第165話十五年分の柱でございますのね
坂の下の白い長屋の軒先で、小さな日傘が、三つ並んで揺れていた。
昨日は、二つだった。
【コメント】おはよう
【コメント】人形、増えてる
【コメント】一軒に三つ
【コメント】効かなかったから増やすやつ
【コメント】工業区の噂、もう回りきってるな
わたくしは、坂を下りて、港の方へ足を向けた。
三歩後ろで、ゲイリー様が、懐の手配書をめくっていた。
「布の連中が、まだ三人、工業区に潜ってる」
「まあ。でしたら、そちらへ?」
「夜になったら出てくる。昼は、あんたの後ろの方が稼げる」
【コメント】ゲイリー、時間で使い分けてる
【コメント】昼はお嬢、夜は工業区
【コメント】勤務表か
*
港寄りの長屋の並びは、まだ古かった。
瓦の欠けた屋根。すきまの空いた板壁。戸口ごとに、色の違う暖簾。潮の匂いと、干物を焼く煙が、通りの真ん中で混ざっていた。
どの軒先にも、小さな日傘が下がっていた。
戸口のひとつが、開け放たれていた。
土間の奥で、腰に手ぬぐいを下げたお爺さんが、柱の前にしゃがみ込んでいた。小さな男の子が、柱に背中をぴったりつけて立っている。お爺さんが、男の子の頭の上に、小刀で、浅い傷をひとつ入れた。
「……ほれ。また伸びた」
「どれくらい?」
「指一本ぶん」
男の子は柱から離れて、振り返った。
傷は、ひとつではなかった。柱の中ほどから上へ、古い傷が、梯子のように並んでいた。そのずっと下に、新しい傷が、短い梯子をもう一本作っていた。
【コメント】柱の傷
【コメント】背比べだ
【コメント】いいな、こういうの
【コメント】このじいちゃん、広場で小夜ちゃんに頭下げてた人じゃね
【コメント】孫の手引いてた人だ
お爺さんが、こちらに気づいた。
腰を伸ばして、目を細めた。
「おや。……日傘の。小夜ちゃんの、友達だろう」
「ええ。九条院瑠璃華と申しますわ」
「知っとるよ。下町で知らん者はおらん」
お爺さんは、少しだけ笑った。それから、軒先の人形を、顎で示した。
「うちにも、ほれ、あんたを吊るした。……撃たないでおくれ」
「撃ちませんわ。わたくし、悪い方しか撃ちませんもの」
「そうかい。そりゃ、ありがたい」
【コメント】撃たないでおくれ、が軽い
【コメント】怖がってるっていうより、冗談だな
【コメント】小夜ちゃんの友達、で通じてる
*
お爺さんは、柱の傷を、下からひとつずつ、指でたどった。
「下の方のは、こいつの。上の方が、倅のだ。十五年前に船を降りて、ここに越してきた。そのとき、倅の背を最初に刻んだ」
「まあ。船を」
「漁師だったのさ。四十年。……網の縄は、ずっと、坂の上の雑貨屋で買っとった。小夜ちゃんの、ばあさんの店だ」
お爺さんは、柱に手をついたまま、遠くを見るような目をした。
「一度な、ばあさんが縄の値を上げた。わしは腹を立てて、意地で三日、買いに行かなかった。四日目に、しかたなく行ったら――」
「お値段が、下がっておりましたのでしょう?」
お爺さんの指が、柱の上で止まった。
「……なんで、知っとる」
「帳面に、書いてございましたもの。小夜さんのおばあさまの」
わたくしは、日傘を閉じた。
「『縄の値を上げたら、漁師の源さんが三日来なかった』。次の頁で、お下げになっておりましたわ。小夜さんが、読んで聞かせてくださいましたの」
【コメント】あ
【コメント】源さん!
【コメント】店じまいの日の、帳面の人だ
【コメント】このじいちゃんが源さんか
【コメント】ばあちゃん、ちゃんと書いてた
お爺さんは、しばらく、何も言わなかった。
柱についた手のひらが、傷の梯子を、上から下へ、ゆっくりと撫でていった。
「……書いてあったか」
低い声だった。
「わしのことが。あのばあさんの、帳面に」
「ええ。……お待ちになっていたのですわ、きっと」
お爺さんは、鼻の下を、手ぬぐいでこすった。
それから、わざとらしく大きな声で、男の子の頭をかき回した。
「ほれ見ろ。じいちゃんは、帳面に載るほどの客だったんだぞ」
「なにそれ」
「偉いってことだ」
【コメント】泣いてるだろ、じいちゃん
【コメント】手ぬぐいで鼻こすってる
【コメント】NPCのじいちゃんの昔話、よくできてるな
【コメント】よくできてる、で済ますな
【コメント】四十年分の縄だぞ
【コメント】ばあちゃん、値下げして待ってたのか
*
男の子が、わたくしのドレスの裾を、そっと引いた。
「おねえさん、はかる?」
「まあ。よろしいの?」
お爺さんが、小刀を構え直した。
「客人の背を刻むのは、初めてだがね」
わたくしは、柱に背中をつけた。
背中に、木の感触があった。十五年分の傷の、細かな凹凸だった。
頭の上で、かり、と小さな音がした。
柱から離れて、振り返る。古い梯子のいちばん上より、指二本ぶん下に、新しい傷がひとつ増えていた。
「お嬢さんは、もう伸びないね」
「ええ。わたくし、これで完成しておりますの」
【コメント】w
【コメント】完成品
【コメント】柱に、お嬢の背丈が刻まれた
【コメント】家族の柱に混ざってて草
【コメント】倅、孫、お嬢
【コメント】じいちゃん、手震えてたぞ
お爺さんは、小刀をしまいながら、新しい傷を見上げた。
「……ばあさんの帳面に、わしが載って。わしの柱に、あんたが載ったか」
「まあ。お揃いですわね」
「お揃いか。……そうだな」
男の子が、わたくしの傷と自分の傷のあいだを、背伸びして手で測っていた。届かなかった。
「明日は朝から、こいつと市だ。背が伸びた祝いに、飴を買ってやる約束でね。……あんたも、気が向いたら寄っておくれ。茶ぐらい出す」
「お茶でしたら、喜んで」
*
戸口を出ると、三歩後ろで、ゲイリー様が待っていた。
柱の方を、ちらりと見て、それから、そっぽを向いた。
「……ずいぶん長居したな」
「ご招待を、いただきましたもの」
通りの先の、市の入口に、男の方がひとり、梯子をかけていた。
門柱に、真新しい紙を一枚、貼っている。墨の色が、まだ乾ききっていなかった。
――旅の方、お断り。
【コメント】あ
【コメント】市にまで
【コメント】旅の方、ってプレイヤーのことだろ
【コメント】日傘お断り、の次は、俺ら全員お断り
【コメント】工業区の件が効いてる
わたくしは、貼り紙を見上げた。
「まあ。わたくしは、旅の方ではございませんもの」
ゲイリー様が、鼻を鳴らした。
【コメント】いや旅の方だろ
【コメント】拠点あるからセーフ理論
【コメント】お嬢の中では下町の人なんだな
【コメント】住んでる人の方は、そう思ってないぞ




