第22話わたくしは、ここから届けますの
スタロ様の拳が、わたくしの目の前で震えていた。
「三十ちょうどで撃つな!」
霧が震えた。
さっきの低い声が嘘のように、また、あの大声に戻っていた。
「俺がまだ中にいた! 最後の一人を抱えて、昇降口の真下にいたんだ! あと二秒遅かったら、俺もあの人も船倉ごと沈んでた!」
「ですが、三十秒とおっしゃったのは、あなたですわ」
「言った!」
即答だった。
スタロ様は、拳を握ったまま、兜の奥で大きく息を吸った。
「言ったよ! 三十秒でいいって言った! それは俺が悪い! 見積もりが甘かった! 十二人いるのに、三十秒で足りるって思った俺が悪い!」
【コメント】認めた
【コメント】自分の非を秒で認めるヒーロー
【コメント】嘘つけないんだなこの人
【コメント】正直すぎて逆に心配になる
「でも!」
スタロ様は、焦げたマントの裾を片手で掴んで、わたくしに突きつけた。
「普通、ヒーローが中にいるって分かってて撃つか!? ちょっと待つとか、声かけるとか、あるだろ!」
「お約束の三十秒は、お待ちいたしましたわ」
「だから、それは俺が悪いって言ってるだろ!」
「では、どなたも悪くございませんわね」
「そうはならないんだよ!」
【コメント】会話が噛み合ってない
【コメント】スタロの方が正しいのに、論理的には負けてる
【コメント】お嬢、自分が悪いという発想がない
【コメント】古着屋の二階です スタロさん、被害者の会にどうですか
スタロ様は、両手で兜の側面を押さえて、しばらく唸っていた。
蛍光色の線が、苛立ちに合わせるように、ちかちかと瞬いている。
わたくしは、少し困ってしまった。
どうして、この方はこんなに怒っていらっしゃるのだろう。乗組員の方々は全員ご無事だった。悪い方々は、ひとり残らずいなくなった。この方も、こうして元気に大声を出していらっしゃる。
「……なあ」
スタロ様が、兜から手を離した。
声が、少しだけ落ち着いていた。
「ひとつ、聞いていいか」
「なんなりと」
「君は、なんで全部吹き飛ばすんだ。広場も、船も。もっと、こう……一人ずつ捕まえるとか、追いかけて取り押さえるとか、あるだろ」
わたくしは、日傘の柄を握り直した。
それなら、答えられる。
「お嬢様は、殿方を追いかけたりはいたしませんの」
「……は?」
「走り回ったり、汗をかいたり、泥にまみれたり。そういう戦い方は、お嬢様には似つかわしくありませんわ。わたくしは、ここに立ったまま、優雅に片付けるのです」
「優雅」
「ええ」
スタロ様は、しばらく黙っていた。
それから、背後で沈んでいく潮風丸を、親指でまっすぐに指さした。
「あれが、優雅か」
わたくしは、スタロ様の指の先を見た。
船首の先端が、最後の泡を吐いて、波の下へ消えていくところだった。
「わたくしは、この場所から一歩も動いておりませんもの」
【コメント】答えになってない
【コメント】なってる(お嬢の中では)
【コメント】スタロ、宇宙の真理を見たみたいな顔してそう
【コメント】メットで顔見えないけど絶対そういう顔してる
スタロ様の兜が、ゆっくりと天を仰いだ。
長い、長い沈黙だった。
「……分かった。いや、分かんないけど、分かった」
スタロ様は、両手を腰に当てて、大きく息を吐いた。
「俺は、君とは逆だ。俺は走る。どこで何が起きても、一番に駆けつける。一人でも多く助けるために、汗だくになって、泥まみれになって走る。それが俺のやり方だ」
「存じておりますわ。昨夜の動画で、拝見いたしましたもの」
「見たのか」
「何度も」
スタロ様の兜の隙間が、ちかりと光った。
照れていらっしゃるのかもしれない。
わたくしは、日傘を傾けて、スタロ様の兜を見上げた。
「あなたは、どこへでも駆けつける。それは、とても素敵なことですわ。けれど、わたくしは駆けつけませんの」
「……じゃあ、どうするんだよ」
「わたくしは、ここから届けますの」
霧の向こうで、汽笛が鳴った。
「どこへでも。一歩も動かずに」
【コメント】どこへでも駆けつけるヒーローと、どこへでも届けるお嬢様
【コメント】対比が綺麗すぎる
【コメント】届けるものが爆発なんだよな
【コメント】宅配便みたいに言うな
【コメント】お届け物です(爆破)
スタロ様は、しばらく黙ってわたくしを見下ろしていた。
怒っているようにも、呆れているようにも見えた。けれど、どちらでもないような気もした。
「……次に同じ現場になったら」
スタロ様は、焦げたマントを払って背筋を伸ばした。
「撃つ前に、俺に一言かけろ。俺が中にいるかどうか、確かめてからにしろ。それだけでいい。頼む」
「善処いたしますわ」
【コメント】出た
【コメント】出た善処
【コメント】スタロ、その返事は信用しちゃダメなやつ
【コメント】串屋のおっちゃんと小夜ちゃんに聞いてこい
スタロ様は、少しだけ首を傾げた。
「……なんか今、すごく信用できない返事を聞いた気がするんだけど」
「気のせいですわ」
スタロ様は、何か言い返そうとして、口を閉じた。
それから、踵を返した。埠頭の端では、助け出された乗組員たちが、濡れた荷を引き上げようと必死になっている。
「手伝ってくる。あの人たち、船がなくなったからな。君のせいでな!」
「まあ。お優しいこと」
「今のどこが優しいんだよ!」
たん、と澄んだ音がひとつ。
光の足場が灯り、白い背中はもう埠頭の端にあった。乗組員たちの輪の中に降り立つと、スタロ様は迷わず海へ身を乗り出して、浮かんでいる木箱に手を伸ばした。
わたくしは、しばらくその背中を眺めていた。
蛍光色の線が、霧の中で、ちかちかと明滅している。汗をかいて、泥にまみれて、走り回る背中。わたくしが決して選ばない戦い方。
それでも、どうしてだろう。
その光は、夜の港で、いちばん美しいもののように見えた。
「皆様。今宵は、これにて失礼いたしますわ」
わたくしは、日傘を肩に預けて、霧の奥へ歩き出した。
一歩ずつ。いつもの速さで。
背後で、澄んだ足音が、何度も何度も鳴り続けていた。




