第30話わたくしの、大切なお友達ですの
扉が、内側へ弾け飛んだ。
蝶番ごと外れた扉板が、床を滑って棚の脚にぶつかる。硝子が砕ける。落ちた鈴が、床の上でちりちりと転がった。
戸口から、人がなだれ込んできた。
革鎧。鎖帷子。抜き身の剣。棍棒。弓。
どれも、揃いの装備ではなかった。ばらばらの格好をした男たちが、我先にと狭い店の中へ押し入ってくる。先頭の若い男が、剣の切っ先をゲイリー様へ向けて叫んだ。
「いたぞ! ゲイリーだ!」
「囲め! 狭いから一気にいけ!」
【コメント】うわ
【コメント】入ってきた
【コメント】多い多い
【コメント】全員プレイヤーだ
【コメント】賞金稼ぎ勢、ガチで来てる
【コメント】店の中でやるなよ
棚が、揺れた。
男たちの肩や得物が、壁際の棚に次々とぶつかっていく。糸巻きが床に散らばる。蝋燭の束が崩れる。瓶詰めの飴が、硝子ごと砕けて、琥珀色の粒が床一面に弾けた。
天井から吊るされた籠がひとつ、紐を切られて落ちてきた。
「やめて!」
小夜さんが、帳場から飛び出した。
「お店のもの、壊さないで! ここはうちの――」
小夜さんの前に、棍棒を持った男が立ちはだかった。
男は、小夜さんを見もしなかった。邪魔な荷物をどけるように、片手で肩を突いた。
小夜さんの体が、横へ流れた。
背中から棚にぶつかる。棚板が折れる音。茶葉の缶が、いくつも床に落ちて、蓋が外れて、乾いた葉が小夜さんの上に降りかかった。
小夜さんは、床に座り込んだまま、動かなかった。
小さく息を呑む音だけが、聞こえた。
【コメント】!!!
【コメント】小夜ちゃん!
【コメント】NPCに手出してんじゃねえよ
【コメント】最低
【コメント】あいつら店ごと巻き込む気か
わたくしは、そこに立っていた。
扉の脇。閉じた日傘を、手に持ったまま。
何も、聞こえなくなった。
男たちの怒号も、棚の崩れる音も、コメントの流れていく気配も。耳の奥で、自分の心臓の音だけが、ひどくゆっくりと鳴っていた。
棍棒の男が、小夜さんの方へ、もう一歩踏み出した。
帳場の奥のゲイリー様に向かう、その通り道に、小夜さんが座り込んでいたからだ。男は、邪魔なものを蹴りどけるように、足を上げた。
その足は、下りなかった。
横から伸びてきた太い腕が、男の胴を丸ごと抱え込んでいた。
ゲイリー様だった。
「――嬢ちゃんに、触んな」
低い、地の底から響くような声だった。
ゲイリー様は、男を抱え込んだまま、体ごと床に叩きつけた。そのまま、布を巻いた腕を男の首に回す。男が、ばたばたと手足を動かした。
【コメント】ゲイリー!
【コメント】かばった
【コメント】嬢ちゃんに触んな
【コメント】かっけえ……
【コメント】賞金首がNPC守ってるの草、いや草じゃない
【コメント】ヒーローじゃん
ほかの男たちが、一斉にゲイリー様へ殺到した。
剣が振り下ろされる。棍棒が、背中を打つ。ゲイリー様は、組み伏せた男を離さないまま、もう片方の腕を広げて、背後の小夜さんを覆い隠すように身を丸めた。
毛皮の胴着が裂けた。頭の上の赤い表示の横で、体力の数字が、見る見るうちに減っていく。
ゲイリー様は、倒れてはいけない。
倒れたら、何もかも、その場にばら撒かれてしまう。そうおっしゃっていた。
それでも、ゲイリー様は、小夜さんの前から、一歩も動かなかった。
わたくしは、店の中を見渡した。
床一面に散らばった飴の粒。蓋の外れた茶葉の缶。折れた棚板。
それから、戸口の上。外れた扉の向こうに、割れた木の板が一枚、斜めにぶら下がっているのが見えた。
看板だった。かすれた字で、日向雑貨店。小夜さんのおばあさまの代から、この坂の中ほどで、ずっと鉢植えの上に掛かっていた看板。
真ん中から、二つに割れていた。
指先が、冷たかった。
【コメント】お嬢?
【コメント】お嬢、動いてない
【コメント】顔が
【コメント】こわい
【コメント】見たことない顔してる
【コメント】島落としたときも、広場のときも、こんな顔してなかった
小夜さんが、床から顔を上げた。
乱れた髪の隙間から、わたくしを見た。唇が、何か言いかけるように動いた。
小夜さんの目が、潤んでいた。
柔らかかった。
手を伸ばす前から、分かっていた。この方の目は、いつでも、わたくしを拒まない。
術式を、組む。
数は、数えなかった。
呼吸をひとつ。
世界が、小夜さんの目になった。
――滲んだ視界。床に散らばる、琥珀色の粒。目の前いっぱいの、毛皮の背中。その向こうで振り上げられる、剣と棍棒の群れ。戸口の外に、まだ何人も。
放った。
白。
店の壁が、外へ抜けた。
小夜さんとゲイリー様を中心に、その周りだけを残して、爆風は四方へ、外へ、外へと駆け抜けていった。棚も、帳場も、戸口も、男たちも。
まだ、足りなかった。
坂の上。拠点のある方。店を取り囲んでいた男たちが、爆音に振り返っている。
坂の途中の家の窓から、住人の老婆が身を乗り出していた。柔らかい目。
借りる。放つ。
坂の下。角の方。まだ何人か、駆け上がってこようとしている。
角の屋台の暖簾の前に、鈴村さんが立って、こちらを見上げていた。
借りる。
――静かな目。少しも揺れない視界。坂を駆け上がる男たちの背中。
放つ。
屋台と、その両隣だけを残して。
【コメント】
【コメント】
【コメント】坂が
【コメント】坂が全部
【コメント】三回撃った?
【コメント】上も下も
【コメント】お嬢の拠点、たぶん今の爆発に入ってたぞ
【コメント】串屋だけ残ってる
【コメント】両隣も残ってる
【コメント】約束守ってる……
【コメント】守るとこそこじゃない
光の粒が、坂じゅうから、いくつも昇っていた。
夕暮れの空に、細かな灯りを撒いたように。
砂埃が、ゆっくりと晴れていく。
日向雑貨店だった場所には、床板だけが残っていた。その真ん中で、ゲイリー様が、裂けた毛皮の背中を丸めたまま、膝をついていた。その腕の下で、小夜さんが、茶葉まみれのまま目を丸くしていた。
ゲイリー様の体力の数字は、赤く明滅しながら、ほんのわずかだけ残っていた。
わたくしは、日傘を開いた。
「――わたくしの、大切なお友達ですの」
誰に向けて言ったのか、自分でもよく分からなかった。
もう、この坂には、それを聞く賞金稼ぎの方々は、ひとりも残っていなかった。




