第57話カンパネッロ、ですって?
すり鉢の縁に、最初に駆けつけてきたのは、灰色の外套だった。
ラクロワ様は、いつものように急ぐ様子もなく、商館の方から歩いてきた。白い手袋の指先で、すり鉢の底の木箱を示し、供の者に回収させる。それから、ようやく、わたくしの方を向いた。
「おはようございます、マドモアゼル。今朝も、港は風通しがよろしいようで」
「ごきげんよう、ラクロワ様。番の方々が、木箱の取り合いをなさっていましたの」
「ええ。窓から拝見しておりました」
【コメント】エドモン来た
【コメント】窓から見てたのかよ
【コメント】自分とこの番、五人消えたのに顔色ひとつ変えない
【コメント】この人の感情、どこにあるんだ
少し遅れて、黒い羽織の男が、荷揚げ場の入口から大股でやってきた。
白髪混じりの、年配の方だった。片目の上に、古い刀傷がある。尾崎様の姿は、どこにもなかった。まだ、屋敷で謹慎していらっしゃるのだろう。
「黒鴉組の、番頭格の者だ。親父の名代で来た」
年配の方は、すり鉢を一瞥して、舌打ちをした。
それから、わたくしではなく、ラクロワ様を睨みつけた。
「おい、カルティエの。うちの若いのに、こんなもん寄越したのは、お前んとこか」
年配の方は、懐から、四つに折った紙を取り出して、ラクロワ様の鼻先に突きつけた。
ラクロワ様は、それを手袋の指でつまんで、広げた。
――明朝、一つ目の鐘。上からの最初の荷を、向こうが奪いに来る。先に押さえろ。
「……ほう」
ラクロワ様は、紙を眺めたまま、反対の手で、自分の懐を探った。
取り出したのは、同じように四つに折った、同じ大きさの紙だった。
――明朝、一つ目の鐘。上からの最初の荷を、向こうが奪いに来る。先に押さえろ。
【コメント】同じ文面!?
【コメント】両方に同じ投げ文
【コメント】誰かが両方を煽った
【コメント】揉めたの、仕組まれてたのか
【コメント】筆跡も同じに見える
「今朝、私どもの番の詰所にも、届いておりました」
「……なに」
「同じ手でしょうな。ついでに申し上げると、先日、両替所の強盗の懐から出たという紙切れ。港の衛兵隊長殿がお持ちのあれも、おそらく同じ手です」
年配の方の、傷のある目が、すうっと細くなった。
「お前、なんでそんなことまで知ってる」
「知るのが商売ですので」
ラクロワ様は、二枚の紙を重ねて、年配の方に返した。
「港の裏で、近頃こういう紙が出回っておりましてね。騒ぎの前には、決まって誰かの懐に届く。そして、どの紙にも、必ず鐘の刻が書いてある。一つ目の鐘、三つ目の鐘、と」
ラクロワ様は、紙の端の「一つ目の鐘」のところを、手袋の指先で軽く叩いた。
「南から来る船乗りたちが、いつの頃からか、その差出人を『鐘の人』と呼ぶようになりました。彼らの言葉で――カンパネッロ、と」
「――カンパネッロ」
わたくしは、その名前を、口の中で転がしてみた。
騒ぎの前に、決まってお手紙が届く。
……でしたら、そのお手紙の行き先には、わたくしのお務めも、きっと待っているのだろう。
「まあ。素敵な響きですこと」
「素敵じゃねえ」
年配の方が、即座に言った。
【コメント】カンパネッロ
【コメント】鐘の人
【コメント】鐘の人って呼び方、ちょっと怖い
【コメント】お嬢、素敵って言った
【コメント】番頭、即答で否定
【コメント】素敵じゃねえ(正論)
「南の船乗りってのは、お前んとこの船の連中だろうが」
年配の方は、ラクロワ様に向かって、顎をしゃくった。
「つまりは、お前の差し金だろう。自分とこの番まで吹っ飛ばさせて、何食わぬ顔で、うちに罪をなすりつける気か」
「私どもの船に南の者が多いのは、確かです。ですが、あだ名を付けたのが船乗りだというだけで、本人がどこの誰かは、存じません。ただ、顔を見た者が言うには――顔が、ないそうです」
「顔がない?」
「仮面だそうですよ。表情のない、のっぺりとした」
わたくしは、日傘の柄を握り直した。
「その方でしたら、お見かけしましたわ」
ラクロワ様と、年配の方が、同時にこちらを向いた。
「両替所の向かいの屋根の上に、立っていらっしゃいましたの。黒い外套で、お顔に仮面をつけた、背の高い方。見物の方かと思っておりましたけれど」
「……マドモアゼル。それは、いつのことです」
「わたくしが、両替所をお片付けする、少し前ですわ」
ラクロワ様は、ほんの一瞬だけ、黙った。
白い手袋の指が、外套の襟の銀の鎖に、そっと触れた。
「……なるほど。ありがとうございます。良いことを伺いました」
【コメント】エドモン、本気で興味持った顔
【コメント】考察配信で言ってたやつだ
【コメント】カンパネッロ=屋根の仮面の人
【コメント】南の船乗りが名付け親なら、やっぱりカルティエの手先じゃないの?
【コメント】自分とこの船乗りに呼ばせて、知らないふりしてる説
【コメント】それな、エドモンならやりかねない
年配の方は、まだラクロワ様を疑わしげに睨んでいたけれど、やがて、舌打ちをひとつして、紙を懐にしまった。
「……親父に伝える。港の番は、今日は、うちからは出さねえ」
「では、私どもも。今日一日は、港を休ませましょう」
港が、また閉まる。
わたくしは、少しだけ首を傾げた。木箱は、無事だったのに。
*
すり鉢の向こうで、瓦礫の山が、ごそりと動いた。
光の足場の音がした。いつの間に戻っていらしたのか、スタロ様が、瓦礫を両手でどけていた。その下から、荷揚げの人足の方がひとり、引っ張り出される。爆風で飛んだ石に、足をやられたらしい。脛が、おかしな方へ曲がっていた。
スタロ様は、その方を、そっと背中に負った。
「医者、どこだ」
「……あ、あんた。いいよ、そんな。明日になりゃ、勝手に治るんだ」
「今、痛いだろ」
スタロ様は、それだけ言って、背中の人足の方ごと、光の足場を蹴った。
起重機の操縦台から、年配の番の方が、口を半開きにして、その背中を見送っていた。
「……背負ってったぞ。明日には治るのに」
【コメント】スタロ戻ってきてた
【コメント】東の件、もう片付けたのか、早すぎ
【コメント】骨折した人足、医者まで背負ってった
【コメント】明日には治るのに
【コメント】「今、痛いだろ」
【コメント】スタロ、ゲームを災害救助か何かだと思ってない?
【コメント】NPCの骨折で医者まで運ぶ人、初めて見た
【コメント】俺なら回復薬ぶっかけて終わり
【コメント】お嬢は吹き飛ばして終わり
【コメント】極端と極端
わたくしは、光の足場が、港の屋根の向こうへ遠ざかっていくのを眺めていた。
「スタロ様は、本当に、お優しい方ですわね」
【コメント】お前が言うな
【コメント】骨折の原因、お嬢の爆風なんだが
【コメント】自覚ゼロで褒めてる
【コメント】この二人、足して二で割ったら、ちょうど普通の人になりそう




