第169話お嬢の行くところ、でございますの?
「号外、号外ー! お嬢の行くところ、白くなるー!」
坂の下の辻で、甲高い声が跳ねていた。
瓦版屋のお孫さんだった。墨の匂いのする紙の束を小脇に抱えて、道行く方々の鼻先に、一枚ずつ突きつけている。
わたくしの姿を見つけると、お孫さんは、一瞬だけ固まった。それから駆け寄ってきて、一枚、差し出した。
「……ご、ご本人には、ただで」
「まあ。いつも、ありがとうございます」
大きな字で、こう刷ってあった。
お嬢の行くところ、白くなる。
坂の下。運河の向こう、工業区まるごと。坂の上の辻。
残るは、空き店ひとつ。
【コメント】おはよう
【コメント】孫ちゃん、仕事早い
【コメント】前の号外は「お嬢が撃てば、街が白くなる」だった
【コメント】撃てば、から、行くところ、に格上げされてる
【コメント】格上げって言うな
【コメント】見出し、核心ついてない?
紙の下の方に、絵が添えてあった。白い輪の真ん中に、小さな古い店が一軒。扉の上に、小さな日傘の人形。
なかなか、お上手だった。
「まあ。お店の絵まで」
「……じいちゃんが、ここがいちばん売れるって」
【コメント】空き店が名物になってる
【コメント】残るは空き店ひとつ、って書き方がいやらしい
【コメント】次はそこだって煽ってるだろ
お孫さんは、懐から帳面を出して、わたくしの顔を見上げた。読んだ顔を見せてくれ、ということらしかった。
わたくしは、紙を丁寧に畳んで、袖にしまった。
「よく描けておりますわね。……お留守番の方まで、描いてくださいましたのね」
お孫さんは、わたくしの言ったことを、ものすごい速さで書きつけた。
*
辻の方々の目が、変わっていた。
白くなるのが怖い、という目ではなかった。それは、もう何日も前からだった。
今朝の目は、わたくしの日傘を見て、それから、わたくしの顔を見て、そこで止まった。何かを確かめるように。
「……あの人が来ると、白くなるんだ」
「撃たなくても、来ただけで、って話だよ」
「工業区だって、あの人が行った晩だ」
「雑貨屋の子が下にいたころは、雑貨屋の子のせいだって言ってたじゃないか」
「だから、違ったんだろ。あの子が出ていっても、止まらなかった」
声は、聞こえるように、ではなかった。聞こえないように、でもなかった。
【コメント】空気変わった
【コメント】小夜ちゃん元凶説の次は、お嬢元凶説
【コメント】いや、お嬢元凶説は前から半分あった
【コメント】今度は住人まで言ってる
【コメント】撃ったら白くなるのは事実だしな
【コメント】撃たなくても、は嘘だろ
【コメント】……本当に嘘か?
【コメント】やめろ
わたくしは、日傘を差して、辻を通り抜けた。
どなたも、わたくしの前を塞がなかった。ただ、通り過ぎたあとで、戸口の暖簾が、ひとつ、またひとつと下ろされる音がした。
三歩後ろで、ゲイリー様が、低く言った。
「……気にしてねえのか」
「何を、ですの」
「いや。……いい」
【コメント】ゲイリーが気をつかってる
【コメント】気にしてないって顔
【コメント】本当に気にしてないのか、気にしてない顔をしてるのか
【コメント】お嬢の場合、区別がつかない
*
辻を抜けた先の石畳に、轍が、何本も重なっていた。
今朝、坂の上の白い辻から延びていた轍だった。坂を下りきったここで、ほかの轍と合わさって、太い一本になって、港の方へ続いていた。
「お散歩の続きですわ」
港の荷揚げ場の手前に、ひときわ大きな白い塔が立っていた。連絡艇の乗り場の並びの、いちばん端だった。
一階の戸口が、大きく開け放たれている。戸口の上に、墨で書いた板が一枚、打ちつけてあった。
――買い取り。何でも。
戸口の前に、列ができていた。
剝がした硝子の板を積んだ荷車。偽の札の束を抱えた方。それから、もうひとつの列。
古い簞笥を背負った、前掛けのおかみさん。鍋と釜を縄でくくった、長屋のご隠居。漁の網をひと山、肩に担いだ若い方。
「白くなる前に、売っとかないと」
「白くなったら、こんな古いもん、どうせ戻ってこないんだから」
帳場では、腕に金色のサイコロの布を巻いた方々が、算盤を弾いていた。簞笥に、銅貨が三枚。鍋と釜に、二枚。
【コメント】うわ
【コメント】住人が家財売りに来てる
【コメント】白くなる前に、って
【コメント】簞笥に銅貨三枚は安すぎる
【コメント】足もと見てる
【コメント】サイコロの布=ダブクロのとこ
【コメント】いや、ダブクロは「関係ない」って言うだろ、絶対
【コメント】盗品と家財が、同じ列に並んでる
わたくしは、列の脇で、足を止めた。
簞笥を背負ったおかみさんは、帳場の前で、三枚の銅貨を手のひらに載せたまま、しばらく動かなかった。
それから、簞笥の引き出しを、ひとつだけ抜いた。中から、小さな布の包みを取り出して、懐にしまった。残りを、帳場の脇に置いた。
置いてから、一度だけ、簞笥の角を撫でた。
列の脇を、男がひとり、駆け抜けていった。腕に、金色のサイコロの布。頭の上に、赤い札。
ゲイリー様が、わたくしの横を、風のように抜けた。
「待て、こら」
男は、買い取りの塔の戸口へ、転がり込もうとした。
その戸口が、ふさがっていた。
大きな方だった。ゲイリー様より、頭ひとつ大きい。それ以上に、横に大きかった。丸く張った肩から、丸く張ったお腹まで、ひと続きの岩のような体。髪を頭の上で、大きな銀杏の葉のかたちに結っている。腰には、黒い、厚い布を、ぐるりと締めていた。
その頭の上にも、赤い札が浮いていた。
ゲイリー様の追っていた方の札より、桁が、ふたつ多かった。
「――ここから先は、通さんよ」
大きな方は、にこにこと笑っていた。
「わしは、ここの用心棒じゃ。……すまんのう、賞金稼ぎの兄さん。今日の取組は、わしとじゃ」




