちで、笑い声が上がった。
「ただ、串を焼く合間に、上へ物を申しに参ります。皆さんの代わりに。それが、今日いただいたお役目だと思っております」
鈴村さんが頭を下げると、もう一度、拍手が起こった。
【コメント】明日の朝も串を焼きます
【コメント】代表になっても串屋
【コメント】この人ほんとにぶれないな
【コメント】上へ物を申す串屋
その拍手の中を、羽織姿の方がひとり、まっすぐ台の方へ歩いていった。
関谷様だった。
関谷様は、台の下で足を止めて、鈴村さんを見上げた。広場の拍手が、少しずつ止んでいく。
皆、息を詰めて、二人を見ていた。
「おめでとう」
関谷様は、それだけ言った。
それから、少しだけ間を置いて、続けた。
「……俺の名前で、票を買ってた連中がいたと聞いた。俺は知らなかった。だが、俺の名前だ。すまなかった」
関谷様は、深く頭を下げた。
鈴村さんは、台の上から降りて、関谷様と同じ高さに立った。
「関谷さんのせいでは、ありませんよ」
「俺の名前だ」
「……では、ひとつ、お願いがあります」
鈴村さんは、関谷様の手を取った。
「これからも、港の荒事を、取り締まっていただけませんか。誰であろうと。……私には、それはできませんので」
関谷様は、しばらく黙って、鈴村さんの顔を見ていた。
それから、短く、頷いた。
【コメント】泣いた
【コメント】対立候補を、そのまま港の守りに
【コメント】「誰であろうと」を、鈴村さんが言った
【コメント】関谷の口癖を、そのまま頼むの、ずるい
【コメント】この二人で港回したら、最強では
【コメント】いい選挙だった……
なんて、素敵な方々なのだろう。
わたくしは、日傘を小脇に抱えて、手を叩いた。どちらの方も、やはり、素敵だった。
*
広場の拍手が、ようやく収まりかけたころだった。
「――はい、どうもー! みんな、見てた? 見てたよね!」
広場の端の、硝子の柱の下から、明るい声が響いた。
ダブルクロス様だった。
金色のサイコロを指先で弾きながら、人垣の端に立って、宙のどこかに向かって喋っている。広場の何人かが、怪訝そうに振り返った。
「串屋の旦那、おめでとう! いやー、いい演説だった。俺、隊長に全額張ってたんだけどね。見事に全部、溶けました」
ダブルクロス様は、両手をひらひらと振った。
笑っていた。目が糸のように細くなる、昼間と同じ笑い方だった。
「で、なんで溶けたかって言うと――」
ダブルクロス様の顔が、人垣越しに、まっすぐこちらを向いた。
「お嬢様。港の裏の路地、見事だったよ。俺の仕込み、帳面ごと紙吹雪。猫しか残ってなかったって? 最高。切り抜き、もう三本上がってる」
【コメント】来た
【コメント】ダブクロ
【コメント】大損したのに笑ってる
【コメント】自分から仕込みバラしてる
【コメント】票買ってたの、やっぱこいつか
【コメント】関谷の前で言うのか、それ
関谷様が、ゆっくりと、ダブルクロス様の方を向いた。
ダブルクロス様は、それにも、ひらりと手を振った。
「あ、隊長さん。ごめんね、名前借りちゃって。でも俺、プレイヤーだから。住民の選挙のことで捕まえられる決まり、まだないっしょ? ……それより、お嬢様」
ダブルクロス様は、サイコロを指で弾いて、宙で掴んだ。
「お嬢様ってさ、賞金かかんないじゃん。何やっても。ずるいよね。だから、思ったんだ。かかんないなら、こっちでかければいいって」
広場が、少しだけ、ざわついた。
「新しい賭け、開きます。『悪辣非道のお嬢様は、七日のうちに負けるか』。負ける方に張るか、負けない方に張るか。二つにひとつ」
ダブルクロス様は、指を二本立てて、宙に向かって振ってみせた。
「で、ここからが目玉。負ける方に張られた金の一割は、お嬢様を負かした人に、懸賞としてまるごと上乗せ。張るのは誰でもいい。負かすのも、誰でもいい。――お嬢様に吹っ飛ばされたこと、ある人。自分じゃ勝てなくても、負ける方に張っときゃ、誰かが仇を取ってくれたときに儲かるよ。……あ、それと。お嬢様が配信しなかった日は、数えないから。七回配信してもらうあいだに、負けるかどうか。逃げても、締め切りが延びるだけだよ。……張るお金がない? 大丈夫、俺が貸すよ。利子は、ちょっとだけ。この指、とーまれ」
【コメント】は?
【コメント】お嬢が負けるかどうかの賭け
【コメント】負ける方に張られるほど、懸賞が膨らむのか
【コメント】懸賞目当ての狩人が集まる→負ける方に張るやつが増える→懸賞がもっと膨らむ
【コメント】よくできてんな、腹立つけど
【コメント】被害者の会、全員「負ける」に張るぞこれ
【コメント】自分で戦わなくても、仇が取れて儲かるんだもんな
【コメント】俺は「負けない」に張る 七日で負けるわけない
【コメント】それはそれで、お嬢が吹っ飛ばすたびに儲かるのか
【コメント】ログインしなきゃ負けない、の抜け道もふさいだ
【コメント】金まで貸すのかよ
【コメント】「ちょっとだけ」が一番信用ならん
【コメント】どっちに転んでも、場代はダブクロに入るんだよな
【コメント】配当は賭け札で出て、港の交換所で現金に替えるやつな
【コメント】交換所はダブクロとは関係ありません、って建前の
【コメント】名前どおり、両方から取るのか
【コメント】これ、プレイヤー同士の戦争になるやつでは
小夜さんが、わたくしの袖を、強く引いた。
「……瑠璃華」
「なんですの」
「今の、分かってる? あなたを倒したら、懸賞がもらえるって。七日のうちに、街じゅうのプレイヤーが、あなたを狙いに来るってことだよ」
わたくしは、日傘を開いた。
広場の端で、ダブルクロス様が、こちらに向かって片目をつむってみせた。
「まあ。わたくしを倒しにいらっしゃる方々を、あの方が集めてくださるのですね」
「……は?」
「以前、わたくし、招待状をお出ししたことがございますでしょう。悪党の皆様へ、と。あれは、刷り代が三倍でしたのよ」
わたくしは、ダブルクロス様に向かって、軽く膝を折った。
「お招きの手間が、省けますわ。ありがとうございます、ダブルクロス様」
ダブルクロス様は、一瞬だけ、きょとんとした顔をした。
それから、腹を抱えて笑い出した。
「最高! やっぱお嬢様、最高だわ! ――みんな、今の切り抜いて!」
【コメント】お礼言った
【コメント】懸賞金かけられて、お礼言った
【コメント】お招きの手間が省けますわ
【コメント】噴水広場のお茶会の再来か
【コメント】ダブクロ、爆笑してる
【コメント】この二人、絶対混ぜたらダメなやつ
【コメント】小夜ちゃん、頭抱えてる




