第38話次は、うちが招く
拠点の扉を叩く音は、三度だった。
間を置いて、きっちり三度。
「ごきげんよう、皆様。朝から、お客様のようですわ」
【コメント】おはよう
【コメント】ノック正確すぎる
【コメント】昨日の今日で客?
扉を開けると、石段の下に、黒い羽織がひとつ立っていた。
今日は、表を向けて着ている。背中の鴉が、朝日を受けて翼を広げていた。額には、まだ白い布が巻かれている。
尾崎様だった。
尾崎様は、わたくしの顔を見るなり、腰を折った。
深く。膝に手をついて、背中が地面と平らになるほどに。
「黒鴉組若頭、尾崎連。朝早くから、すまねえ」
「まあ。どうぞ、お顔を上げてくださいまし」
「昨夜の件だ」
尾崎様は、頭を下げたまま言った。
「羽織を裏返して、夜討ちをかけた。番のじじいひとりの倉庫に、油を撒いた。……うちの流儀じゃねえ。俺が止められなかった。俺の不始末だ」
【コメント】謝りに来た
【コメント】お嬢に!?
【コメント】吹き飛ばされた側が頭下げてる
【コメント】ヤクザの筋の通し方
【コメント】この若頭、根は真っ直ぐなんだな
尾崎様は、ようやく体を起こした。
まっすぐに、わたくしを見上げる。港で、荷台の上のわたくしを見たのと同じ目だった。けれど、今日は、見世物を見る目ではなかった。
「そのうえで、ひとつ聞きたい。あんた、カルティエに雇われたのか」
「いいえ。お招きいただいて、お茶をいただいただけですわ」
「金は」
「お断りいたしました。お嬢様は、お代では動きませんの」
尾崎様は、しばらく黙っていた。
眉間に皺を寄せて、何かを噛み砕くように。
「……つまり、あんたは、誰の側でもねえ」
「わたくしは、いつでも、正しい側におりますわ」
「そういうのを、誰の側でもねえって言うんだ」
【コメント】正論
【コメント】若頭、お嬢の扱い方分かってきてる
【コメント】話が通じないのを一発で理解した男
「昨夜な」
尾崎様が、声を落とした。
「あんたが吹っ飛ばした八人は、明日には戻ってくる。……それとは別に、港の外れで、うちの若いのがひとり、カルティエの人足と揉めた。そいつは、もう戻ってこねえ」
石段の上を、朝の風が通り過ぎていった。
「まあ」
わたくしは、日傘の柄に手を添えた。
揉めた相手は、カルティエの方。
そのあとで、組のお身内が、戻ってこない。
「それは……お寂しいことですわね。カルティエの方々に、引き抜かれてしまわれましたの?」
尾崎様の口が、半開きのまま止まった。
「人様のお身内を、揉め事のどさくさで引き抜くなんて。悪辣非道な方々ですわ。片付けて差し上げなくてはなりませんわね」
尾崎様が、わたくしの顔を見た。
何か言おうとして、やめた。そういう顔だった。
【コメント】……
【コメント】引き抜き!?
【コメント】移籍扱いにしたぞこの人
【コメント】違う、そうじゃない
【コメント】若頭、訂正するのやめた
【コメント】分からないままの方がいい
【コメント】それな
【コメント】勘違いのまま、話だけ一段でかくなった
「……用件は、もうひとつある」
尾崎様は、懐から、一枚の紙を取り出した。
黒い紙だった。真ん中に、銀の墨で、翼を広げた鴉がひとつ。
「親父が、あんたに会いたいと言ってる。黒鴉組組長、鴉山哲斉。……カルティエが茶で招いたなら、うちも招く。筋は、そうやって通すもんだ」
わたくしは、黒い紙を受け取った。
指先に、紙の厚みが心地よかった。
「喜んで、伺いますわ」
「……即答かよ」
「お招きには、応じるものですもの」
【コメント】招待状二枚目
【コメント】マフィアとヤクザ、両方からお招き
【コメント】お嬢の取り合い始まった
【コメント】どっちも「うちの側につけ」って意味だぞ
【コメント】三階です 黒鴉組の屋敷、どこにあるか誰か知ってますか 逃げる方向を決めたいので
尾崎様は、もう一度だけ頭を下げて、坂を下りていった。
途中で一度、振り返りかけて、振り返らずに行ってしまった。
*
日向雑貨店の棚は、いつもより、少しだけ隙間が目立っていた。
「港、閉まってるの。昨日の夜から」
小夜さんは、帳場で帳面をめくりながら、溜め息をついた。
「荷揚げ場に、黒鴉組とカルティエの人たちが、両方から見張り立ててて。どっちの側の荷も、互いに通さないんだって。塩も、干物も、蝋燭の芯も、なんにも入ってこない」
「まあ」
「まあ、じゃないよ。昨夜、何かしたでしょ」
「倉庫を狙う方々を、お片付けいたしましたわ」
「倉庫ごと?」
「倉庫ごとですわね」
小夜さんは、帳面に額を押しつけて、しばらく動かなかった。
【コメント】小夜ちゃん……
【コメント】「倉庫ごと?」の察しの良さ
【コメント】お嬢の後始末が、ついに小夜ちゃんの棚に来た
【コメント】これ明日には戻る話じゃないやつだ
【コメント】港が止まるのは、壊れたからじゃなくて、人が止めてるからだからな
戸口の鈴が鳴って、坂の途中の家のおばあさんが、小さな籠を提げて入ってきた。
蝋燭を二本、と言いかけて、棚の隙間に気づいたらしい。おばあさんは、口をつぐんで、籠を持ち直した。
小夜さんは、黙って帳場の下から、紙に包んだ蝋燭を一本だけ取り出した。自分の店の灯り用に、取っておいた分だった。
「一本だけで、ごめんね。港が開いたら、すぐ持ってくから」
おばあさんが帰っていくと、小夜さんは、わたくしの懐から覗いている黒い紙の端に、目を留めた。
「……それ、なに」
「黒鴉組の組長様からの、お招きですわ」
「今度はヤクザ!?」
小夜さんの声が、店じゅうに響いた。棚の上の茶筒が、かたりと鳴った。
「マフィアとお茶して、倉庫吹き飛ばして、次はヤクザの親分とお茶? あなた、港を挟んで両方からお茶に呼ばれてるの、分かってる?」
「お茶会が二つ、ということですわね」
「そういう意味じゃないの」
小夜さんは、額に手を当てた。
「……行くなら、今度こそ、三つ数えてから頷いてね」
【コメント】今度はヤクザ!?
【コメント】小夜ちゃんのツッコミ、声量が今までで一番
【コメント】そういう意味じゃないの(二回目)
【コメント】三階です 三秒ルール、小夜ちゃんにも採用されました
角の屋台では、鈴村さんが、串を返しながら空の炭籠を眺めていた。
「炭が、今日の分で終わりそうでして」
鈴村さんは、困ったように笑った。いつもの笑顔の、少しだけ眉を下げた形で。
「港が止まると、下町はすぐに干上がります。……どちらの方とも、少しお話ししてみましょうか。長く商いをしていると、顔見知りも増えるものですから」
「鈴村さんは、黒鴉組の方とも、お知り合いですの?」
「串を買ってくださる方は、どなたでもお客様です」
わたくしは、懐の黒い紙のことをお話しした。組長様から、お招きをいただいたこと。
鈴村さんは、串を返す手を止めずに、静かに頷いた。
「それは、ぜひ、お受けになるといい」
炭が、ぱちりと爆ぜた。
「九条院様がいらっしゃるところでは、いつも、物事がよく動きますから」




