第13話問屋さんは、ご無事ですわ
小夜さんの手が、わたくしの袖を強く引いた。
「待って。ほんとに待って。中、何人いるか分かんないし、大黒屋のおじさんもいるかもしれないし」
「ええ。ですから、確かめますの」
「どうやって」
わたくしは答える代わりに、倉庫の鉄扉の前まで歩いていった。
一歩ずつ。いつもの歩き方で。
背後で、小夜さんが声にならない声を上げた。
【コメント】行った
【コメント】正面から行くんかい
【コメント】小夜ちゃんの顔
【コメント】まあこの人、正面からしか行かないしな
鉄扉の前に立ち、日傘の柄で、こん、こん、と二度叩く。
「ごめんくださいまし」
中の怒鳴り声が、ぴたりと止んだ。
ひと呼吸。ふた呼吸。
鉄扉が、軋みを上げながら細く開いた。隙間から、無精髭の男が片目だけ覗かせる。
「……なんだ、てめえ」
「炭を買いに参りましたの。こちら、大黒屋さんでよろしいかしら」
男の目が、わたくしのドレスと日傘と髪とを、上から下まで往復した。
それから、鉄扉がもう少しだけ開いた。
倉庫の中が見えた。
高い天井の下、黒い炭俵が壁際にうずたかく積まれている。その手前に、荷車が三台。男たちが四人、炭俵を荷車へ次々と放り上げているところだった。
入口から十歩ほど入った帳場の机の前に、太った初老の男が座らされていた。両脇に、ひとりずつ男が立っている。額から、ひと筋、血が流れていた。
「おじさん……!」
背後で、小夜さんが息を呑んだ。
「今日は店じまいだ」
無精髭の男が、わざとらしく歯を見せて笑った。
「ここの炭は、全部うちが買い取ることになった。代金はあとで払う。……たぶんな。分かったら、とっとと帰んな、お嬢ちゃん」
【コメント】強盗じゃん
【コメント】炭を丸ごと強奪か
【コメント】工業区治安悪すぎ
【コメント】「たぶんな」で笑った
なるほど、と思った。
炭を買い占めて、値を吊り上げるつもりなのだろう。鈴村さんのように、良い炭を必要としている方は大勢いる。いなくなった問屋の代わりに、自分たちが売る側に回ろうというわけだ。
悪い方々というのは、どうしてこうも手間のかかることを考えるのだろう。
「お帰りになるのは、そちらの方ではなくて?」
「あ?」
「炭は、大黒屋さんのものですもの」
無精髭の男の笑みが、すっと消えた。
鉄扉が、大きく開け放たれた。男が一歩、外へ踏み出してくる。その後ろから、荷車の脇にいた男たちが、ひとり、ふたりと顔を上げた。
「ねえ、瑠璃華……!」
小夜さんが、わたくしの名前を呼んだ。
初めてだった。
わたくしは振り返らずに、片手だけ後ろへ差し出した。
お下がりくださいな、の合図のつもりだった。小夜さんには、ちゃんと伝わったらしい。足音が二つ、三つ、遠ざかる。
それから、小夜さんの言葉を思い出した。
問屋さんごと、吹き飛ばさないでね。
もちろんだ。
あの方が困っているのを、わたくしは見過ごすつもりはない。帳場の前で、額から血を流しているあの初老の方。大黒屋さんを、こんなところで巻き込むわけにはいかない。
帳場の方に目をやる。
大黒屋さんは、じっとこちらを見ていた。両脇の男たちも、荷車の男たちも、倉庫の中にいる全員が、その視界に収まっているはずだ。
術式を、組む。
今朝は七つ。倉庫の中の悪い方々の足もとに、ひとつずつ。
狙いは、大黒屋さんの目で決める。そして、あの方にだけは何ひとつ届かないように、七つとも外側へ。
ただ、扉口に立つ無精髭の方のぶんだけは、向きを少し横へ逸らしておいた。まっすぐ外へ飛ばしては、その先にいるわたくしのドレスが汚れてしまう。
