第65話どちらのご方針も、素敵ですわ
港の詰所の前に、人だかりができていた。
荷主の旦那衆、乾物問屋の番頭、魚市場の仲買人。前掛けを締めたままの方も、算盤を抱えたままの方もいる。皆、詰所の戸口に向かって、口々に何かを言っていた。
「番のいない港に、どうやって荷を預けろってんだ」
「組が下りて三日だぞ。夜の倉庫街で、もう盗みが二件だ」
「下りたって、組の連中は消えちゃいねえ。長屋に固まってるだけだろうが」
【コメント】おはよう
【コメント】朝から詰所が囲まれてる
【コメント】港の商売人たちか
【コメント】組が港を下りて三日か
【コメント】番がいなくなったら、今度は泥棒が出るのか
【コメント】港の倉庫を左右まとめて吹っ飛ばした当事者、ここで日傘さしてるんですが
わたくしは、人だかりのいちばん後ろに立っていた。
隣には、空の竹籠を提げた小夜さん。鈴村さんのお使いで炭を受け取りに来たのに、番のいない港には怖がって荷を出さない船主が多く、炭の船が着いていなかったのだそうだ。
詰所の戸口が開いて、隊長さんが出てきた。
兜は脇に抱えていた。目の下に、濃い隈がある。
「……静かにしろ。言いたいことは、分かってる」
隊長さんは、戸口の脇の空き樽をひとつ引き寄せて、その上に乗った。
「衛兵隊として、はっきり言っておく。組が下りた港は、衛兵が見る。港の荒事は、取り締まる。黒鴉組だろうが、カルティエだろうが、荷主の雇った用心棒だろうが、関係ない。刃物を抜いた者は捕まえる。荷を盗んだ者も捕まえる」
隊長さんは、人だかりを端から端まで、ゆっくりと見渡した。
「港を荒らすような真似をした者は、誰であろうと、だ」
見渡す目が、いちばん後ろで、一拍だけ止まった。
わたくしは、日傘の陰で、深く頷いた。
【コメント】おお
【コメント】隊長かっこいい
【コメント】誰であろうと
【コメント】今、目がこっちで止まったよな
【コメント】止まった
【コメント】お嬢、なんで頷いてんの
【コメント】自分のことだと一ミリも思ってない頷き方
【コメント】お嬢も「わたくしが見ておりますわ」って言ってたぞ
【コメント】見張りが一番危ないんだよなあ
「よく言った、関谷の旦那!」
人だかりの前の方で、誰かが声を上げた。ぱらぱらと拍手が起こって、それが少しずつ大きくなっていく。
「まあ」
わたくしは、小夜さんの方へ身を寄せた。
「隊長さんは、関谷様とおっしゃいましたのね」
「……今まで何回会ってるの」
「両替所で一度、ゲイリー様の自首で一度。今朝で、三度目ですわ」
「三回会ってて、名前知らなかったの?」
「隊長さんは、隊長さんでしたもの」
【コメント】三回会ってて名前知らなかった
【コメント】関谷っていうのか
【コメント】俺らも今知った
【コメント】隊長さんは隊長さん(真理)
拍手が収まりかけたところで、最前列の若い男の方が、樽の上の関谷様を見上げて叫んだ。
仕立ての良い上着を着ていた。組が港を下りた朝、桟橋で、組の者が長屋に固まる方が物騒だとおっしゃっていた、荷主の若旦那だった。
「捕まえるだけじゃ生ぬるい! 港から叩き出せ! あいつらがねぐらにしてる長屋ごとだ!」
何人かが、そうだ、と声を揃えた。
関谷様は、樽の上で、首を横に振った。
「長屋に住んでるのは、組の者だけじゃない。親も、子どももいる。衛兵は、刃物を抜いた者を捕まえる。それ以上はやらん」
「旦那は甘いんだよ!」
若旦那は、吐き捨てるように言って、人だかりの中へ引っ込んだ。
関谷様は、その背中を目で追っていた。それから、樽を降りる前に、もう一度だけ、いちばん後ろを見た。
「……それと、そこの、お嬢さん」
「はい」
