第164話閑話 撃ってないのに
☆ 人形を配った男視点 ☆
籠を渡されたのは、五日前だった。
港の倉庫街の入り口の、格子窓の店だ。賭け札を、銭に替える店。
ダブクロの賭けで負けて、借金の数字が視界の端から消えなくなって、呼び出しの通知が来た。窓口に行けってだけ書いてあった。
格子の向こうに、痩せた男が座っていた。腕に、俺と同じ金色のサイコロの布。布の端が擦り切れて、色が抜けかけていた。
「仕事」
男は、格子の下から、籠をひとつ押し出した。
蓋を開けると、黄色い毛糸の頭が、いくつも覗いていた。日傘を差した、小さな人形。
「撃たれないお守り。ただで配る。軒に吊るしてもらえ。断られたら、自分で吊るせ」
「お守り、って」
「お嬢様のお許しは、いただいてる。……聞かれたら、そう言え」
男の声は、平らだった。天気の話をするみたいな声だった。
「吊るし終えたら、残りの払いが入る。それで、今月の分は、なかったことにしてやるって」
籠を持ち上げた。
思ったより、少しだけ重かった。人形ひとつひとつが、手のひらに、ずしりと座る。
「砂か何か?」
男は、答えなかった。帳面に何か書きつけて、顔を上げなかった。
「中は、見るな。……見たら、運べなくなる」
見なかった。借金の数字が、視界の端で、赤く光っていた。見ないで済むなら、その方がよかった。
*
お守りは、思っていたより、よく受け取ってもらえた。
工業区の連中は、日傘の女を嫌っていた。門にも扉にも、「日傘、お断り」の紙が貼ってあった。その紙の上に、日傘の女の人形を吊るしてくれと言うと、最初はみんな、変な顔をした。
撃たれないお守りです、と言うと、変な顔のまま、受け取った。
怖いものは、怖いものの形をしたお守りで追い払う。そういうもんなんだろう、と思った。
今日の昼すぎは、運河沿いの倉庫の軒に掛けていた。梯子の上で。
「ごきげんよう。お仕事、ご苦労さまですわ」
下から、声がした。
日傘だった。金色の、くるくるの髪。人形と、同じ顔。本物だった。
梯子が揺れた。籠を抱え直して、半分飛び降りて、走った。人形が一つ、籠からこぼれたのは分かった。拾いに戻る気には、なれなかった。
夕方、こっそり見に戻った。
人形は、梯子のいちばん下の段に、ちょこんと座らされていた。小さな日傘の向きが、きちんと直してあった。
*
帰りに、最後の一つを吊るした。
倉庫の並びの裏手の、職人の長屋だった。瓦の欠けた、古い長屋。戸口のおかみさんは、黙って鉤を指さした。背伸びして、引っかけた。
籠が、空になった。
日が落ちる前に交換所へ行ったら、窓口の男は、帳面に何か書きつけただけだった。残りの払いは、まだだった。
代わりに、噂を聞いた。今夜、五つ目の鐘に、日傘の女が運河沿いの倉庫でお茶会をやる。倉庫の荒らしが出る晩に。
見に行くことにした。
自分の顔を見て逃げた男が見に来るとは、向こうも思わないだろう。橋の上は見物でいっぱいになるから、俺は、橋のたもとの、石段の陰にいればいい。
*
五つ目の鐘が、港の方から渡ってきた。
橋の上から、日傘の女の声が、三十を数え終えた。
白が、来た。
倉庫の並びが、消えた。その向こうの工場も、煙突も、長屋も。全部が、いっぺんに、内側から光った。音が、少し遅れて、運河の底から来た。石段が、足の下で震えた。
光が引いたあと、視界の端に、文字が浮いていた。
――賞金首に指定されました。
その下に、赤い数字。
意味が、分からなかった。
気がつくと、橋のたもとの白い石畳に、膝をついていた。声が、勝手に出ていた。なんで、俺に。撃ってない、俺は、何も。頭の上を、両手で払った。何も、払えなかった。
撃ったのは、日傘の女だ。橋の上にいた。弓は、背中に背負ったままだ。今夜は、一本も引いてない。
