第26話あなた、ヒーローのフリをした悪い方でしたのね!?
布を巻いた拳が、唸りを上げて迫ってくる。
わたくしは、その拳を見てはいなかった。
ゲイリー様の目を見ていた。
呼吸をひとつ。
粘土を押すような、鈍い手応え。押す。
――世界が、ゲイリー様の目になった。
迫る、黒と赤のドレス。その向こう、わたくしの背後に、古い灯台の白い胴。根元の石積み。さらにその奥、崖際に傾いで建つ、板を打ちつけた小屋。
灯台の根元は、目の置き場所から、ひと跳びの内側だった。
放った。
白。
わたくしの目に戻ると同時に、ゲイリー様の拳が、わたくしの鼻先でぴたりと止まっていた。
止めたのではない。止まったのだ。ゲイリー様の両目が、大きく見開かれて、わたくしの肩越しの一点を見つめていた。
背後で、轟音がした。
振り返らなかった。振り返る必要もなかった。ゲイリー様の瞳に、全部映っていたから。
根元を失った灯台が、ゆっくりと、北へ傾いでいく。白い胴が空を斜めに切り、灯室の硝子が陽を弾いて、一瞬だけ、灯台がもう一度だけ灯ったように光った。
そのまま、崖際の小屋の上へ。
二度目の轟音は、一度目よりも重かった。
小屋が潰れる音。石が崖を転げ落ちる音。それから、崖の下の、ずっと深いところから。
三度目。四度目。五度目。
腹の底を殴りつけるような爆音が、崖の下から立て続けに噴き上がってきた。足もとの芝生が、太鼓の皮のように震える。灯台の丘の北の崖から、黒い煙の柱が何本も、ばらばらの場所から空へ突き出していく。
崖の下の洞窟に、隠し通路に沿って、次々と火が走っているのだ。
密輸屋の方々は、ずいぶんと燃えやすいものを溜め込んでいらしたらしい。
【コメント】!?!?!?
【コメント】灯台が
【コメント】灯台倒れた
【コメント】ゲイリーが殴った瞬間に後ろが爆発した
【コメント】崖の下で連鎖してる
【コメント】何個爆発してんの
【コメント】今のゲイリーがやったの!?
【コメント】いや殴ってすらないだろ、寸止めだったぞ
【コメント】じゃあ何が起きたんだよ
光の粒が、崖の下から、いくつもいくつも昇ってきた。
黒い煙に混じって、陽の光の中で、ちらちらと瞬いている。
ゲイリー様は、拳を突き出したままの格好で、固まっていた。
それから、ゆっくりと拳を下ろし、もう片方の手で、自分の目をごしごしとこすった。
「……なんだ、今の」
「まあ」
わたくしは、日傘を片手に持ち替えて、ぱちぱちと手を叩いた。
「お見事ですわ、ゲイリー様」
「……は?」
「灯台の丘の裏に、密輸屋の方々のアジトがあることを、掴んでいらしたのですね。それで、配信を見ているかもしれない悪い方々を油断させるために、わたくしに挑むふりをして、一芝居打たれた。そうでございましょう?」
ゲイリー様の口が、半分だけ開いた。
「……いや、俺は」
「わたくしとしたことが、すっかり騙されてしまいましたわ。まさか、あのような荒々しい演技の裏に、これほど周到なお考えがあったなんて」
【コメント】どういうこと
【コメント】お嬢の中でゲイリーがやったことになってる
【コメント】いやでも実際ゲイリーが殴った瞬間だったよな
【コメント】ゲイリー、爆発系の技持ってたっけ?
【コメント】持ってない。素手しかない
【コメント】じゃあ何なんだよ
【コメント】ゲイリー本人が一番分かってない顔してる
「俺は、何も……目が、なんか、チカッとして……」
ゲイリー様は、もう一度、目をこすった。
眉間に深い皺を寄せて、崖の方と、自分の拳と、わたくしの顔とを、交互に見比べている。
そのときだった。
ゲイリー様の頭の上に、赤い文字が浮かんだ。
【コメント】あ
【コメント】あ
【コメント】表示出た
【コメント】賞金首表示
【コメント】ゲイリーに!?
