第48話スタロ様を、三十秒お待ちいたしますわ
港の大通りに、人垣ができていた。
荷揚げ場から桟橋へ向かう、いちばん広い通りだった。いつもなら荷車と人足でごった返している石畳に、今日は誰も踏み込んでいない。通りの両側に、見物の人たちが二重、三重に並んで、首を伸ばして同じ方を見ていた。
その視線の先に、白い石の建物があった。
【コメント】こんにちは
【コメント】なんか人だかり
【コメント】港の大通りだ
【コメント】あの白い建物、上層の銀行の出張所だろ
【コメント】両替所な。先週開いたばっかの
【コメント】衛兵めっちゃいる
二階建ての、四角い建物だった。窓には細い鉄の格子が嵌まっていて、入口の上には、青い光の文字で「上層銀行 港出張所」と浮かんでいる。
その入口を、衛兵の方々が、半円に取り囲んでいた。槍を構え、盾を並べたまま。けれど、誰も一歩も前に出ようとはしなかった。
見物の人たちのざわめきから、事情はすぐに分かった。
「強盗だってよ。五人」
「客を人質に取って、立てこもってるんだと」
「上層行きの連絡艇を一隻、寄越せって言ってるらしい」
「上に逃げる気か」
「さっき、窓から婆さんの顔が見えた。縄で縛られて……」
「覆面の頭の上に、赤い札が出てたぞ。プレイヤーだ」
【コメント】立てこもり!?
【コメント】プレイヤーの強盗か
【コメント】最近多いな、配信しながら店襲う連中
【コメント】人質いるのか
【コメント】上層に逃げる気か、考えたな
【コメント】上層の銀行に押し入って、上層に逃げるの草
【コメント】お嬢、来ちゃった
【コメント】来ちゃったね
わたくしは、人垣の後ろで、日傘を傾けた。
お嬢様は、事件を追いかけない。
けれど、事件の方からいらしてくださったのなら、お迎えしないのは失礼というものだ。
人垣が、わたくしの日傘に気づいて、左右に割れた。
気がつけば、衛兵の方々の半円のすぐ後ろまで、道がまっすぐに開いていた。
【コメント】人垣が割れた
【コメント】モーセかよ
【コメント】みんな逃げてるだけだぞ
【コメント】お嬢の周り、半径三メートル誰もいない
半円の真ん中に、ひときわ大きな兜をかぶった衛兵の方が立っていた。
隊長さんだろう。建物の窓に向かって、何か声を張り上げていたところだった。
その方が、ふと振り返って、わたくしと目が合った。
顔から、すうっと血の気が引いていった。
「……お嬢さん」
「ごきげんよう。お困りのようですわね」
「頼む」
隊長さんは、槍を部下に預けて、わたくしの前まで早足で歩いてきた。
兜の下の顔は、汗でびっしょりだった。
「頼むから、何もしないでくれ。中には客が十人以上いる。上層銀行の職員もいる。今、交渉してるんだ。連絡艇の手配も、嘘でいいから進めてる。時間を稼げば、向こうも疲れる。隙もできる」
「まあ。それは、大変ですわね」
「だから、頼む。何も、しないでくれ」
隊長さんは、同じことを二度おっしゃった。
よほど大切なことなのだろう。
【コメント】隊長、必死
【コメント】衛兵にまで警戒されてて草
【コメント】いや草じゃない、正しい判断
【コメント】この街の衛兵、お嬢の扱いに慣れてきてる
【コメント】慣れたところで止められないんだけどな
わたくしは、建物の窓を見上げた。
人質の方々がいらっしゃる。
悪い方々と、ひとつ屋根の下に。
こういうとき、どうするとお約束したのだったか。
わたくしは、少しだけ考えた。
――次は、俺が見分ける。お前が撃つ前に、俺が悪い奴を見つけて、指をさす。それまで、待ってろ。
――三十秒。
スタロ様との、お約束だった。
わたくしは、通りの左右と、港の空を見渡した。
白い装甲も、蛍光の線も、光の足場も、どこにも見えない。
「隊長さん。スタロ様は、いらしていないのかしら」
「スタロ? あの光るヒーローか。今朝から、東の方の崩れた家の片付けに出てるって聞いたが」
「まあ」
スタロ様は、いらっしゃらない。
いらっしゃらない方に、指をさしていただくことはできない。
けれど、お約束は、お約束だ。
約束を反故にするようなお嬢様は、お嬢様ではない。
「では」
わたくしは、日傘を肩に預けて、背筋を伸ばした。
「スタロ様がいらっしゃるまで、三十秒、お待ちいたしますわ」
「……は?」
「いち」
【コメント】えっ
【コメント】数え始めた
【コメント】そういう約束じゃないだろ!!
【コメント】スタロ、今東で瓦礫どけてるんだぞ
【コメント】三十秒で来れるわけないだろ
【コメント】スタロ逃げて……いや来て……いや、どっちだ
【コメント】誰か東の現場のスタロに連絡しろ
「に」
「お嬢さん、待ってくれ、何を数えて――」
「さん。し」
隊長さんが、わたくしと建物とを、交互に見た。
それから、部下の方々に向かって、腕を大きく振った。
「――下がれ! 全員、盾を構えて下がれ! 見物人もだ! 通りから出ろ!」
「ご。ろく。しち」
衛兵の方々が、盾を並べたまま、じりじりと後ずさっていく。
見物の人たちが、悲鳴を上げて路地へ散っていく。露店の主が、品物を抱えて走っていく。石畳の上に、誰かの落とした草履が片方、ぽつんと残った。
【コメント】隊長、判断が早い
【コメント】さすが慣れてる
【コメント】衛兵が民間人を避難させてる
【コメント】犯人じゃなくてお嬢から
【コメント】正しい
「じゅう。じゅういち。じゅうに」
建物の二階の窓が、乱暴に開いた。
覆面の男が顔を出して、通りに向かって怒鳴った。頭の上に、賞金首の赤い札が浮いていた。
「おい、なんで下がる! 連絡艇はどうした!」
「じゅうさん。じゅうし」
「おい、そこの傘の女! 何を数えてやがる!」
「じゅうご。お気になさらず。じゅうろく」
覆面の男の後ろで、誰かが、小さく泣いている声が聞こえた。
男は舌打ちをして、窓の奥へ振り返った。
「……うるせえ、黙らせろ!」
「じゅうしち。じゅうはち。じゅうく」
【コメント】中で人質が泣いてる
【コメント】犯人、黙らせろって
【コメント】これ、まずい流れでは
【コメント】スタロ来い
【コメント】スタロ来い
【コメント】スタロ来いって!!
「にじゅう。にじゅういち。にじゅうに」
港の空は、青かった。
白い連絡艇が一隻、遠くの浮島へ向かって、音もなく昇っていくのが見えた。光の足場の音は、どこからも聞こえない。
「にじゅうさん。にじゅうし。にじゅうご」
わたくしは、建物の二階の窓を見上げた。
窓の奥に、縄をかけられた人影がいくつか、うずくまっている。その中に、白髪の老婦人がひとり。大きく目を見開いたまま、震えていた。
柔らかい目だった。
「にじゅうろく。にじゅうしち」
【コメント】あと三秒
【コメント】スタロ!!!
【コメント】来ない
【コメント】来ないって
【コメント】東の外れだろ、間に合うわけない
「にじゅうはち。にじゅうく」
港の空に、光の足場は、ひとつも灯らなかった。
「さんじゅう」
わたくしは、小さく息をついた。
「――お約束は、果たしましたわ」




