第56話どちらが先か、伺うのも面倒ですわ
港の鐘楼で、朝の一つ目の鐘が鳴り終わった。
桟橋には、上層の連絡艇が一隻、横づけされていた。
白い腹が開いて、中から木箱がひとつ、起重機の鉄の腕に吊られて降りてくる。箱の側面には、青く光る刻印。上層の商会の紋だろう。港が開いてから、上から直に届く、最初の荷らしかった。
その真下に、十人の男たちが集まっていた。
【コメント】おはよう
【コメント】港の荷揚げ場だ
【コメント】黒い羽織が五人と、灰色の上着が五人
【コメント】串屋の親父が手打ちさせた、両陣営の合同の番だろ
【コメント】仲良く仕事してる……ようには見えないな
木箱が、石畳の上に、どすんと降ろされた。
次の瞬間、黒い羽織の一人と、灰色の上着の一人が、同時に木箱の取っ手を掴んだ。
「離せ。これはうちが運ぶ」
「冗談じゃない。上層の商会の荷だ、うちの旦那の取引先だろうが」
「港の荷は、番が交代で運ぶ決まりだ。今朝の一番目は、うちの番だ」
「帳面を見ろ。今朝の一番目は、うちだ」
取っ手を掴んだまま、二人が睨み合う。
その後ろで、残りの八人が、じりじりと距離を詰めていった。
【コメント】始まった
【コメント】どっちが先に運ぶかで揉めてる
【コメント】小さい
【コメント】子どもか
【コメント】いやでも、こういう小さいので抗争が再燃するんだよ
【コメント】串屋の親父、呼んでこい
わたくしは、荷揚げ場の入口で、日傘を傾けて、その様子を眺めていた。
上から直に届く、最初の荷。それを、手打ちしたばかりの両陣営が、並んで受け取る。
何かが起きるとしたら、今朝のここだろうと思っていた。だから、一つ目の鐘より先に、ここへ来ていた。
黒い羽織の方々も、灰色の上着の方々も、どちらも引くつもりはなさそうだった。
黒い羽織の誰かが、腰の得物に手をかけた。灰色の上着の誰かが、鉤を握り直した。
どちらが正しいのだろう。
帳面を確かめて、交代の決まりを伺って、今朝の一番目がどちらだったのか、お一人ずつ、お話を聞いて――
わたくしは、首を傾げた。
それを全部伺っているあいだに、どちらかが得物を抜く。抜けば、もう一方も抜く。せっかく鈴村さんがまとめてくださった港が、また閉まってしまう。
それに、たかが木箱ひとつのために、朝の港で、あれこれと聞いて回るのは。
「どちらが先か、伺うのも面倒ですわ」
【コメント】あ
【コメント】面倒って言った
【コメント】野暮の次は面倒か
【コメント】理由がどんどん雑になってる
【コメント】スタロとの約束は!?
スタロ様との、お約束。
わたくしは、港の空を、ぐるりと見渡した。
白い装甲も、光の足場も、見えない。
スタロ様がいらっしゃらないのなら、わたくしは、三十秒お待ちする。それが、わたくしなりのお約束の守り方だった。
今度は、声に出しては数えなかった。
日傘の柄を指でとん、とん、と叩きながら、胸の内で。
【コメント】……今、黙って数えてる?
【コメント】日傘、指で叩いてるの、それか
【コメント】前回の三十秒を学習して、声に出すのをやめた
【コメント】学習するとこそこじゃない
【コメント】スタロ、急げ!!
取っ手の木箱が、ぎしりと鳴った。
黒い羽織の方が、得物を半分、抜いた。
起重機の操縦台に、年配の番の方が座っていた。
鉄の腕の上、荷揚げ場をいちばん高いところから見下ろせる場所。両陣営の十人が、その目の真下に、ちょうど収まっている。
柔らかい目だった。
――とん。三十。
呼吸をひとつ。
――高い視界。石畳の上の木箱。取っ手を掴む二本の腕。黒と灰色の、十の背中。
白。
起重機の鉄の腕が、大きくしなって、ぎしぎしと唸った。
石畳が、木箱を中心に、すり鉢のように抉れて持ち上がる。黒い羽織も、灰色の上着も、取っ手を掴んだ腕も、同じ白の中に呑まれて、港の朝の空へ散っていった。
光の粒が、十。
潮風に乗って、ゆっくりと昇っていく。
木箱だけが、ひとつ、すり鉢の底に転がっていた。
蓋が外れて、中から、上層の刻印の入った硝子の瓶が、いくつも、きらきらと覗いていた。
【コメント】
【コメント】十人、まとめて
【コメント】両方
【コメント】木箱だけ無事なのなんなの
【コメント】取り合いの原因だけ残った
【コメント】起重機のじいさん、操縦台で固まってる
【コメント】港、また閉まるんじゃ
港の空の向こうから、光の足場の音がした。
軽い靴音が、ひとつ、ふたつ、みっつ。空中の見えない段を、ものすごい速さで駆け下りてくる。
白い影が、すり鉢の縁に、音もなく降り立った。
スタロ様だった。
蛍光の線が、ひどく速く明滅している。肩が、大きく上下していた。どこか遠くから、全力で走ってきたのだろう。
「…………」
スタロ様は、すり鉢の底の木箱と、まだ昇っていく最後の光の粒と、わたくしの顔とを、順番に見た。
「……三秒」
「はい?」
「三秒、遅かった……!」
【コメント】スタロ!
【コメント】三秒!
【コメント】惜しい!!
【コメント】前回より圧倒的に早い
【コメント】ほんとに「もっと早く走る」を実行してる
【コメント】それでも三秒足りない
「ごきげんよう、スタロ様。ちゃんと、三十秒お待ちいたしましたわ」
「知ってる! 配信見ながら走ってた! 日傘とんとん叩いてるの、ずっと見えてた!」
「まあ。それでしたら、もう少しだけ早くいらしてくださいませ」
「なんで俺が怒られる流れなんだよ!」
スタロ様は、兜の上から額を押さえた。
それから、すり鉢を見下ろして、低い声で言った。
「……何で揉めてた」
「どちらが先に木箱を運ぶか、ですわ」
「それで、十人」
「どちらが先か、伺うのも面倒でしたもの」
「面倒で済ますな!」
そのとき、スタロ様の兜の奥で、何かが小さく鳴った。
スタロ様が、さっと顔を上げる。港の東の方角。
「――くそ、また東だ。黒鴉組とカルティエの下っ端が、路地で刃物出してるって」
「まあ。お忙しいですのね」
「お前が言うな!」
スタロ様は、すり鉢の縁を蹴った。
光の足場が、空に向かって、点々と灯っていく。
「あとで話す! あとで絶対話すからな!」
白い影は、それだけ言い残して、港の屋根の向こうへ消えていった。
【コメント】行っちゃった
【コメント】スタロ、今日だけで何件目だよ
【コメント】朝から東西南北走り回ってるらしい
【コメント】「あとで絶対話す」が全然あとで話せないフラグ
【コメント】お嬢が一件片付けるたびに、スタロの仕事が増えていく
【コメント】いや、東のはお嬢関係ないぞ
【コメント】港の両陣営、手打ちしたのに、あちこちで小競り合い続いてるのか
【コメント】……なんで?




