第25話俺がその賞金、貰ってやるよ
石段を上ってくる足音は、重かった。
一段ごとに、灯台の丘の芝生が小さく震えるような足音。それが、息を切らす気配もなく、一定の速さで近づいてくる。
わたくしは茶杯を長椅子に置いて、石段の方へ向き直った。
【コメント】来た
【コメント】足音でかい
【コメント】ほんとに来た
【コメント】お嬢、逃げ……ないか
【コメント】逃げたことないもんな
最後の一段を踏みしめて、男が丘の上に姿を現した。
大きな方だった。
スタロ様よりも頭ひとつ高く、肩幅は倍ほどもある。熊の毛皮を剥いでそのまま仕立てたような袖なしの胴着に、剥き出しの太い腕。下は、使い込んだ革のズボンに太い革帯、擦り切れた長靴。焦げ茶のぼさぼさの髪を無造作に後ろへ流して、顎から頬にかけては、刈り込んだとも伸ばしたともつかない髭が覆っている。
武器は、何も持っていなかった。代わりに、両の拳から前腕にかけて、使い込まれた布がぐるぐると巻きつけてあった。
どう見ても、山賊だった。
【コメント】山賊だ
【コメント】ゲイリーだ
【コメント】見た目で損してる人
【コメント】あれでもヒーロー登録してるんだよな
【コメント】賞金首狩りの成績、上位だぞ
【コメント】武器持たないのは「邪魔だし忘れるから」らしい
【コメント】理由が雑
男――ゲイリー様は、丘の上をぐるりと見回した。
灯台。芝生。長椅子。それから、わたくし。
目が合うと、髭の奥で、にやりと歯を見せた。
「配信見てたぜぇ」
低く、よく響く、ざらついた声だった。
「浮島を、ぶっ壊したんだってなぁ。上の貴族様の庭園を、丸ごと海に落としたって。今ごろ上層の連中、真っ赤になって怒鳴り散らしてるぜぇ」
「まあ。それは、お騒がせいたしましたわ」
「お騒がせ、で済むかよ」
ゲイリー様は、布を巻いた両の拳を、胸の前でごきりと鳴らした。
「コレでお前も、賞金首間違いなしだ。浮島ひとつ落として、首に値がつかねえわけがねえ。だったら、よその連中に取られる前に――」
一歩、踏み出す。
芝生が、その足の形に沈んだ。
「俺がその賞金、貰ってやるよ」
【コメント】表示出てないぞ
【コメント】ゲイリー、お嬢まだ賞金首じゃない
【コメント】確認してから来いよ
【コメント】あの人そういうの確認しないで突っ込んでくるタイプって言ったろ
【コメント】「時間の問題」だと思ってるんだろうな
【コメント】気持ちは分かる。島落として無罪は普通おかしい
わたくしは、ゲイリー様の拳を見た。
布の巻かれた、大きな、分厚い手。
【コメント】ゲイリーの戦い方知らない人向けに言っとくと
【コメント】組み付いて首絞めて、落ちるまで絶対離さない
【コメント】窒息判定で相手のHPが尽きるまで何分でも組み付いてる
【コメント】前に見た。三分くらい組み付いてた
【コメント】相手の顔色がどんどん
【コメント】やめろ
【コメント】汗だくで、泥だらけで、嬉しそうなんだよあの人
わたくしは、ほんの少しだけ、息を詰めた。
組み付く。
首を。
汗だくで、泥だらけで、何分も。
走り回ることも、汗をかくことも、泥にまみれることも、お嬢様のすることではない。けれど、この方のなさっていることは、それとも少し違った。相手に触れる。体温が伝わるほどに近づく。離れない。
わたくしが、この世界で最も選びたくない戦い方だった。
「……それは、困りますわね」
思わず、口に出ていた。
日傘の柄を握る指に、知らず力が籠もっていた。
【コメント】お嬢が引いてる
【コメント】初めて見る顔
【コメント】島落としても平然としてたのに
【コメント】嫌悪感がすごい
【コメント】そこは引くんだ
ゲイリー様は、それを怯えと受け取ったらしかった。
楽しそうに、喉の奥で笑った。
「困るよなぁ。安心しな、すぐ済む。……いや、すぐは済まねえか。俺、しつこいからなぁ」
わたくしは、ゆっくりと息を吐いた。
落ち着かなくては。
そして、ふと思った。
この方は、賞金首を狩るヒーローだ。
けれど、わたくしは賞金首ではない。視界の端の表示にも、何も出ていない。この方は、存在しない賞金を求めて、わざわざこの丘まで駆け上がってきたのだ。
なぜだろう。
答えは、すぐに浮かんだ。
この方には、活躍の場がないのだ。
スタロ様のように、どこへでも駆けつけて誰かを助けるヒーローもいる。わたくしのように、ここから届けるヒーローもいる。けれど、この方は賞金首しか狙わない。賞金首がいなければ、この方は、ただ拳を持て余して街をさまようしかない。
きっと、お困りなのだ。
だから、浮島の件を見て、居ても立ってもいられなくなった。確かめもせずに、駆けつけてしまうほどに。
お気の毒な方だった。
【コメント】お嬢が何か考えてる
【コメント】嫌な予感
【コメント】今日一番嫌な予感
【コメント】ゲイリー逃げろ
【コメント】逆だろ、お嬢が逃げる側だろ
【コメント】お嬢は逃げない
ヒーローが困っているのなら、手を差し伸べるのがヒーローだ。
この方に、活躍の場を差し上げればいい。
わたくしは、背後の気配を思い出していた。
灯台の丘の北側。わたくしの背中の、すぐ後ろ。崖へ落ちる斜面の縁に、古い灯台守の小屋がある。灯台守のお爺さんが、夜に灯をともしに通ってくるだけになってから、窓に板が打ちつけられて、昼間は誰もいないはずの小屋。
悪党出没マップを作ったとき、攻略掲示板の片隅に、こんな書き込みを見つけていた。灯台の丘の裏の空き小屋に、夜な夜な密輸屋が荷を運び込んでいる。崖の下の洞窟まで、隠し通路が掘ってあるらしい。
確かめる機会がなくて、印だけつけて、そのままにしていた。
ゲイリー様が、わたくしに向かって踏み込んでくる。
ということは、この方の目には、わたくしの背後が――あの小屋が、映るはずだ。
目の手触りを、そっと探ってみる。
固い。スタロ様ほどではない。硝子ではなく、粘土を押したような、鈍い抵抗。押せば、たぶん、借りられる。
術式を、組む。
手の内に留める。
「では、こうしましょう」
わたくしは、日傘を肩に預け直した。
ゲイリー様の目を、まっすぐに見上げる。
「どうぞ、いらしてくださいな。存分に、ご活躍いただけますように」
ゲイリー様の笑みが、一瞬だけ止まった。
それから、さっきよりも大きく、獰猛に広がった。
「いい度胸だなぁ、お嬢ちゃん!」
芝生が抉れた。
ゲイリー様の巨体が、信じられない速さで距離を詰めてくる。布を巻いた右の拳が、大きく後ろへ引かれた。組み付く前の、まず一撃。
わたくしは、動かなかった。




