第15話悪党の皆様へ、招待状を差し上げますわ
締め切りを一本片付けて、私はタブレットを膝の上に載せた。
昼下がりの部屋は静かだった。窓の外で、どこかの家の布団を叩く音がしている。机の上には、書き終えたばかりの原稿の控えと、冷めたコーヒー。今回は、渡り鳥が磁場を感じ取る仕組みについての記事だった。
送信を終えると、指が自然に配信サイトを開いていた。最近は、それが癖になっている。
登録者、三百十二人。
一回目の配信のあと、一人だった数字だ。
見るたびに少しだけ胸が温かくなる。けれど今日は、その下に並んだ数字の方が気になった。
三回目、四回目の配信の同時視聴。どちらも百五十前後で、ぴたりと止まっている。
アーカイブのコメント欄を、下から遡っていく。
【コメント】今日は爆発なしか
【コメント】小夜ちゃんとの掛け合いは好き
【コメント】事件待ちの時間が長い
【コメント】歩いてるだけの回もそれはそれで
【コメント】次は何棟ですか
責めるような書き込みは、ひとつもなかった。
でも、私にも分かっていた。
一回目は、自分で探しに行った。
二回目は、鈴村さんが依頼をくれた。
三回目は、雑貨屋で茶葉を買っただけだった。四回目は、小夜さんに同行した先で、たまたま事件に出会った。
四回目の翌朝の炭の仕入れは、配信をせずに行った。
大黒屋さんの倉庫は、元通りに建っていた。大黒屋さんは私の顔を見るなり、黙って炭俵を二つ、小夜さんの背負子に括りつけてくれた。お代は、いらないと言われた。受け取ってもらえるまで粘ろうとしたら、小夜さんに腕を引かれて、そのまま工業区を出た。
どれも、運がよかっただけだ。
鈴村さんのような人が、毎回屋台の前で待っていてくれるわけじゃない。小夜さんの仕入れ先で、毎回誰かが強盗をしているわけでもない。事件が起きなければ、私はただドレスを着て街を歩いているだけの人になる。見に来てくれた人たちに、何も見せられないまま。
それは、嫌だった。
私はタブレットを持ち直して、お気に入りの一番上のアーカイブを開いた。
困ったときは、いつもここに戻ってくる。
再生位置を少し飛ばす。確か、このあたりだった。
『――次のご相談。好きな人がいるけど、自分から話しかける勇気がない。向こうから声をかけてくれるのを、ずっと待ってます。……はいはい、なるほどね』
万里花様は、紅茶のカップを置いて、少しだけ身を乗り出した。
『よろしくて? 追いかけないことと、何もしないことは、違いますのよ。お嬢様は追いかけない。けれど、お招きはするの。来ていただきたいお相手がいるなら、ちゃんと招待状をお出しなさいな。お茶会でも、夜会でも』
それから、いつものように肩の力を抜いて笑った。
『……って言うと格好いいけど、要するに、飲み会の幹事やれってこと。自分で場を作っちゃえば、向こうから来るしかないでしょ。待ってるだけの人のとこには、誰も来ないよ』
私は、再生を止めた。
招待状。
何度も見た動画のはずなのに、今日初めて聞いたような気がした。
追いかけない。でも、招く。
事件が来るのを待つのではなく、事件の方から来ていただけるように、場を用意する。
悪い人たちを、お招きすればいい。
指が、勝手にメモ帳を開いていた。
白い画面の上に、文面を打ち込んでいく。書き出しは、何度も書き直した。記事の見出しを考えるときと同じだ。一行目で、読む人の手を止めさせなければならない。
丁寧に。でも、読んだ人が素通りできないように。
二十分かけて、ようやく形になった。
読み返して、私はひとりで頷いた。
悪くない。いや、たぶん、今まで書いたどの見出しよりもいい。
窓の外の布団を叩く音は、いつの間にか止んでいた。
私は時計を見て、それから、枕元のヘッドギアに手を伸ばした。
*
東の歓楽街は、夕暮れから目を覚ます街だった。
通りの両側に、提灯と色硝子の灯りが延々と連なっている。酒場の呼び込み、賭場の太鼓、どこかの二階から降ってくる三味線の音。昼間は閉じていた扉が次々に開き、酒と香の匂いが通りに溢れ出していた。
悪党出没マップの印は、ここに五つ。市場通りより多い。
わたくしは、通りの入口で配信を始めた。
「ごきげんよう、皆様。九条院瑠璃華ですわ。今宵は、皆様にお知らせがございますの」
【コメント】お知らせ?