「今日は、何もしないでくれ」
「まあ。わたくし、関谷様のご方針に、心から賛成ですのに」
「だから、怖いんだ」
【コメント】www
【コメント】だから怖いんだ
【コメント】隊長、お嬢の扱いが板についてきた
【コメント】両替所のときは「頼むから何もしないでくれ」だったな
【コメント】頼むが取れた
【コメント】諦めの境地
*
坂の角の屋台には、珍しく人が溜まっていた。
長屋のおかみさん方。港の日雇いの方々。それから、杖をついたお爺さんがひとり。丸椅子は全部埋まっていて、溢れた方々は、立ったまま串を齧っていた。
「うちの倅は、組にいる。だがな、港の荷を担いで食ってるんだ。叩き出されたら、どこで食えってんだ」
「詰所の前じゃ、長屋ごと潰せって言ってたらしいよ」
「冗談じゃないよ。うちの隣は組の若いのだけど、ちゃんと挨拶する子だよ」
鈴村さんは、焼き台の前で、黙って串を返していた。
やがて、炭をあおぐ手を止めずに、穏やかな声で言った。
「組の若い衆にも、帰る長屋があります。待っている親御さんもいる。港から締め出せば、その方たちは、港の外で刃物を抜くだけでしょう」
屋台の中が、しんとなった。
おかみさんのひとりが、小さな声で言った。
「……東の長屋のも、港の外の路地で揉めたんだったね」
「……串屋の旦那。あんたが、上に話をつけてくれよ。港の手打ちも、この前の組長同士の卓も、まとめたのはあんただろう」
「とんでもない。私は、ただの串屋ですよ」
鈴村さんは、困ったように笑って、焼けたつくねをお爺さんの皿に載せた。
【コメント】鈴村さん、いいこと言う
【コメント】港の外で刃物を抜くだけ
【コメント】おかみさんの一言、重い
【コメント】詰所は締め出せ派、串屋は共存派
【コメント】街、割れてきたな
【コメント】ただの串屋(両陣営の手打ちをまとめた男)
「鈴村さんのご方針も、素敵ですわ」
わたくしが言うと、隣で串を齧っていた小夜さんが、こちらを見た。
「さっき、隊長さんのにも頷いてたよね」
「ええ。どちらのご方針も、素敵ですもの」
「正反対なんだけど」
「正反対でも、どちらも、港を良くしたいとおっしゃっているのでしょう? でしたら、どちらも素敵ですわ」
小夜さんは、何か言いかけて、串と一緒に飲み込んだ。
【コメント】どっちにも賛成してる
【コメント】いい顔してるんじゃなくて、本気でどっちも素敵だと思ってる
【コメント】それが一番こわい
【コメント】小夜ちゃん、言葉を串と一緒に飲み込んだ
「……小夜さんは、どちらですの?」
「わたし?」
小夜さんは、食べ終えた串を、指先でくるりと回した。
「どっちの言うことも、分かるよ。東の長屋の子のこと考えたら、隊長さんの方。……でも、おばあちゃんなら、たぶん、鈴村さんの方」
それだけ言って、小夜さんは串を屑籠に放った。
鈴村さんが、黙って、新しい一本を小夜さんの皿に置いた。
そのとき、坂の下から、日雇いの方がひとり、息を切らして駆け上がってきた。
「おい、聞いたか。港の若旦那連中が、今夜、北の長屋に『挨拶』に行くってよ」
屋台の中の何人かが、顔を見合わせた。
炭をあおぐ鈴村さんの団扇が、一度だけ、止まった。
「まあ。夜分に、大勢で、ご挨拶」
わたくしは、日傘の柄を握り直した。
「港の周りは、わたくしが見ておりますと、申し上げましたもの。……どちらのご方針が正しいのか、この目で確かめませんと」
「……隊長さんに、何もしないでって言われたよね」
「ええ。ですから、見に参りますの」
【コメント】行くな
【コメント】見に行くだけで済んだ試しがない
【コメント】隊長に何もするなって言われたばっかり
【コメント】北の長屋の人、逃げて




