第17話少し、ぬるくなってしまいましたわね
三つ。
鐘の音を押しのけるように、怒号が四方から押し寄せてきた。
南の大男の手下たちが、得物を振りかざして駆けてくる。東の赤帯が、それより早く噴水の縁を回り込もうとする。西の用心棒たちは、互いの肩を突き飛ばしながら一番乗りを争っていた。
わたくしは、椅子に腰を下ろした。
立ち上がって迎えるのは、お招きした側の務めだった。けれど、お客様の方から卓へ駆け寄ってくださるのなら、座ってお待ちするのが礼儀というものだ。
【コメント】座った!?
【コメント】この状況で座るのか
【コメント】茶杯持ってるし
【コメント】もう何が起きても驚かない
四つ。
大男が、卓の向こうで拳を振り上げたまま、わたくしを睨んでいる。
わたくしの位置からでは、目の前の大男と、その肩越しに迫ってくる十数人しか見えない。噴水の裏へ回り込んだ赤帯の方々も、西の方々も、北の方々も、水の幕と石の生き物たちに遮られていた。
お客様全員のお顔を、拝見したい。
広場を見回す。
わたくしの背後。噴水の二段目の水盤の縁に、赤帯の若い男がひとり、よじ登っていた。仲間に向かって何か叫びながら、片手で石の生き物の首に掴まり、広場じゅうを見下ろしている。
高いところから、全体を見渡す方。
ちょうどいい。
術式を、組む。
数えようとして、やめた。南に十一。東に二十と少し。西と北を合わせて、たぶん同じくらい。もう、いちいち数える意味はなかった。お一人に、ひとつずつ。お招きしたお客様を、ひとまとめにお迎えするのは、あまりに無作法だ。
呼吸をひとつ。
世界が、赤帯の若者の目になった。
広場が、一枚の絵のように見えた。
噴水を中心に、四方から寄せる人の波。揃いの赤帯。振りかざされた棍棒の群れ。水盤の縁を蹴って跳ぶ影。卓の前に座る、黒と赤のドレスの小さな背中。広場の縁には見物のプレイヤーたちが並び、露台という露台に、住人たちの顔。
悪い方々が、どこに誰がいるのか。一秒あれば、十分だった。
放った。
白。
借りた目が焼き切れて、わたくしの目に戻った。
それと同時に、卓の向こうの大男の姿が、光の中に消えた。
音は、ひとつではなかった。
数え切れない爆音が、ほとんど同じ一瞬に、広場のあらゆる場所で重なり合った。石畳が波打つように持ち上がり、噴水の三段目の水盤が、根元から空へ跳ね上がった。水が、光を浴びて一瞬だけ虹色に砕けた。
周囲の建物の一階が、次々に内側へ吹き込まれていく。色硝子の窓が一斉に割れ、光の雨になって降り注ぐ。鉄の欄干がねじれ、露台がひとつ、またひとつと、下の階へ沈むように傾いでいった。
わたくしは、茶杯を両手で包み、湯気が逃げないようにそっと胸元へ寄せた。
爆風は、卓のところで二つに割れて、左右へ抜けていった。いつものように、わたくしの周りにだけは、何も飛ばさないようにしてある。卓も、椅子も、茶杯も。わたくしの座っているところから半歩の円だけが、嵐の目のように静かだった。
轟音が、ようやく止んだ。
細かな石の欠片が、ぱらぱらと降っている。その合間を縫うように、光の粒が、広場じゅうから夜空へ昇っていった。数えられないほどの数だった。
【コメント】
【コメント】あ
【コメント】広場が
【コメント】噴水どこいった
【コメント】露台が……住人の人たちが……
【コメント】お嬢の周りだけ無傷なの本当に怖い
【コメント】台風の目
【コメント】三階です 茶屋ごとやられました。今拠点です
【コメント】三階の人……
【コメント】古着屋の二階です
【コメント】古着屋の二階です 生きてます
【コメント】古着屋の二階です 屋根の上、無事です!!! 初めて生き残りました!!!
【コメント】おめでとう
【コメント】おめでとうでいいのかこれ
【コメント】二千超えた
北側の屋根の上で、小さな人影がひとつ、両手を振り回していた。
わたくしは、茶杯を持ち上げて、もう一度会釈を返した。
広場は、もう広場の形をしていなかった。
石畳は捲れ上がり、あちこちに穴が空いて、噴水は一段目の水盤だけが残っている。そこから、行き場を失った水が溢れ出して、瓦礫のあいだを細い川になって流れていた。
周りの建物の一階は、どれも奥まで吹き抜けになっていた。傾いだ露台の縁に、住人たちがしがみついている。誰かが泣いていた。誰かが、名前を呼んでいた。さっきまで露台で三味線を抱えていた芸妓は、傾いだ手すりにしがみついたまま、弦の切れた三味線を胸に抱いて、じっと広場を見下ろしていた。
噴水の上にいた赤帯の若者の姿も、どこにもなかった。
広場の縁に並んでいた見物の方々は、半分ほどに減っていた。
残った方々は、誰ひとり声を上げずに、わたくしの方を見ていた。
【コメント】見物勢も半分持っていかれてる
【コメント】招待状に「悪党の皆様へ」って書いてあったのに
【コメント】来たら全員悪党扱い
【コメント】いや、狙ったのは悪党だけっぽい。巻き込まれただけ
【コメント】「だけ」の規模じゃないんよ
わたくしは、茶杯を唇に運んだ。
ひと口。
香りは、まだ残っていた。けれど、湯気はもう、ほとんど立っていなかった。
「……少し、ぬるくなってしまいましたわね」
【コメント】感想それ!?
【コメント】第一声がお茶の温度
【コメント】広場ひとつ消して、お茶の温度を気にしてる
【コメント】これが悪辣非道か……
【コメント】悪辣非道お嬢様
【コメント】悪辣非道て
【コメント】いや的確すぎる
視界の端を流れていく文字の中に、見慣れない四文字が、何度も繰り返し現れていた。
悪辣非道。
わたくしは、その文字をしばらく眺めていた。
悪辣非道。この上なく悪く、人の道に外れていること。
確かに、今夜お招きした方々は、そう呼ばれても仕方のない方ばかりだった。人から奪い、脅し、取り立てる方々。それが、ひとり残らずいなくなったのだ。皆様がこぞってその言葉を書き込むのも、無理はない。
悪辣非道な方々を、よくぞまとめて片付けた。きっと、そうおっしゃりたいのだろう。
茶杯を卓に置いて、わたくしは広場を見渡した。
お招きした方々は、ひとり残らずお帰りになった。