【コメント】歓楽街だ
【コメント】治安最悪エリアに自分から来てる
【コメント】今日は何を消すんですか
同時視聴、百四十八。
今夜は、この数字をもっと大きくしてみせる。
歓楽街の真ん中あたりに、瓦版屋が店を出していた。
町の噂や出来事を刷って売る店だ。店先の板壁には、刷り上がったばかりの瓦版が何枚も貼り出されていて、仕事帰りの人たちが足を止めて読んでいる。賭場の番付、どこそこの酒場の喧嘩、行方知れずの猫。
ここに貼れば、今夜のうちに歓楽街じゅうに届く。
わたくしは、店番の老人の前に立った。
「ごめんくださいまし。こちらを、一枚刷っていただけるかしら。できるだけ大きく。それから、今夜のうちに、この街の目立つところに貼っていただきたいの」
差し出した紙を、老人は眼鏡をずらして受け取った。
最初の一行で、老人の手が止まった。
――悪党の皆様へ。
老人が、わたくしの顔を見上げた。
わたくしは微笑んだ。
老人は、ゆっくりと紙に目を戻した。
読み進めるにつれて、眼鏡の奥の目が、少しずつ見開かれていく。
【コメント】何書いたんだ
【コメント】じいちゃんの顔
【コメント】読み上げてくれ
【コメント】嫌な予感しかしない
わたくしは、老人の肩越しに、自分の書いた文面をもう一度眺めた。
我ながら、よく書けていると思う。
悪党の皆様へ
今宵、九つの鐘の頃、東の歓楽街・噴水広場にて、
九条院瑠璃華がお待ち申し上げております。
腕に覚えのある方、懐の寂しい方、
わたくしのことが気に入らない方、
どなた様でもお気軽にお越しくださいませ。
お茶のご用意もございます。
老人は、紙をそっと台の上に置いた。
それから、震える指で眼鏡をかけ直し、わたくしの方を見ずに言った。
「……刷り代は、三倍いただきます」
「まあ。お安いものですわ」
わたくしは、先日いただいた投げ銭の中から、言われた額をそのまま払った。
刷り上がりは早かった。
墨の匂いがまだ残る大判の一枚が、瓦版屋の板壁のいちばん目立つところに貼り出される。老人の孫らしき少年が、残りの束を抱えて通りへ駆け出していった。
足を止める人が、すぐに増えはじめた。
酔った職人が最初の一行を声に出して読み、腹を抱えて笑った。その隣で、頬に傷のある大男が黙って最後まで読み、貼り紙の端を一枚ちぎって懐にしまった。着飾った女の人が二人、顔を見合わせて早足で去っていく。子どもがひとり、「お茶のご用意もございます」のところだけを、何度も繰り返して読み上げていた。
【コメント】大男、持って帰ったぞ
【コメント】来る気満々じゃん
【コメント】ガキが一番楽しそう
【コメント】これ悪党以外も来るだろ絶対
【コメント】古着屋の二階です 行きます。今度こそ離れて見ます
【コメント】三階です 同じく
わたくしは、貼り紙の前にできた人垣を、満足して眺めた。
読んでくださっている。こんなにも大勢の方が。
背後で、瓦版屋の老人が、誰にともなく呟いた。
「……今夜は、早めに店を閉めるか」




