第63話番のいない港ですわね
翌朝、港は開いていた。
荷揚げ場の門は大きく開かれて、起重機の鉄の腕が、また低い唸りを上げている。昨日えぐれた左右の倉庫も、一夜のうちに、鴉の紋と金の飾り文字を取り戻していた。
ただ、門の両脇に、誰も立っていなかった。
黒い羽織の五人も、灰色の上着の五人も。門の脇の、いつもの場所には、踏み固められた石畳の跡だけが残っていた。
【コメント】おはよう
【コメント】港、開いてる
【コメント】倉庫も戻ってる
【コメント】でも、番がいない
【コメント】ほんとに下りたんだ、両方とも
【コメント】門の脇、がらがら
代わりに、衛兵の方々が二人、門に立っていた。
昨日、刃物を預かる樽を据えていた方だった。目の下に、隈があった。
「おはようございます。今日から、こちらの番は衛兵の皆様ですの?」
「……そうだ。隊長は、ゆうべから一度も座ってない」
【コメント】衛兵さん、昨日の樽の人
【コメント】隊長、また寝てない
【コメント】港の番、衛兵だけでやるのか
【コメント】人数足りるの?
荷揚げ場の中は、いつもより静かだった。
人足の方々は、いた。鉤を担いで、木箱を下ろしている。けれど、掛け声が、少ない。ときどき、手を止めて、門の方を振り返る。
桟橋の端では、荷主の旦那衆が数人、額を寄せ合っていた。
「番がいねえ荷揚げ場に、荷を預けろってのか」
「組の連中がいた頃は、少なくとも、よそ者は入ってこなかった」
「その組の連中が、港で刃物を振り回してたんだろうが」
「それはそうだが……」
いちばん若い、仕立ての良い上着の旦那が、吐き捨てるように言った。
「組が港を下りたって、組の連中が消えるわけじゃねえ。下りた分、長屋に固まるだけだ。そっちの方が、よっぽど物騒だろうが」
【コメント】荷主たち、不安
【コメント】番がいないのも怖い、いても怖い
【コメント】若い旦那、言い方きつい
【コメント】長屋に固まる、か
【コメント】組の若い衆にも家があるもんな
*
倉庫の陰で、大きな背中が、木箱に腰かけていた。
熊の毛皮の胴着。布を巻いた太い腕。胸の前に、「荷主 丸屋」と墨で書いた札が、紐でぶら下がっていた。
「……ゲイリー様?」
「よう、お嬢ちゃん」
ゲイリー様は、札を指でつまんで、面倒くさそうに揺らした。
「出所したら、すっからかんでな。賠償で全部持ってかれた。串屋に三倍払ったのが、最後の銭だ。で、港の番がいなくなったって聞いたから、荷主に用心棒で雇ってもらった。今日一日、この倉庫の前に座ってりゃ、日当が出る」
「まあ。お勤めですのね」
「……その言い方、やめろ。出てきたばっかなんだよ」
【コメント】ゲイリー!
【コメント】用心棒
【コメント】お勤め(意味深)
【コメント】出所直後に「お勤め」はやめてあげて
【コメント】札、首から下げてるの、かわいい
【コメント】元賞金首を用心棒に雇う荷主、度胸ある
【コメント】いや、たぶん一番強いから雇われてる
「稼いで来いって、自分で自分に言ってんだ。家賃が待ってくれねえからな」
ゲイリー様は、首の札を胸の内側にしまい込んで、門の方を顎でしゃくった。
「組の連中、朝から荷物まとめて出てってるぞ。見送りに、串屋の親父が立ってる」
*
門の外の石畳に、鈴村さんが立っていた。
足もとに、竹の皮の包みを、いくつも積んで。荷揚げ場の中から、黒い羽織の若い方々が、荷物を背負って出てくるたびに、ひとつずつ手渡していた。
「お疲れさまでした」
灰色の上着の方々が出てきても、同じように。
「お疲れさまでした」
黒い羽織の若い方が、包みを受け取って、立ち止まった。
「……旦那。あんた、昨日、カルティエの連中にも串、出してたよな」
「ええ」
「なんで、両方なんだよ」
「どちらの方も、お腹は空きますので」
若い方は、包みを見下ろして、それから、鼻をすすった。
「……串屋の旦那だけだよ。こういうこと、してくれんの」
若い方は、包みを懐に入れて、坂の方へ歩いていった。
北の方の長屋へ帰るのだと、すれ違いざまに聞こえた。
【コメント】鈴村さん……
【コメント】両方に串
【コメント】「どちらの方も、お腹は空きますので」
【コメント】この人、ほんとに誰にでも優しい
【コメント】若い衆、泣きそう
【コメント】北の長屋に帰るのか
【コメント】さっきの若い旦那の「長屋に固まる」って、こういうこと
わたくしは、門の脇で、その背中を見送っていた。
気がつくと、隣に、白い影が立っていた。
「スタロ様。ごきげんよう」
「ああ」
スタロ様は、空になった門の両脇を、黙って見ていた。
「……昨日の七人は、止まってた」
「ええ。けれど、抜いていらっしゃいましたもの」
スタロ様は、言い返さなかった。
兜の奥で、短く息を吐く音だけがした。
「……組が下りても、紙は来る」
「まあ」
「仮面のやつは、どこかにいる。昨日の卓に並んだ紙、ひとつも、仮面の顔に届いてない。……下りたのは、組だけだ」
スタロ様は、それだけ言って、光の足場を蹴った。
港の屋根の向こうへ。北の方へ。
【コメント】スタロ、まだ追ってる
【コメント】下りたのは、組だけ
【コメント】カンパネッロ、まだどこかに
【コメント】北の方へ行ったな
*
夕暮れの坂の角で、屋台の暖簾が、風に揺れていた。
鈴村さんは、空になった竹の皮を畳みながら、港の方を見下ろしていた。
わたくしは、いつもの丸椅子に腰を下ろして、焼き上がったつくねを待っていた。
「今日は、たくさんお配りになりましたのね」
「ええ。皆さん、長いことお勤めでしたから」
鈴村さんは、焼き台の網の上で、串を一本ずつ返した。
それから、ふと、手を止めた。
「九条院様」
「はい」
「組が下りた港を、これから、どなたが見るのでしょうね」
「わたくしが、見ておりますわ。お散歩の道すがら」
鈴村さんは、わたくしの顔を見た。ほんの少しだけ、間があった。
「……それは、心強いですね」
鈴村さんは、穏やかに笑って、つくねをわたくしの皿に載せた。
焦げ目が、ちょうどよかった。
【コメント】港を誰が見るのか
【コメント】お嬢が見るって言った
【コメント】一番見ちゃいけない人が
【コメント】港、終わった
【コメント】お散歩の道すがら(毎日通る)
【コメント】鈴村さん、一瞬止まった?
【コメント】心配してる顔だろ、あれは
【コメント】心強いって言ったぞ。大人の対応すぎる




