第14話あなたって、相当に自己中よね?
帰り道の背負子は、行きと同じく空っぽだった。
大黒屋さんは、あれからしばらくして、ようやく椅子から立ち上がった。
額の炭の粉を袖で拭い、倉庫の跡地をぐるりと見回し、それからわたくしたちの方を向いて、ひとことだけ言った。
「……明日、また来てくれ」
それが炭のことなのか、それ以外の何かのことなのかは、分からなかった。
小夜さんは深々と頭を下げて、わたくしの腕を掴んで、路地を引き返しはじめた。
【コメント】大黒屋さん強い
【コメント】「明日、また来てくれ」の重み
【コメント】建物も炭も明日には戻るしな
【コメント】戻るからって許されるわけじゃないんだよ
【コメント】それ毎回誰か言ってる
運河沿いの道に出るまで、小夜さんはほとんど喋らなかった。
工業区の路地は、来たときとは様子が違っていた。
工場の戸口という戸口から、職人たちが顔を出している。煤けた前掛けのまま、腕を組んで、あるいは金槌を握ったまま、わたくしたちが通り過ぎるのを黙って見送っていた。誰も、道を塞ごうとはしなかった。むしろ、わたくしが近づくと、戸口の奥へ半歩ずつ引っ込んでいく。
ある工場の前では、若い職人が板切れに何かを殴り書きして、門柱に釘で打ちつけているところだった。わたくしと目が合うと、その職人は金槌を取り落とした。
板切れには、こう書いてあった。
――日傘の女、立入禁止。
「まあ」
わたくしは足を止めて、その板切れを眺めた。
「日傘の方というのは、そんなにご迷惑をおかけするものなのかしら」
「……行くよ」
小夜さんが、わたくしの腕を掴む手に力を込めた。
【コメント】出禁になってて草
【コメント】名指しされてないのに自分のことだと思ってない
【コメント】工業区にも手配書(手書き)が
【コメント】賞金首にはならないのに出禁にはなる
鉄の橋に差しかかったところで、小夜さんはようやく足を止めた。欄干に両手をついて、煤けた運河の水面を見下ろす。
「……ねえ、瑠璃華」
「なんですの」
「わたし、今日、何しに来たんだっけ」
「炭の仕入れですわ」
「炭は?」
「明日ですわ」
「そうだね。明日だね」
小夜さんは、欄干に額をこつんと当てた。
しばらくそのままの姿勢でいてから、顔だけこちらへ向けた。
「あのさ。前から思ってたんだけど、っていうか、会ってまだ二日なんだけど」
「ええ」
「あなたって、相当に自己中よね?」
わたくしは、日傘の柄を握ったまま、瞬きをした。
「そんなわけありませんわ!」
思わず、声が大きくなった。
「わたくしほど、慈愛と協調性に長けたプレイヤーはおりませんことよ!」
【コメント】慈愛
【コメント】協調性
【コメント】今日一番笑った
【コメント】即答で否定してるの草
【コメント】一ミリも動揺してない
【コメント】古着屋の二階です 異議あり
【コメント】三階です 異議あり
小夜さんは、欄干に額をつけたまま、肩を震わせた。
怒っているのかと思った。違った。笑っていた。声を殺して、ひとりで。
「……慈愛」
「ええ」
「協調性」
「ええ。今日も、小夜さんのお仕事に同行して差し上げましたでしょう? 大黒屋さんも、ちゃんとお守りしましたわ」
「うん。そうだね。お守りしたね。大黒屋さんだけね」
小夜さんは、ようやく顔を上げた。
目の端に、涙が滲んでいた。笑いすぎたらしい。
「分かった。もういいや。あなたがそう思ってるなら、それでいいよ」
「当然ですわ」
「自覚ないのが一番すごいよね、ほんと」
小夜さんは、背負子を揺すり上げて歩き出した。
今度は、最初から半分の歩幅で。
橋を渡りきり、倉庫街を抜けると、港に出た。
昼前の海が、きらきらと光っていた。潮の匂いが戻ってくる。行きに通ったときは、まだ朝靄が低く垂れこめていて、沖の方までは見えなかった。
今は、よく見えた。
海の上の、ずっと高いところ。
雲の少し下に、島が浮かんでいた。
ひとつではない。大きな島と小さな島が、いくつも連なるように空に浮かんでいる。どの島の縁からも、白い筋のようなものが細く垂れて、途中で霧になって消えていた。滝だ、と気づくまでに少しかかった。島の上には尖塔がいくつも立ち並び、陽の光を受けて、白く輝いていた。尖塔の窓という窓には、昼だというのに、青白い光が灯っていた。
島と島のあいだを、帆を張った小さな船が、ゆっくりと渡っていくのが見えた。空の上を。
わたくしは、足を止めていた。
半年、この街で暮らしてきた。拠点の窓から見えるのは、港と、工業区の煙ばかりだった。坂の上からでは、屋根に遮られて、あそこまでは見えない。
【コメント】浮島だ
【コメント】上の区画か
【コメント】あそこ行ったことある奴いる?
【コメント】ない
【コメント】どうやって行くのかも知らん
【コメント】晴れた日だけ見えるんだよな、あれ
小夜さんも、隣で足を止めていた。
空を見上げている。手が、襟元のあたりに添えられていた。
襟の合わせ目から、細い鎖が覗いていた。
その先に、小さな飾りがひとつ。陽の光で、ほんの一瞬だけ、きらりと光った。小夜さんの指が、それを包むように握っている。
「おばあちゃんがね」
小夜さんが、ぽつりと言った。
「あそこに行ってみたいって、ずっと言ってたんだ。晴れた日に店先から見えると、手を止めて、いつまでも眺めてた。……結局、一回も行かなかったけど」
「その首飾りは」
「うん。おばあちゃんの。形見なの」
小夜さんは、それだけ言って、首飾りを襟の中へしまった。
それ以上は、何も言わなかった。わたくしも、何も聞かなかった。
【コメント】形見か
【コメント】いいな、そういうの
【コメント】あんまり深く聞かない方がよさそうな空気
【コメント】NPCの持ち物設定なんて大体そんなもんだろ
海の上の島々は、何事もないように、ゆっくりと空を渡っていく。
わたくしは、日傘を少しだけ傾けて、その光を見上げた。
「素敵な場所ですわね」
「うん」
「いつか、行ってごらんになったらよろしいのに」
小夜さんは、少しだけ笑った。
「いつか、ね」
それから、何かを振り払うように、ぱん、と自分の頬を両手で叩いた。
「さ、帰ろ。明日、また工業区まで行かなきゃいけないんだから。誰かさんのせいで」
「わたくしも、ご一緒いたしますわ」
「……来るの?」
「当然ですわ。明日こそ、炭を仕入れなくてはなりませんもの」
「今度は、大黒屋さんの建物ごと守ってね。人だけじゃなくて」
「善処いたしますわ」
「それ、もう信用しないって言ったよね」
小夜さんは呆れたように言って、それから、ほんの少しだけ歩幅を広げた。
わたくしは、三歩ぶん遅れて、その背中について行った。
三歩ぶん遅れていれば、小夜さんはきっと、またどこかで振り返ってくれる。
歩くのが遅くない? と、呆れた顔で。




