↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪辣非道お嬢様配信 ~わたくし、お嬢様道を実践しているだけですの~  作者: 白い鴉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/107

第5話三階からいらした方も、ようこそ

 男の足もとに、林檎がひとつ転がっていた。

 わたくしは屈んで、それを拾い上げた。ドレスの裾が石畳に触れないよう、膝を揃えて。表面に白い粉塵がうっすらと積もっていたので、手袋の指先で払う。赤が戻った。


「そちらも、よろしいかしら」


 男の腕の中に、もうひとつ残っている。

 手を差し出すと、男はそれをわたくしの手のひらに載せた。奪い返すまでもなかった。まるで、最初からわたくしに届けるつもりで抱えていたかのような、素直な渡し方だった。


 背後が、騒がしくなっていた。

 瓦礫の向こうから、足音がいくつも駆けてくる。石を退かす音。誰かが誰かの名前を呼んでいる。何度も、同じ名前を。

 わたくしは振り返らなかった。お嬢様の背中は、そういうときのためにあるのではない。


 きっと、中にいらした方々のお知り合いだろう。

 お気の毒なことだった。夕食の最中だったのかもしれない。

 けれど、道は閉じた。この通りの枝道は、今夜からしばらく、盗人の逃げ場ではなくなる。


【コメント】あのビル一階に食堂入ってなかった?

【コメント】今のビルの三階にいたんだが?????

【コメント】今リスポーン地点なんだが?????


 視界の端を、文字が慌ただしく流れていく。

 三階に、いらした方。


 わたくしは、少しだけ目を瞬いた。

 あのビルにいらして、そこからわざわざ、この配信を探して見に来てくださったのだ。今夜の出来事を、いちばん近くで体験なさった方が。

 なんて、ありがたいことだろう。


【コメント】被害者本人来てて草

【コメント】草じゃねえよ

【コメント】NPCの人らは……


 同時視聴は、四十を超えていた。

 三人から始まった数字が、たった数分でこれほどに。騒ぎを聞きつけた近くの方々が、次々と覗きに来てくださっているらしい。三階の方の書き込みは、そのあとも続いた。疑問符が、一回ごとに増えていく。

 よほど、興奮していらっしゃるのだろう。


 三階からいらした方も、ようこそ。


 心の中でそう申し上げて、わたくしは林檎を二つ抱え直した。


【コメント】これ賞金首確定だろ

【コメント】初配信で指名手配はさすがに伝説

【コメント】……表示出なくない?


 伝説。

 初配信で、もうそんなお言葉をいただけるとは思わなかった。


 賞金首。

 あの男の方のことだろうか。確かに、盗みは罪だ。けれど林檎二つで賞金首とは、この街の法も随分と厳しい。

 書き込みはすぐに別の話題に押し流されて、わたくしもそれきり気にしなかった。


 男は、まだ瓦礫の前に座り込んでいた。

 わたくしは日傘を傾けて、その顔を覗き込んだ。


「二度と、なさいませんように」


 男は、首がもげそうなほど何度も頷いた。

 よろしい。人は、言葉で動かすものだ。


 来た道を、また一分かけて戻る。

 青果店の店主は、わたくしが立ち去ったときと寸分違わぬ姿勢で、口を開けたまま立っていた。店先の林檎の山が、爆風でいくつか崩れて転がっている。


「こちら、お返しいたしますわ」


 差し出した林檎を、店主は受け取った。受け取ったというより、手のひらに置かれるまま、じっとしていた。

 やがて、乾いた唇がようやく動いた。


「あ……ありがとう、ございます……?」


 語尾が、ほんの少しだけ上がっていた。

 お礼を言い慣れていらっしゃらないのだろう。わたくしは鷹揚に頷いた。

 隣の露店の女将が、わたくしと目が合った途端、並べていた小間物を黙って布で覆い隠した。夜風で埃が入らないように、という心遣いに違いない。この通りの方々は、なかなか気が利いている。


 二つの林檎。

 たったそれだけのために、わたくしはこの通りへ来たのではない。けれど、この二つが持ち主の手に戻ったことには、確かな意味がある。この二つだけではない。明日盗まれるはずだった品も、明後日盗まれるはずだった品も、今夜、まとめてこの手に取り戻したのだ。


 振り返ると、通りの奥にはまだ灰色の煙が残っていた。

 その向こうで、通りは確かに塞がっている。


 わたくしは、カメラの方を向いた。


「これで、あの方にこの先盗まれるはずだった品々も、すべて守られましたわね」


 言葉にすると、胸の奥がすっと澄んでいくようだった。

 一歩も走らず、汗の一滴もかかず、追いかけられる側に座ったまま、わたくしは盗人を捕まえた。ビルひとつと引き換えに、この通りの明日からの被害を、丸ごと未然に防いだ。

 これ以上の結果が、あるだろうか。


「九条院瑠璃華の初陣、いかがでしたかしら。皆様、ごきげんよう」


【コメント】初陣の規模じゃない

【コメント】ごきげんようで締めるな

【コメント】おうえん、してます……?


 最後の書き込みに、目が留まった。

 最初に「応援してます」と言ってくださった方だ。今度は少し控えめに、語尾を上げていらっしゃる。

 きっと、照れていらっしゃるのだろう。


 わたくしは、微笑んで配信を閉じた。


   *


 目を開けると、天井が暗かった。


 ヘッドギアを外す。こめかみに、クッションの跡が残っている。

 身体の重さが戻ってくる。背中がシーツに沈み、脚はそこにあるのに、どこにも力が入らない。ダイブのあとは、いつもこうだ。向こうで立っていた分だけ、こちらの身体が少し遠く感じる。

 私はしばらく、そのまま天井を見ていた。


 心臓が、まだ速かった。


 手を伸ばして、枕元のタブレットを取る。

 配信サイトの、自分のチャンネルを開く。


 登録者、1。


 指が止まった。

 ダイブする前まで、そこには0と書いてあった。


 誰かが、見ていてくれた。

 あの三人のうちの誰か。あるいは、あとから来てくれた四十人のうちの誰か。どこの誰かは分からない。でも、あの夜の私を見て、もう一度見たいと思ってくれた誰かが、この世界のどこかに一人いる。


 私はタブレットを胸の上に伏せて、目を閉じた。

 少しだけ、泣きそうだった。


 泣く代わりに、タブレットをもう一度持ち上げた。

 メモ帳の「悪党出没マップ」を開く。市場通りの四つ辻に付けた印の横に、小さく丸を書き足した。

 それから、地図を少し下へずらす。港の倉庫街に、印が三つ。東の歓楽街に、五つ。

 次は、どこにしよう。


 しばらくして、机の引き出しのノートのことを思い出した。

 万里花様の言葉を書き写した、あのノート。明日の朝、あのページの横に書き足そうと思う。


 欲しいものほど、自ら追いかけてはいけない。

 ――実践済み。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。