第28話雑貨屋で待ってる、ですって?
拠点の寝台に横になって、視界の隅の「ログアウト」に指先で触れた。
部屋の灯りが、すっと遠のいた。
目を開けると、自分の部屋の天井があった。
カーテン越しに、昼の光が差していた。六時間ごとの区切りまで、まだ少し余裕がある。区切りぎりぎりまで粘ると、戻ってきたときに頭が重くなるのだ。早めに抜けて、早めに戻る。半年続けて、そう決めている。
車椅子で台所へ行って、昨日の残りのご飯に、お茶をかけた。
食べながら、タブレットで掲示板を開く。
――【賞金首】ゲイリーの動向を見守るスレ その四
――三日まともに寝てないってマジ?
――拠点に戻れないんだから当たり前だろ
私は、お茶漬けの最後のひと口を、ゆっくり飲み込んだ。
悪いことをした人なら、仕方がない。そう思う。思うけれど、三日眠れないのは、きっとつらい。
食器を洗って、自分のベッドで、少しだけ横になった。
目覚ましを、一時間後に合わせて。
*
目を開けると、拠点の天井があった。
ゲイリー様が賞金首になってから、こちらの世界で三日が経っていた。
「ごきげんよう、皆様。九条院瑠璃華ですわ」
拠点の扉の前で配信を始めると、同時視聴はすぐに二千を超えた。
視界の端を流れていく文字は、わたくしの挨拶よりも先に、別の話題で埋まっていた。
【コメント】こんばんは
【コメント】ゲイリーまだ捕まってないらしいな
【コメント】昨日も港で賞金稼ぎ五人まとめて締め落としたって
【コメント】賞金首が賞金稼ぎ狩ってるの草
【コメント】拠点に戻ると待ち伏せされるから、ずっと街中にいるらしい
【コメント】睡眠モードどうしてんの
【コメント】入れないから、定時のログアウトだけ一瞬で済ませてすぐ戻ってるって
【コメント】その一瞬、アバター抜け殻だろ。よく狩られないな
【コメント】死んだら持ち物全部ばら撒くからな、賞金首は
【コメント】あの人プロだろ。所持金ばら撒いたら生活終わる
【コメント】賞金、また上がった
【コメント】三階です 正直ちょっと気の毒になってきました
【コメント】古着屋の二階です 被害者の会の招待状、どこに送ればいいのか分かりません
ゲイリー様。
ヒーローの顔をして、どこかで悪いことを重ねていらした方。灯台の丘で、この街の法に正体を暴かれた方。
賞金首として追われているのは、当然の報いだ。この街の法が、そう定めたのだから。
さっき、自分の寝台で目を覚ましたばかりのせいだろうか。あの大きな体で、今ごろどこの軒下に身を潜めているのだろう、と、ほんの少しだけ考えた。
「悪い方には、相応の報いがあるものですわ」
わたくしは、日傘を開いた。
「今宵は、市場通りの方を見回ってまいりましょう」
【コメント】ゲイリーに同情ゼロで草
【コメント】いやお嬢の中では完全に悪人だから
【コメント】事実を知ってる身としては複雑
【コメント】誰も事実を知らないんだよな
坂を下りはじめたときだった。
流れていく文字の中に、ひとつ、見慣れない書き込みが混じった。
【コメント】ゲイリーだ。雑貨屋で待ってる。来い
足が、止まった。
【コメント】!?
【コメント】本人!?
【コメント】なりすましだろ
【コメント】いや、アカウント名ゲイリーだぞ
【コメント】賞金首がお嬢の配信にコメントしてる
【コメント】雑貨屋って
【コメント】小夜ちゃんの店じゃん
雑貨屋。
坂の中ほどの。戸口に鉢植えを並べた。
小夜さんの、お店。
日傘の柄を握る指に、力が籠もっていた。
指の先が、少しだけ冷たい。
【コメント】お嬢、止まった
【コメント】顔こわ
【コメント】初めて見る顔してる
【コメント】お嬢、行くのか?