角の夜にやったことと同じだ。二度目なら、もう迷わない。
呼吸をひとつ。
世界が、大黒屋さんの目になった。
薄暗い倉庫。鉄扉の逆光の中に、日傘を差したわたくし自身が小さく立っている。その手前に、荷車と、男たちの背中。左右に、自分を見張る二人の男の腕。
七つ、放った。
白。
鉄扉の隙間から、光が噴き出した。
遅れて、腹の底を殴りつけるような轟音。倉庫の屋根が、内側から持ち上がるように膨らんで、次の瞬間には、瓦も梁も煉瓦も、ばらばらになって朝の空へ散っていった。
鉄扉が、蝶番ごと外れて、わたくしの右手を回転しながら飛び過ぎていく。
黒い雨が、降りはじめた。
炭だった。砕けた炭俵の中身が、細かな欠片になって、ぱらぱらと路地じゅうに降り注いでいる。わたくしは日傘を少しだけ傾けて、ドレスにかからないようにした。
【コメント】ああああ
【コメント】倉庫が
【コメント】屋根が飛んだ
【コメント】問屋さんごと吹き飛ばさないでって言われてたよな!?
【コメント】炭の雨
【コメント】仕入れに来たのに仕入れ先の在庫全部消えてて草
黒い雨が止むまで、わたくしはその場に立っていた。
やがて、煙の向こうに、ぽっかりと空いた空間が見えてきた。
倉庫は、もうなかった。
四方の壁が外側へ倒れ、屋根は影も形もない。炭俵の山も、荷車も、男たちも。すべてが外へ、外へと吹き払われて、煉瓦の床だけが朝日に照らされている。
その真ん中に、帳場の机がひとつ、ぽつんと残っていた。
机の前の椅子に、大黒屋さんが座っていた。
座ったまま、ぴくりとも動かなかった。額の血の筋の上に、炭の粉がうっすらと積もっている。口は半分開いていて、目は、さっきまで倉庫の屋根があった場所の、青い空を見上げていた。
傷は、額のひと筋だけ。それ以上は、ひとつも増えていない。
細かな光の粒が、いくつも朝の空へ昇っていく。七つ。
わたくしは、ほっと息をついた。
「問屋さんは、ご無事ですわ」
背後で、足音が戻ってきた。
振り返ると、小夜さんが立っていた。髪にも、背負子にも、炭の粉が点々とついている。両手で口を押さえて、倉庫があった場所と、机の前の大黒屋さんと、わたくしの顔とを、順番に見比べていた。
「……瑠璃華」
「ええ」
「問屋さんごと、吹き飛ばさないでって、言ったよね」
「ですから、問屋さんはご無事でしょう? ほら、あちらに」
わたくしは、日傘で机の方を示した。
大黒屋さんは、まだ空を見上げていた。
小夜さんは、長いこと黙っていた。
それから、両手を口から離して、絞り出すように言った。
「……問屋さんって、お店のことだよ」
わたくしは、首を傾げた。
【コメント】そっちかーーー
【コメント】問屋「さん」だから人だと思ったのか
【コメント】日本語の罠
【コメント】いや普通に店だろ
【コメント】店主を守って店を消すお嬢様
【コメント】古着屋の二階です 大黒屋さん、被害者の会にお誘いしてもいいですか
【コメント】NPCは入れないだろ
「まあ」
わたくしは、倉庫の跡地を改めて見渡した。
確かに、お店は、少しばかり風通しがよくなってしまったかもしれない。
「けれど、大黒屋さんご本人がご無事なら、お店はまた建てられますわ。炭も、また焼けばよろしいのです」
「今日の仕入れは?」
「……」
「鈴村さんの炭は?」
「……明日に、いたしましょうか」
小夜さんは、その場にしゃがみ込んだ。
背負子の空の籠が、かたん、と鳴った。




