↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪辣非道お嬢様配信 ~わたくし、お嬢様道を実践しているだけですの~  作者: 白い鴉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
37/107

第37話倉庫を狙う方々は、もういらっしゃいませんわ

 月が、桟橋の真上まで昇っていた。


 荷揚げ場から人の気配が消えて、ずいぶん経つ。起重機の鉄の腕は、首を垂れたまま動かない。波が杭を叩く音と、どこかで綱が軋む音だけが、規則正しく続いていた。

 倉庫の前では、番の老人が、火の消えかけた煙草を指に挟んだまま、椅子で船を漕いでいる。


【コメント】まだ?

【コメント】もう三時間座ってる

【コメント】お嬢、微動だにしない

【コメント】日傘、夜なのに開いてる

【コメント】月よけ

【コメント】寝落ちしそう

【コメント】帳簿の話、ガセだったんじゃ


 わたくしは、木箱の上で、背筋を伸ばしたままでいた。

 お見守りする、と申し上げたのだから、お待ちするだけのことだ。


 見上げると、浮島の縁に、細かな灯りが列をなして瞬いていた。提灯の色ではない。青白く、揺れない光。上層の方々は、夜でも眠らないらしい。


 少し前に、老人が一度だけ目を覚まして、足もとの小さな火鉢から、湯呑に白湯を注いでくれた。


「嬢ちゃん、何を待ってるんだい」

「悪い方々を」

「……物好きだねえ」


 老人は、それ以上は何も聞かずに、また椅子に沈んでいった。

 湯呑は、まだ少しだけ温かい。


【コメント】じいさん優しい

【コメント】白湯もらってる

【コメント】このじいさんには何も起きませんように

【コメント】フラグ立てるな


 ことり、と。

 石畳の向こうで、小さな音がした。


 荷揚げ場の入口の暗がりから、人影が滲み出てきた。ひとつ、ふたつ。数えるうちに、八つになった。

 黒い羽織。けれど、背中に紋はない。わざわざ裏返して着ているらしかった。手に手に、布で口を縛った壺と、まだ火の入っていない松明を提げている。


【コメント】きた

【コメント】本当に来た

【コメント】羽織、裏返してる

【コメント】紋隠してるじゃん

【コメント】正面から名乗る組じゃなかったのか

【コメント】壺、油だろあれ


 男たちは、居眠りしている老人の脇を、足音を殺してすり抜けた。金の飾り文字の扉の前に、黒い背中が群がる。

 誰かが、低い声で言った。


「……本当に、番はじじいひとりだ」

「言われた通りだな」

「若頭には内緒だぞ。あの人の顔に泥塗られたまま、黙ってられるかよ」


 壺の口の布が、ほどかれた。扉に、どろりとしたものが浴びせかけられる。

 わたくしは、木箱から立ち上がった。


「ごきげんよう、皆様」


 八つの顔が、一斉にこちらを向いた。


「夜分に、倉庫へ何のご用かしら。お帰りいただけるのでしたら、わたくしも、何も申しませんわ」


 撃つ前に、一言。お約束は、守らなくてはいけない。


【コメント】一言かけた

【コメント】スタロとの約束

【コメント】お帰りいただけるのでしたら(帰らない)


「……日傘の女」

「悪辣非道のお嬢様だ」

「カルティエに雇われやがったか!」

「雇われてはおりませんわ。お茶をいただいただけですの」


 返事は、松明だった。

 扉の前の男が火打ち石を鳴らし、火の入った松明を、わたくしの方へ振りかぶる。


 椅子の上で、老人が、はっと顔を上げた。背後の物音に、首だけで振り返る。


 ――あの、柔らかい目。

 呼吸をひとつ。


 ――寝ぼけて滲んだ視界。扉に群がる、裏返しの黒い羽織。油に濡れた金の文字。振りかぶられた火。


 放った。


 白。


 音が、夜の港を一度に叩いた。

 起重機の首が揺れる。桟橋につながれた小舟が、一斉に跳ねる。荷揚げ場の向こうの倉庫の窓という窓が、同じ瞬間に震えた。


 煙が、潮風に流されていく。


 倉庫の前には、椅子がひとつ、残っていた。

 その上で、番の老人が、口を半開きにしたまま座っていた。指の間の煙草から、まだ細く煙が上っている。


 その背後にあったはずの倉庫は、なかった。

 金の飾り文字の扉も、石の壁も、屋根も。月明かりの下に、平らな床と、ばらばらと降ってくる木屑だけがあった。


 光の粒が、八つ。

 夜の海の上を、ゆっくりと昇っていった。


【コメント】……

【コメント】倉庫が

【コメント】守りに来た倉庫が

【コメント】守る対象ごといった

【コメント】じいさんだけ無事

【コメント】煙草まだ吸ってる

【コメント】じいさん、今起きて何が起きたか分かってない顔

【コメント】依頼達成(倉庫なし)

【コメント】これ依頼失敗では?


 わたくしは、日傘を傾けて、平らになった床を眺めた。


 倉庫は、なくなってしまった。

 けれど、油の壺を抱えた方々も、ひとり残らずいなくなった。帳簿も、火にくべられるより先に、ずっと穏やかに片付いた。

 火を放たれて、港じゅうに燃え広がっていたかもしれないことを思えば、ずいぶん静かに済んだものだ。


「倉庫を狙う方々は、もうひとりもいらっしゃいませんわ」


【コメント】静かに済んだ(爆音)

【コメント】今、港じゅうの窓が揺れてたが

【コメント】比べる相手がおかしい

【コメント】お嬢の中では完全に成功してる


 桟橋の方から、足音が近づいてきた。

 急ぐでもなく、乱れるでもない、石畳を確かめるような靴音だった。


 ラクロワ様が、角灯をひとつ提げて、倉庫の跡の縁に立った。

 白い手袋の指先で、灯を少しだけ持ち上げる。平らな床。椅子の老人。昇っていく最後の光の粒。それから、わたくし。

 順番に、ひとつずつ。


「……予想以上でした」


 それだけ、言った。

 顔色は、少しも変わっていなかった。


「帳簿は、ご無事ではなさそうですけれど」

「ご心配なく。写しがございますので」


 ラクロワ様は、角灯を下ろして、穏やかに微笑んだ。


「お茶のお礼としては、いささか多すぎるくらいです、マドモアゼル」


【コメント】写しあるんかい

【コメント】じゃあ最初から燃やされても困らなかったんじゃ

【コメント】このおじさん、何のためにお嬢呼んだの

【コメント】倉庫一個より、何か別のものが欲しかったんじゃ……

【コメント】こわ

【コメント】お嬢、たぶん今のお礼を言葉通りに受け取ってる


 わたくしは、日傘を閉じて、スカートの裾をつまんだ。


「お粗末さまでございました」


 荷揚げ場の入口の暗がりで、誰かが駆け出していく足音がした。

 下町の方へ。坂の方へ。黒鴉組の縄張りの方へ。


 足音は、すぐに夜に溶けて、聞こえなくなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。