第73話わたくしには、一票もございませんの?
「投票日でも、串は焼きますよ」
鈴村さんは、いつもの焼き台の前で、いつものように団扇を動かしていた。
前掛けも、いつもの前掛けだった。今日、この方の名前が丘の上で数えられるのだとは、とても思えないほどに。
「お休みにはなりませんの?」
「休んだら、落ち着かないものですから。……それに、串屋が選挙の日に屋台を閉めていたら、皆さん、もう勝ったつもりでいると思うでしょう」
鈴村さんは、困ったように笑った。
【コメント】おはよう
【コメント】候補者、投票日に串焼いてる
【コメント】もう勝ったつもりと思われたくない、って謙虚すぎる
【コメント】この人の好感度、上限ないのか
屋台の奥から、小夜さんが竹籠を提げて出てきた。前掛けを外して、髪をきちんと結い直している。
「じゃ、行ってくる」
「どちらへ?」
「投票。丘の上まで」
小夜さんは、竹籠を持ち直した。
「お昼過ぎまでには戻るから。鈴村さん、ひとりで大丈夫?」
「大丈夫ですよ。今日は、私がずっとおりますから」
鈴村さんが、穏やかに言った。
小夜さんは、少しだけ顔をしかめた。
「……言っとくけど、この前の屋台番、串、二本しか焦がしてないからね」
【コメント】二本焦がしたのか
【コメント】演説の日の屋台番か
【コメント】小夜ちゃん、焦げ二本で済ませたの偉い
わたくしは、丸椅子から立ち上がった。
「わたくしも、ご一緒いたしますわ。一票、投じて参りませんと」
「……あなたは無理だよ」
「はい?」
「プレイヤーは、入れられないんだって。住民の選挙だから。門のところで、そう言われてる人いたよ」
わたくしは、日傘の柄を握ったまま、しばらく黙った。
「わたくしには、一票もございませんの?」
「ないよ」
「一票も?」
「ないってば」
【コメント】www
【コメント】一票もございませんの?
【コメント】お嬢、投票する気だった
【コメント】そもそも誰に入れる気だったんだ
【コメント】どっちも素敵ですわ(無効票)
【コメント】お嬢に投票権がない世界線でよかった
*
結局、丘の石段の下まで、小夜さんを見送りに行った。
石段の下は、思いのほか賑わっていた。上っていく前掛けの方々、下りてくる前掛けの方々。その流れの脇に、いつの間にか、露店がいくつか並んでいる。焼き栗、甘酒、それから、小さな赤い瓶を並べた台がひとつ。
赤い瓶の台には、手書きの値札が立ててあった。
小さな、丁寧な字だった。値段の下に、もっと小さな字で、何か細かく書き込んである。台の向こうでは、肩までの髪の女の方が、頭を下げるでもなく、声をかけるでもなく、ただ静かに座っていた。
【コメント】回復薬の露店だ
【コメント】あれ、灯台の丘の下の薬屋じゃね
【コメント】値札の裏にびっしり書いてあるとこ
【コメント】演説会のけが人目当てで来てるのかな
【コメント】商売上手……というか、お嬢の行く先々に出店してない?