【コメント】懸賞金えぐい額ついてる
【コメント】ゲイリーが賞金首になった
【コメント】賞金稼ぎが賞金首になった
わたくしは、ゲイリー様の頭上に浮かぶ赤い文字を、しばらく見つめていた。
賞金首。
この街の法が、この方を、罪人と認めた。
拍手をしていた手が、ぴたりと止まった。
賞金首の表示は、罪を犯した者の頭上にしか浮かばない。
ということは、この方は、ここへいらっしゃる前に、どこかで何か悪いことをしていらしたのだ。ヒーローの顔をして。賞金首しか狩らないと言いながら。
この街の法は、それを、今この瞬間に見抜いたのだ。
わたくしは、一歩、身を引いた。
「……あなた」
日傘の先を、ゲイリー様の胸元へ、まっすぐに向ける。
「ヒーローのフリをした、悪い方でしたのね!?」
【コメント】そっちかーーーー
【コメント】別方向の勘違い
【コメント】お嬢の中で完全にゲイリーが悪者になった
【コメント】さっきまで「お見事」って拍手してたのに
【コメント】ゲイリーの顔
【コメント】理不尽の塊
【コメント】今のは同情する
「ちが、俺は、何も――」
「言い訳は結構ですわ」
わたくしは、術式を組みはじめた。
ヒーローのふりをして、人を欺き、法に裁かれるほどの悪事を重ねてきた方。見過ごすわけにはいかない。
ゲイリー様の顔から、血の気が引いていくのが分かった。
遠くで、甲高い音が鳴った。
呼子笛だった。ひとつではない。石段の下から、灯台の倒れる音を聞きつけた衛兵たちが、何人も駆け上がってくる気配がする。
【コメント】衛兵来た
【コメント】ゲイリー、表示出てるから捕まるぞ
【コメント】今から狩りに行くわ
【コメント】俺も
【コメント】賞金額見た? 一晩で家買える
【コメント】ゲームの家じゃなくて、換金したらリアルの方な
【コメント】賞金稼ぎ勢が一斉に灯台の丘に向かってる
【コメント】狩る側だったのに狩られる側になった
【コメント】古着屋の二階です ゲイリーさん、被害者の会はいつでも歓迎します
ゲイリー様は、呼子笛の方と、わたくしの日傘の先とを、交互に見た。
それから、自分の頭の上に浮かぶ赤い文字を、見上げようとした。見えるはずもないのに。
そして、悟ったらしい顔をした。
「……ふざけんなよ」
ゲイリー様は、一歩、二歩と後ずさった。
崖の方へ。灯台が倒れた北側ではなく、東側の、細い獣道のような下り坂へ。
「覚えてやがれ、お嬢ちゃん! 何しやがったか知らねえが、この借りは、絶対に返してもらうからなぁ!」
巨体が、驚くほど身軽に、坂の下へ消えていった。
ざざざ、と砂利を蹴散らす音が、みるみる遠ざかっていく。
【コメント】逃げた
【コメント】捨て台詞ベタすぎる
【コメント】覚えてやがれは草
【コメント】追わないの!?
【コメント】お嬢、悪党だと思ってるなら追えよ
わたくしは、組みかけた術式を、手の内でそっとほどいた。
日傘を肩に預け直す。
「お嬢様は、殿方を追いかけたりはいたしませんの」
【コメント】出た
【コメント】ここでも一貫してる
【コメント】ゲイリー命拾いしたな
【コメント】いや、賞金首として街中から狩られるから命拾いはしてない
呼子笛が、すぐそこまで近づいていた。
わたくしは長椅子の上の茶杯を拾い上げて、残りを飲み干した。
すっかり冷めていた。
けれど、今日はとても実りのある一日だった。質問にお答えして、遠くまで届くことを確かめて、ヒーローのふりをした悪い方の正体を、皆様の前で暴いたのだから。
「皆様。本日の質問コーナーは、これにて閉幕とさせていただきますわ」
倒れた灯台の向こうで、崖の下の黒煙が、まだ細く立ちのぼっていた。




