第43話閑話 夜更けの串は、やけにうまかった
☆ ゲイリー視点 ☆
視界の端が、また滲んだ。
睡眠不足のデバフだ。定時の休みをまともに取らずにいると、こっちの体は正直に鈍っていく。目の端がぼやける。反応が半拍遅れる。拳を握ったときの手応えが、ほんの少し薄い。
分かっていても、休めない。休めば、その間、俺の体は抜け殻になって、この街のどこかに転がることになる。
屋根の上で腹ばいになったまま、下の路地を覗く。
松明が三つ。賞金稼ぎの連中が、角を曲がって消えていった。今夜だけで、四組目だ。
「……しつけえな」
頭の上の赤い札の数字は、今夜もまた少し増えていた。
俺が返り討ちにするたびに、上がる。逃げ延びるたびに、上がる。上がるたびに、狙う奴が増える。よくできた仕組みだと思う。賞金首を狩る側にいた頃は、この数字が上がっていくのを、ありがたく眺めていた。
今は、ありがたくない。
この街の手配書に並ぶ顔は、半分以上がプレイヤーだった。港の倉庫破り、歓楽街の追い剥ぎ、配信しながら店を襲う連中。NPCを倒せば銭が落ちる。店を襲えば、もっと落ちる。狩られるまでは、ヴィランの方がよほど稼げる。
だから、賞金稼ぎという商売が成り立つ。俺は、その商売で、向こうの家賃を払ってきた。
何度考えても、灯台の件は分からなかった。
あのお嬢に殴りかかった瞬間、目の奥が、ちかっとした。目眩ましの類なら、何度も食らったことがある。だが、あれは少し違った。眩しいんじゃない。一瞬だけ、目の奥を、何かが通り抜けていったような。
気づいたら背後の灯台が吹っ飛んでいて、頭の上には赤い数字が浮いていた。
運営に問い合わせは出した。返ってきた答えは、一行だけだった。
――ログを確認しましたが、判定は正常です。
正常なら、しょうがねえ。
プロってのは、そういうもんだ。仕様に文句を言う暇があったら、仕様の中で飯を食う方法を考える。
*
港が開いたのは、夕方に知った。
屋根の陰で、視界の端にあのお嬢の配信のアーカイブを流していたら、ちょうどその回だった。黒鴉組の屋敷で茶を飲んで、カルティエの連中が殴り込んできて、庭が消えた。
声を殺して笑った。何やってんだ、あのお嬢は。組長の目の前で、組長の庭を。
で、そのあと、串屋の親父が出てきて、串で手打ちにした。
串屋。
坂の角の、あの屋台だ。
坂の雑貨屋で、嬢ちゃんに握り飯を食わせてもらったとき、話に何度か出てきた。鈴村さん、鈴村さん。串がうまくて、腰が低くて、誰にでも優しい人。
腹が、鳴った。
この二日、回復薬しか口に入れていない。石段の下の露店の、ラベルが手書きのやつだ。値札の裏に、効き目と副作用が小さい字でびっしり書いてあった。最後の一行に「お大事に」とあった。少しだけ、ぐっときた。
全部の瓶に書いてあった。
夜更けまで待って、屋根を下りた。
*
角の屋台には、まだ灯りが点いていた。
客はいなかった。炭の上で串が三本、じりじりと脂を落としている。暖簾の奥で、前掛けの男がひとり、黙って串を返していた。
俺は、暖簾の前で一度足を止めた。
賞金首が屋台に首を突っ込む。普通なら、店主は顔を強張らせる。追い返すか、黙って見なかったふりをするか、裏口からこっそり誰かを呼びに行くか。この十日で、どれも一通り見た。
「いらっしゃいませ」
男は、串を返す手を止めずに、顔だけ上げて言った。
「こんな遅くまで、お疲れさまです。どうぞ」
それだけだった。
俺は、暖簾をくぐって、丸椅子に腰を下ろした。
椅子は、雑貨屋のよりはましだった。膝が、台の縁に当たらない。
「……串、何本かくれ。なんでもいい」
「ねぎまと、つくねと、皮がございます。今夜は、港が開いたお祝いに、少し多めに焼いておりまして」
「全部」
「かしこまりました」
男は、炭の上の三本を皿に移して、俺の前に置いた。それから、新しい串を、何本も炭の上に並べはじめた。
ねぎまを、ひと口かじった。
……うまかった。
タレが、濃すぎない。甘すぎない。焦げたところまで、ちゃんとうまい。二日ぶりの飯だからか、と一瞬思ったが、たぶん違う。これは、ちゃんとうまい串だ。
「うめえな」
「ありがとうございます。先日、港の問屋から引き取ってきたタレでして。何年も継ぎ足してきたものなんです」
嬢ちゃんが荷車で運んできた樽か、と思った。お嬢が荷台で日傘を差してたやつだ。アーカイブで見た。
皮を食った。つくねを食った。追加の串も、焼けたそばから皿に載った。
男は、余計なことを何も聞かなかった。どこから来たのか。なんで夜更けに一人なのか。
食い終わって、懐から銭を出した。
串の数を数えて、三倍にして、台の上に置いた。
「お代は、結構ですよ」
男は、台の上の銭を、そっと俺の方へ押し戻した。
「小夜さんのお店で、あの子をかばってくださったと伺いました。坂の者は、みんな、ご恩を感じております」
「……恩ってほどのもんじゃねえ。面倒持ち込んだのも、俺だ」
「それでも、です」
俺は、押し戻された銭を、もう一度押し返した。
「払わせてくれ。そういう主義なんだ」
「……では、ありがたく」
男は、軽く頭を下げて、銭を受け取った。
嫌味がない。引き際も、いい。
丸椅子から立ち上がりかけて、ふと、動きが止まった。
何が引っかかったのか、最初は分からなかった。
串はうまかった。店主は親切だった。代金のやり取りも、気持ちのいいもんだった。どこにも文句はない。
ただ。
この十日、俺の前に立った奴は、みんな、最初に俺の頭の上を見た。
賞金稼ぎは、数字を見て、勝てるかどうかを計算する。街の連中は、赤い色を見て、顔を強張らせる。雑貨屋の嬢ちゃんだって、最初は見た。見て、「知ってるよ、頭の上に赤い字出てるもん」と言った。
目線ってのは、そういうもんだ。何かが浮いてりゃ、まず、そこに行く。
この親父は、一度も見なかった。
暖簾をくぐったときも。串を置いたときも。銭を押し戻したときも。
俺の顔から、上へは、一度も。
……見なくても、知ってたのか。
それとも、見る必要が、なかったのか。
そこまで考えて、俺は頭を振った。
寝不足だ。デバフで目の端が滲んでるような奴が、他人の目線の心配をしてどうする。客商売の長い親父なら、客の頭の上なんぞいちいち見ないように躾けてるのかもしれない。そういう店は、たまにある。
「ごちそうさん」
「またお越しください」
男は、串を返しながら、穏やかに笑った。
いつ来ても同じ顔で出迎えてくれそうな、そういう笑い方だった。
暖簾をくぐって、坂を見上げる。
雑貨屋の灯りは、もう消えていた。その少し上、お嬢の拠点のあたりも、真っ暗だった。
坂の連中には、借りがある。握り飯の分と、串の分。ちゃんとした方の意味での、借りが。
いつ返せるのか、見当もつかないが。
遠くで、また松明が揺れた。
俺は、布を巻いた拳を一度だけ握り直して、反対側の路地へ入った。
……いい店だな。
腹の底が、まだ少し温かかった。