【コメント】お嬢様は追いかけないんじゃ
【コメント】いやこれは呼び出しだろ
追いかけるのではない。
お招きを、いただいたのだ。
お招きには、応じるのが礼儀というものだ。どなたからのお招きであっても。
わたくしは、坂を下りはじめた。
踵から下ろし、土踏まずで受け、爪先で送る。
いつもの歩き方で。いつもの速さで。
【コメント】……いつもより速くない?
【コメント】速い
【コメント】歩幅が広がってる
【コメント】お嬢が急いでる
【コメント】走ってはいない
【コメント】ギリギリ走ってない
坂の中ほど。
日向雑貨店の軒先には、いつもどおり鉢植えが並んでいた。葉の色は、つやつやしている。日よけの布も、看板も、どこも壊れていない。
扉の硝子越しに、中の灯りが見えた。
わたくしは、ほんのひと呼吸だけ、扉の前で立ち止まった。
それから、把手に手をかけた。
鈴が、ちりんと鳴った。
「――だから、泥のついた靴で上がらないでって言ってるでしょ。そこ、昨日磨いたばっかりなんだから」
「わ、悪ぃ」
「悪いと思ってるなら、足、どけて。……ほら、お茶。熱いから気をつけて」
「おう、すまねえ」
帳場の前に、熊の毛皮の大きな背中が、窮屈そうに丸まっていた。
丸椅子が、小さすぎる。膝が帳場の縁につかえている。布を巻いた大きな手に、握り飯がひとつ。もう片方の手で、小夜さんから湯呑を受け取るところだった。
小夜さんが、わたくしに気づいた。
「あ、瑠璃華。いらっしゃい」
いつもと、まったく同じ声だった。
「この人、あなたのお客さんなんだって。ここで待たせてくれって言うから。……お腹鳴らしてたし」
【コメント】!?!?!?
【コメント】握り飯食ってる
【コメント】ゲイリー、餌付けされてる
【コメント】小夜ちゃん、賞金首にお茶出してる
【コメント】さすが面倒見の鬼
【コメント】修羅場かと思ったら団欒だった
【コメント】泥靴で怒られてて草
ゲイリー様が、握り飯を頬張ったまま、首だけこちらへ捻った。
目が合った。
「……ふぉう。ひたは」
よう、来たな。そう言ったのだと思う。
わたくしは、日傘を閉じるのも忘れて、しばらくその光景を眺めていた。
賞金首の大男が、小夜さんの店の丸椅子に窮屈そうに座って、小夜さんの握り飯を食べて、小夜さんに叱られている。
「……小夜さん」
「ん?」
「そちらの方は、賞金首ですわ」
「知ってるよ。頭の上に赤い字出てるもん」
小夜さんは、あっさりと言った。
「でも、お腹空かせてる人を追い返すのは、うちの流儀じゃないから。おばあちゃんが、そういう人だったの。泥棒でも喧嘩のあとでも、とりあえず座らせて何か食べさせてた」
「……」
「それに、ちゃんと払ってくれたし」
小夜さんは、帳場の上の銭の小山を指さした。
握り飯ふたつと、お茶一杯。どう見ても、その三倍はあった。
「釣りはいらねえって言うんだもん。返すって言っても聞かないの」
【コメント】ゲイリー、払ってる
【コメント】律儀
【コメント】釣りはいらねえ(二回目)
【コメント】この人、根は真面目なんだよな
【コメント】賞金首になってもヒーロー時代の癖が抜けてない
【コメント】泥靴はダメだけど
ゲイリー様が、ごくりと握り飯を飲み込んだ。
湯呑のお茶を一息にあおって、帳場に置く。それから、丸椅子を軋ませながら、ゆっくりと体ごとこちらへ向き直った。
「言っとくがなぁ、お嬢ちゃん」
低い声だった。灯台の丘で聞いたのと同じ、ざらついた声。
けれど、どこか疲れていた。
「この嬢ちゃんには、何もしちゃいねえ。俺は、賞金首しか狩らねえ主義だ。……今は、俺の方が賞金首だけどな」
そう言って、ゲイリー様は、自嘲するように鼻を鳴らした。
布を巻いた両の拳を、膝の上で握る。
「さて。話をしようか」
小さな雑貨屋の中に、ぴりりとした空気が張り詰めた。
小夜さんが、湯呑を片付けようとしていた手を止めた。
「俺の目に、何しやがった」




