第6話昨夜のビルの方、ですよね?
二度目の配信は、拠点の扉を開けたところから始めた。
同時視聴、二十七。
昨夜は三人だった。わたくしは扉の把手に手をかけたまま、しばらくその数字を眺めていた。
【コメント】来た
【コメント】ビルの人だ
【コメント】切り抜きから来ました
【コメント】三階です
【コメント】三階の人おって草
【コメント】三階です 回復薬代で大赤字です
【コメント】昨日のビル、朝見に行ったらもう元通りになってた
【コメント】直るからってやっていいことじゃねえんだよ
【コメント】今日は何棟の予定ですか
三階の方が、今夜もいらしている。
よほど気に入っていただけたらしい。わたくしは胸の内でもう一度だけ歓迎を申し上げて、扉を閉めた。
「ごきげんよう、皆様。九条院瑠璃華ですわ。今宵も、この街の平和のために参りましょう」
【コメント】平和(物理)
【コメント】予定を聞いてるんだが
港沿いの坂を下る。
踵、土踏まず、爪先。昨夜より少しだけ、足取りが軽い気がした。
坂を下りきった角に、屋台が一軒出ている。
白い暖簾に、墨で「串」と一文字。炭の匂いと、甘辛いたれの焦げる匂い。この半年、拠点を出入りするたびに前を通ってきた屋台だ。暖簾をくぐったことは一度もない。立ち食いは、お嬢様の食事の作法として、いささか判断に迷うところがあったからだ。
「――あの」
声をかけられて、わたくしは足を止めた。
暖簾の奥から、男がひとり出てきた。前掛けで手を拭きながら、少し困ったように眉を下げている。四十がらみの、穏やかな顔立ちの人だった。髪はきちんと撫でつけられ、前掛けには染みひとつない。
「突然すみません。昨夜、市場通りの……ビルの方、ですよね?」
【コメント】ビルの方
【コメント】呼び名それで定着すんの?
【コメント】NPCにまで知られてて草
わたくしは、日傘を傾けて微笑んだ。
「九条院瑠璃華ですわ。ビルではございませんの」
「あ、ああ、失礼しました。九条院さん」
男は慌てて頭を下げた。深く、きっちりと、角度まで揃えたような一礼だった。
「鈴村と申します。この角で、串焼きの屋台をやっておりまして。……昨夜の件は、今朝からこの辺りでも噂になっていて。お嬢さんの格好をした方が、盗人をひとり、一歩も動かずに捕まえたと」
一歩も動かずに。
正確に伝わっている。わたくしは、少しだけ背筋を伸ばした。
「それで、その……厚かましいお願いなのは、重々承知なんですが」
鈴村さんは、そこで言葉を切った。
屋台の方を振り返り、それから、わたくしの方へ向き直る。
「ひと月ほど前から、用心棒を名乗る連中が来るようになりまして。この角で商売を続けたければ、守り代を払えと」
「守り代」
「ええ。何から守ってくれるのかは、教えてもらえないんですが」
鈴村さんは、自嘲するように小さく笑った。
「最初のうちは払っていました。揉め事は嫌いですし、店を続けられるならと。でも、額が週ごとに上がっていって……先週、もう払えないと言ったら、屋台を蹴倒されました。今夜、また来るそうです。九つの鐘が鳴るころに」
【コメント】みかじめ料か
【コメント】ベタな小悪党だな
【コメント】おっちゃんいい人そう
【コメント】これは爆破案件
わたくしは、黙って聞いていた。
胸の奥で、何かが静かに満ちていくのが分かった。
ご依頼だ。
わたくしが、お願いされている。
昨夜は、事件を探して街を歩いた。記録を読み、印をつけ、事件の起きそうな場所へ自分から出向いた。それはそれで間違ってはいなかったと思う。
けれど今夜は違う。事件の方から、わたくしを訪ねてきてくださった。
欲しいものほど、自ら追いかけてはいけない。
追いかけずにいれば、向こうから来る。万里花様の教えは、やはり正しかった。
「承りましたわ」
わたくしは、日傘の柄をそっと握り直した。
「困っている方を見過ごすのは、お嬢様の流儀ではございませんもの」
「本当ですか。ありがとうございます、本当に……」
鈴村さんはもう一度、深々と頭を下げた。
それから顔を上げて、少しだけ言いにくそうに、声を落とした。
「あの、ひとつだけ。できれば……その、あまり大事にはしないでいただけると、助かります。この角には、うちのほかにも店がありますし。裏には長屋もありますので」
【コメント】ビル倒した人に言うセリフ
【コメント】おっちゃん切実で草
【コメント】正しい釘の刺し方
わたくしは、にっこりと微笑んだ。
「善処いたしますわ」
【コメント】善処
【コメント】政治家の答弁
【コメント】長屋ごといきそう
鈴村さんは、ほっとしたように息をついた。
額にうっすら浮いていた汗を手の甲で拭い、屋台の方へ半身を向ける。
「よろしければ、鐘が鳴るまで中でお待ちください。お代は結構ですので。せめてものお礼に」
九つの鐘まで、あと一刻ほどある。
わたくしは暖簾を見上げた。白地に墨の「串」の一文字。この半年、一度もくぐったことのない暖簾だ。
迷ったのは、ほんの一瞬だった。
お嬢様は、殿方の厚意を無下にはしない。
「では、お言葉に甘えまして」
暖簾をくぐる。
炭の熱が、頬にふわりと当たった。
屋台の中は、思っていたより整っていた。串は太さ順に並べられ、たれの壺の縁は拭き清められ、炭は火の強い順に三つの区画へ寄せてある。蹴倒されたのが先週だとは思えないほどだった。
よほど丁寧に建て直したのだろう。几帳面な方なのだ。
鈴村さんが、丸椅子をひとつ引いてくれた。
わたくしはドレスの裾を整えて、そこに腰を下ろした。
椅子に座るのは、慣れている。
座ったまま、相手が来るのを待つのも。
鈴村さんが、焼き上がった串を一本、皿に載せて出してくれた。
鶏の腿に、たれが艶よく絡んでいる。わたくしは手袋を外し、串の端を指先でつまんで、ひと口ぶんだけ歯で外した。串を横にしゃぶるような真似はしない。そこだけは譲れなかった。
「……美味しいですわ」
本心だった。甘辛いたれの奥に、炭の香りが細く残る。
鈴村さんは、嬉しそうに目を細めた。
「よかった。……失礼ですが、九条院さんは、どうしてああいうことを? 配信というのは、その、見せ物のためにやるものだと思っていたので」
「ヒーローですもの」
わたくしは、串を皿に戻した。
「困っている方を助けて、悪い方を懲らしめる。それを、お嬢様らしく優雅に。わたくしは、それを皆様にお見せしたいのですわ。人を動かしてこそ、お嬢様ですから」
「人を、動かす」
「ええ。わたくしの尊敬するお方の言葉ですの」
鈴村さんは、串を返す手を止めずに、静かに頷いた。
遮らず、急かさず、茶化しもしない。わたくしが話し終えるまで、ちょうどよい間で相槌を打ち、話し終えたところで、ちょうどよい笑みを返す。
「いいお言葉ですね。……人を動かす。覚えておきます」
【コメント】おっちゃん聞き上手だな
【コメント】おっちゃん普通にいい人
【コメント】お嬢の話を真面目に聞いてくれる数少ない存在
【コメント】串うまそう
通りの向こうで、鐘楼の影が長く伸びていた。
九つの鐘まで、あと少し。
【コメント】屋台にドレスのお嬢様って絵面強いな
【コメント】待機
炭が、ぱちりと爆ぜた。




