第27話閑話 回復薬、本日完売しました
☆ 露店の薬売り視点 ☆
わたしの店は、灯台の丘の石段の下にある。
店、と呼べるほどのものではない。折りたたみの台がひとつと、日よけの布が一枚。台の上に、回復薬の小瓶を色ごとに並べている。赤が体力、青が魔力、それから、ほんの少しだけ高い、両方が少しずつ戻る紫。
灯台の丘は、浮島がよく見える場所だから、晴れた日には見物の人がそれなりに上っていく。その人たちが、帰りにふらりと一本買っていく。そういう店だ。
値札は、全部手書きだ。
表に値段。裏には、その瓶のことを、わたしが知っている限り全部書いてある。どの薬草を何の順で煮詰めたか。飲んでから効きはじめるまで、何拍かかるか。冷やすと少し味が良くなること。
お客さんと話すのが、わたしは苦手だ。苦手というより、人の前に立つと、喉の奥で声が消えてしまう。だから、話す代わりに書く。お客さんは値札を裏返して読んで、読み終えると、たいてい黙って瓶を一本、台の上に置いて代金を払っていく。
それで、今日まで何とかやってきた。
*
今日のお昼過ぎ、あのお嬢様が石段を上っていった。
すぐに分かった。金色の髪を左右に四つずつ巻いて、黒と赤のドレスを着て、日傘を差した人なんて、この街に一人しかいない。配信の切り抜きで、何度も見ている。
お嬢様は、わたしの店の前を通り過ぎるとき、ほんの一瞬だけ、台の上の瓶に目をやった。それから、石段を上りはじめた。
歩き方が、少しだけ変わっている人だった。
一段ずつ、足の裏全体で石の感触を確かめるみたいに上っていく。急いでいるわけでもなく、怯えているわけでもない。ただ、一歩一歩が、とても丁寧だった。
まるで、歩くということを、ひとつずつ思い出しながら歩いているみたいな。
どうしてそう思ったのかは、自分でも分からない。
わたしは、帳面の端に、小さく書きつけた。
――お嬢様。歩くとき、足もとを確かめる。石段、一段ずつ。
*
しばらくして、浮島が光った。
店の台の横に配信の窓を小さく開いていたから、全部見ていた。お嬢様が長椅子で質問に答えていて、誰かが「どこまで届くの」と聞いて、お嬢様が浮島を見上げて。
それから、お嬢様は、しばらく動かなくなった。
ほんの数秒。
コメント欄は「固まってる」「寝た?」と騒いでいた。わたしは、お嬢様の目を見ていた。
目が、何度か、ふっと遠くなった。
まばたきとは違う。焦点だけが、一瞬、ここではないどこかへ抜けていくような。それが、一秒にも満たない間隔で、何度も続いた。五回だったと思う。
その五回目のすぐあとに、空の上で、光が弾けた。
わたしは、帳面の同じページに書き足した。
――撃つ直前、目の焦点が遠くなる。今日は短く、五回。
――五回目のあとに、爆発。
*
ゲイリーさんが石段を駆け上がっていったのは、そのすぐあとだった。
正確に言うと、駆け上がる前に、わたしの店に寄っていった。
大きな体で台の前に立って、赤い瓶を指さして、指を十本立てた。わたしが黙って十本並べると、ゲイリーさんはそれを毛皮の胴着のあちこちに押し込んで、代金をまとめて台に置いた。
「釣りはいらねえ。どうせ、すぐ倍になって戻ってくる」
笑いながら、そう言った。
お嬢様の首にかかる賞金のことを、言っているのだと分かった。お嬢様の頭の上には、何の表示も出ていなかったけれど。
伝えたかった。でも、声は出なかった。
ゲイリーさんは、そのまま石段を一段飛ばしで駆け上がっていった。
*
そこから先のことは、たぶん、配信を見ていた人の方が詳しい。
灯台が倒れた。