【コメント】被害者の会の常連の店だぞ
素敵な字ですわね、と思った。
けれど、今日は回復薬の用はない。わたくしは、軽く会釈だけして、通り過ぎた。
女の方は、会釈を返そうとして、口を開きかけて、それから、何も言わずに、小さく頭を下げた。
「じゃ、行ってくるね」
小夜さんが、石段を上っていった。
わたくしは、その背中が白い石の段に変わるあたりで見えなくなるまで、下から見送った。
*
お昼まで、ずいぶん時間があった。
坂へ戻る道すがら、歓楽街の方が、妙に騒がしいことに気づいた。
噴水広場の手前、いちばん大きな賭場の前に、人だかりができていた。
賭場の壁に、大きな板が掲げてある。墨で書いた、二つの名前と、二つの数字。
――鈴村 一倍と一分。
――関谷 十二倍。
――胴元 XX。
【コメント】賭場が選挙で賭けやってる
【コメント】鈴村さん、ほぼ鉄板
【コメント】一倍と一分って、ほぼ儲からないじゃん
【コメント】関谷十二倍、大穴だな
その板の前で、男の方がひとり、こちらに背を向けて、両手を広げていた。
「――さあさあ、みんな! 最終オッズ、出たよ! 串屋の旦那、一倍と一分! 隊長さん、十二倍!」
よく通る、明るい声だった。
ディーラーのような胴着に、袖留め。指先で、金色の小さなサイコロを、ころころと転がしている。宙のどこか一点を見ながら、そこへ向かって喋っていた。配信をしているのだ。
「みんなの張った分、ちゃんと帳面につけてあるからね。で、俺の張り先なんだけど……」
男の方は、サイコロを指で弾いて、宙で掴んだ。
「隊長に、全部」
人だかりが、どっとどよめいた。
「鉄板に張るのは、ギャンブルじゃないっしょ。張った張った、まだ締め切ってないよ! ――あ」
男の方が、振り返った。
目が合った。若い方だった。笑うと、目が糸のように細くなる。
「うわ、本物じゃん。悪辣非道のお嬢様だ。みんな見て、本物!」
【コメント】誰こいつ
【コメント】板の胴元のとこ、XXって書いてある
【コメント】バツバツ?
【コメント】伏せ字かと思った
【コメント】エックスエックスだろ
【コメント】ダブルクロスって読むらしい 賭け配信の人
【コメント】長いからダブクロで
【コメント】いやクロスだろ
【コメント】どっちでもいいわ
「ごきげんよう。……ええと」
賭場の板のいちばん下に書かれた、胴元の名前を見上げる。
XX。
「どう、お読みすればよろしいのかしら」
「XX。よろしく、お嬢様」
ダブルクロス様は、片手を胸に当てて、大げさにお辞儀をした。
それから、顔を上げて、楽しそうに笑った。
「ダブルクロスって、裏切りって意味ね。名前で先に言ってんだから、騙されても文句なしってこと。……で、お嬢様はどっちに張る? 串屋? 隊長?」
「わたくし、賭け事はいたしませんの」
「えー、もったいない」
「それに、どちらも素敵な方ですもの。どちらかに賭けるだなんて」
「両方素敵、ね。いいね、それ、いい台詞」
ダブルクロス様は、宙に向かって、指を一本立てた。
「みんな、今の切り抜いといて。『お嬢様、両方素敵』。……じゃ、俺、仕込みがあるから。またね、お嬢様。選挙の結果、楽しみにしてて」
ダブルクロス様は、サイコロを指で弾きながら、人だかりの中へ消えていった。
【コメント】軽っ
【コメント】名前で裏切り宣言してるやつ
【コメント】お嬢を配信のネタにしていった
【コメント】仕込みってなんだ
【コメント】隊長に全部張って、仕込みって
【コメント】嫌な予感しかしない
賭場の前の人だかりが、少しずつほどけていく。
その端で、酒の入った杯を抱えた年寄りの方がふたり、声を潜めて話していた。
「……聞いたか。港の裏の路地でな。隊長に入れるって約束すりゃ、銀貨一枚くれるところがあるんだと」
「銀貨一枚? 票ひとつにか」
「おうよ。もう、何十人も並んでるってよ」
わたくしは、日傘を傾けた。
お金で、票を。
港の裏の、路地で。
【コメント】票の買い取り
【コメント】隊長に入れたら銀貨一枚
【コメント】ダブクロの「仕込み」これだろ
【コメント】大穴に全額張って、票を買って大穴を当てる気か
【コメント】隊長本人は絶対知らないやつ
【コメント】お嬢、聞いちゃった
【コメント】港の裏の路地、逃げて




