第16話お茶が、冷めてしまいますわ
噴水広場は、歓楽街のちょうど真ん中にあった。
石畳の円い広場の中央に、三段の噴水。水盤の縁には、魚とも竜ともつかない石の生き物が口を開けて並び、そこから細い水が弧を描いて落ちている。噴水から広場の縁までは、大股で十数歩ほど。思っていたほど広くはない。広場を囲む建物はどれも三階建てで、一階は酒場や茶屋、二階から上には、色硝子の窓と鉄の欄干のついた露台が並んでいた。
九つの鐘まで、あと一刻。
わたくしは、噴水の前に卓をひとつ据えた。
広場の角の茶屋から、借りてきたものだ。卓と、椅子を二脚。店の女将は、わたくしが何に使うのかを尋ねもせず、奥から一番古い卓を出してきて、「返さなくていいから」とだけ言った。親切な方だった。
卓の上に、白い磁器の茶杯をひとつ置く。
日向雑貨店で、小夜さんが包んでくれたものだ。茶葉も、あのとき買った缶から。香りが強いから少なめに、と教わったとおりに、ほんのひとつまみだけ。
湯を注ぐと、湯気と一緒に、甘い香りがふわりと立ちのぼった。
【コメント】ほんとにお茶用意してる
【コメント】小夜ちゃんとこの茶杯だ
【コメント】ここだけ見ると優雅なお茶会
【コメント】場所が歓楽街のど真ん中なんだよな
【コメント】今何人見てる?
【コメント】五百超えてる
五百十二。
わたくしは、視界の隅の数字を確かめて、そっと息をついた。
まだ、どなたもいらしていないのに。
椅子に腰を下ろす。
もう一脚の椅子は、卓の向かいに空けておいた。いらした方に、座っていただくために。
最初に来たのは、悪党ではなかった。
広場の入口から、ぽつり、ぽつりと人影が入ってくる。革鎧を着た者、杖を持った者、派手な外套を翻した者。どの人も、広場の端で足を止め、噴水の前のわたくしを遠巻きに眺めて、何やら小声で言い交わしている。
プレイヤーの方々だった。
「……マジでいる」
「お茶飲んでる」
「あれが噂の?」
「賞金首じゃないから、狩っても賞金は出ないんだよな、こいつ」
「逆にこっちが狩られるって聞いた」
広場を囲む露台にも、次々と灯りがともっていく。窓という窓から、住人らしき人たちが身を乗り出していた。子どもを抱いた母親。三味線を抱えた芸妓。酒杯を片手に、見物を決め込んだ酔客。
歓楽街じゅうの人が、集まってきているようだった。
【コメント】客席が埋まっていく
【コメント】露台が完全に観覧席
【コメント】これ全員巻き込まれるやつでは
【コメント】古着屋の二階です 屋根の上に陣取りました。ここなら大丈夫なはず
【コメント】三階です 広場の入口の茶屋にいます。近くで見たい
屋根の上。
わたくしは、広場を囲む建物の屋根を、ぐるりと見上げた。北側の、ひときわ高い三階建ての屋根の縁に、小さな人影がひとつ腰かけている。こちらに向かって、控えめに手を振っていた。
わたくしは、茶杯を持ち上げて会釈を返した。
【コメント】古着屋の二階です 気づかれた
【コメント】手振り返されてて草
【コメント】死亡フラグ
【コメント】一番見晴らしのいい場所に陣取ったのが運の尽き
悪党の方々が来はじめたのは、鐘まであと半刻を切ってからだった。
最初は、南の路地から。
頬に傷のある大男が、十人ほどの手下を連れて広場に入ってきた。瓦版屋の前で、貼り紙を一枚ちぎっていった方だ。大男は広場の真ん中まで来ると、噴水の手前で足を止め、腕を組んでわたくしを見下ろした。
続いて、東の路地から。
揃いの赤い帯を締めた若い男たちが、二十人ばかり。先頭の痩せた男が、南の大男を見るなり舌打ちをした。どうやら、お知り合いらしい。仲はあまりよろしくないようだった。
西の路地からは、酒場の用心棒らしき者たちが、三々五々。
北の路地からは、ひと目で賭場の借金取りと分かる、帳面を抱えた男たちの一団。
広場が、見る見るうちに人で埋まっていく。
悪党の方々は、噴水を中心に円を描くように、四方からじりじりと間合いを詰めていた。お互いに睨み合い、牽制し合い、それでも誰も最初の一歩を踏み出さない。
【コメント】多い多い多い
【コメント】四勢力来てる
【コメント】南の傷の大男、この辺仕切ってる奴じゃなかった?
【コメント】東の赤帯とは仲悪いので有名
【コメント】お嬢一人のために敵対勢力が集結してて草
【コメント】千人超えた
千二十四。
視界の隅の数字が、また跳ねた。
わたくしは、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
こんなにも、大勢の方が。招待状一枚で、これほど多くの方が来てくださった。悪党の方々も、見物の方々も、画面の向こうの皆様も。
万里花様のおっしゃったとおりだった。
追いかけない。けれど、お招きはする。そうすれば、向こうから来てくださる。
わたくしは、ゆっくりと立ち上がった。
広場じゅうの視線が、一斉にこちらを向いたのが分かった。
「皆様。本日は、ようこそお越しくださいました」
日傘を胸の前に立て、深々と一礼する。
顔を上げると、広場は静まり返っていた。噴水の水音だけが、やけに大きく聞こえる。
「お招きしておきながら、お席がひとつしかございませんの。申し訳ございません。どなたか代表の方に、お茶を一杯差し上げたいのですけれど」
わたくしは、向かいの空いた椅子を手で示した。
誰も、動かなかった。
やがて、南の大男が一歩、前に出た。
卓の前まで来ると、空いた椅子には目もくれず、わたくしの茶杯を見下ろした。
「……茶はいらねえ」
低い声だった。
「てめえが、ここらで好き勝手してるお嬢様か。角を吹っ飛ばして、工業区の倉庫を吹っ飛ばして、今度は俺らの縄張りのど真ん中で茶会だと? 舐めるのも大概にしとけよ」
「舐めてなど、おりませんわ」
「じゃあ何だ、この紙は」
大男は、懐から貼り紙を取り出して、卓の上に叩きつけた。
茶杯が揺れて、琥珀色の水面に小さな波紋が立った。
「招待状ですわ」
「ふざけてんのか」
「いいえ。心を込めて書きましたの」
大男の額に、太い筋が浮いた。
背後で、東の赤帯の男たちが、くつくつと笑った。西の用心棒たちが、腰の得物に手をかけた。北の借金取りたちは、帳面を閉じた。
九つの鐘が、鳴りはじめた。
ひとつ。
大男が、拳を振り上げた。
それを合図に、四方の悪党の方々が、一斉に噴水へ向かって踏み出した。
ふたつ。
わたくしは、卓の上の茶杯に目を落とした。
まだ、ひと口も飲んでいない。
「……困りましたわね。お茶が、冷めてしまいますわ」