わたしの店の日よけの布が、下から吹き上げる風で、ばたばたと鳴った。崖の方から、何度も何度も、お腹の底に響く音がした。台の上の瓶が、小刻みに震えて、何本か倒れた。
ゲイリーさんは、石段ではなく、東の獣道を転がるように駆け下りてきた。
わたしの店の、ほんの十歩ほど先を通り過ぎていった。頭の上に、赤い字が浮かんでいた。賞金首の表示だった。
すれ違うとき、ゲイリーさんは、片手で目をこすっていた。
何度も。強く。まるで、目の中に砂でも入ったみたいに。
「……何だってんだ、くそ、目が……」
そう呟いているのが、聞こえた。
配信の中で、ゲイリーさんは「目がチカッとした」と言っていた。お嬢様に殴りかかった、その瞬間に。
そして、爆発は、そのすぐあとだった。
わたしは、帳面をめくった。新しいページに、書いた。
――ゲイリーさん。爆発の直前、「目がチカッとした」。
――逃げるとき、ずっと目をこすっていた。
――お嬢様は、ゲイリーさんの目を見ていた。拳ではなく。
ペンが、そこで止まった。
目眩まし、だろうか。
相手の目に、何かを仕掛けるスキルはいくつかある。光で眩ませたり、一瞬だけ視界を奪ったり。お嬢様は、ゲイリーさんの目を眩ませて拳を止めさせ、その隙に、いつもの爆発を背後へ放った。
そう考えれば、ゲイリーさんが目をこすっていたことにも、拳が寸前で止まったことにも、説明がつく。
でも、それなら。
爆発を起こしたのはお嬢様なのに、どうして、賞金首になったのはゲイリーさんの方なのだろう。
――目眩まし系のスキル? ゲイリーさんの隙を作るため?
――でも、賞金首になったのは、ゲイリーさん。
――分からない。
*
衛兵さんが何人も石段を駆け上がっていって、しばらくして、何人かが下りてきた。
そのうちのひとりが、わたしの店の前で足を止めた。
「おい、嬢ちゃん。ずっとここにいたのか。何か見なかったか」
見た。
たくさん見た。お嬢様の目のことも、ゲイリーさんの目のことも。
口を開いた。
声は、出なかった。喉の奥で、言葉が全部、砂みたいに崩れていった。
わたしは、首を横に振った。
「……そうか。邪魔したな」
衛兵さんは、それきり行ってしまった。
帳面を見せればよかったのだと気づいたのは、その背中が石段の上に消えてからだった。
*
夕方には、赤い瓶が一本も残っていなかった。
灯台の丘から下りてくる人たちが、みんな買っていった。見物していて爆風に煽られた人。崖の下の騒ぎを見に行って、煙に巻かれた人。ゲイリーさんの賞金を狙って駆け上がって、誰もいなかったと肩を落として戻ってきた人。
古着屋の二階にいたことがある、という人も来た。帳面に被害者の会の連絡先を書いてくれた。わたしは会員ではないのだけれど。
浮島の件は、上層では「原因不明の崩落」として片付けられたらしい、という噂も聞いた。老朽化だとか、島の浮力が尽きかけていたのだとか。配信を見ていた人なら、誰が何をしたのか知っているはずなのに。お嬢様の頭の上には、今日も、何の表示も出ていなかった。
台の上の最後の一本がなくなったとき、わたしは、値札の表に、ゆっくりと書いた。
――本日完売しました。
売れたことは、嬉しかった。
でも、少しだけ、胸の奥が重かった。この瓶は、あのお嬢様が壊したものの数だけ売れたのだ。
わたしは、帳面を閉じる前に、もう一度だけ最初のページを開いた。
今日の一番はじめに書いた、一行。
――お嬢様。歩くとき、足もとを確かめる。石段、一段ずつ。
どうしてだろう。
今日書いたどの行よりも、その一行が、いちばん気になった。