橋の石段を、毛皮が駆け下りてきた。
*
白い路地を、走った。
さっきまで赤煉瓦だった壁が、どこまでも白かった。継ぎ目がない。曲がり角が、どこにあるのか分からない。手をついた壁が、つるりと冷たかった。
すれ違ったプレイヤーが、みんな、俺の頭の上を見て、それから俺の顔を見た。
気がつくと、見覚えのある路地にいた。
夕方の、長屋だった。白くなっていた。瓦も、欠けた屋根も、なかった。継ぎ目のない白い壁に、硝子の窓が、縦に並んでいた。
軒下に、しゃがみ込んだ。
息が、整わなかった。足音は、ひとつ向こうの路地を、行ったり来たりしていた。
頭の上で、何かが、かすかに揺れていた。
鉤だった。
夕方、人形を引っかけた鉤だけが、白い軒に、残っていた。人形は、なかった。
……落ちたのか。
足もとを見た。白い石畳の上には、何も落ちていなかった。
*
路地の出口の向こうから、声がした。
橋の上で見物していた連中が、ぞろぞろと帰っていくところだった。
「倉庫しか撃ってないのに、全部いっぺんに光ったぞ」
「最近、お嬢が撃つとこ、外れがないよな。前は、白くならないとこもあったのに」
「で、札がついたのが、サイコロの布の連中だって」
「判定ミスだろ」
「問い合わせたって、どうせ、仕様です、で終わりだ」
笑い声がした。
仕様です。
俺の頭の上の数字も、たぶん、仕様なんだろう。
*
襟首を、掴まれた。
後ろから、太い指だった。軒下から、片手で、ずるりと引き出された。
熊みたいな毛皮の男だった。賞金稼ぎだ。ゲイリー、って呼ばれてる。
「……放せよ。俺、何もしてない」
「札がついてる」
ゲイリーは、俺の頭の上を見上げた。
しばらく、見ていた。
「……お前、撃ってねえだろ」
低い声だった。
「撃ってない。……見てたんだろ、橋の上から」
「見てた」
ゲイリーは、それきり、黙った。
襟首を掴んだ指は、ゆるまなかった。
「札は、札だ」
それだけ言って、俺を引きずって、歩きだした。
*
運河沿いの、小さな詰所だった。
ここも、白くなったばかりだった。継ぎ目のない白い壁の、小さな部屋。机がひとつ。壁に、黒い板。板の上に、賞金首の名前と罪状と金額が、白い光の文字で並んでいた。俺の名前も、あった。
ゲイリーは、机の前に俺を座らせると、衛兵から札の分の銭を受け取って、黙って出ていった。
年配の衛兵が、帳面を開いた。
「罪状。爆発物による、区画の損壊」
「撃ってない」
「知っとる。だから、軽い」
衛兵は、帳面の上で指を滑らせた。
「お前の名前は、端っこに載っとるだけだ。区画まるごとの分を、お前ひとりに背負わせる決まりは、ない。……それでも、これだけは払ってもらう」
示された数字は、確かに、小さかった。
小さかったけれど、俺の所持金より、大きかった。
宙に手をかざして、持ち物の窓を開いた。数字が、すっと減って、ゼロになった。
足りない分の欄に、牢の日数が出た。四日。
借金の数字は、変わっていなかった。
*
牢は、詰所の奥の、窓のひとつある石の部屋だった。
格子の窓から、運河沿いの通りが見えた。通りの向こうに、白くなった職人の長屋の並び。そのうちの一軒の軒に、見覚えのある鉤があった。
鉤は、空だった。
寝台に横になった。眠れなかった。目を閉じると、橋の上から降ってくる、三十の声がした。
*
朝になって、格子の窓の外が、明るくなった。
起き上がって、通りの向こうを見た。
長屋は、白いままだった。戸口から、おかみさんが出てきて、白い壁を見上げていた。
軒の鉤に、人形が、揺れていた。
黄色い毛糸の髪。小さな日傘。昨日の夕方、俺が引っかけたのと、同じ向きで。
長屋の並びの、どの軒にも、同じ人形が、同じように揺れていた。
ゆうべは、なかったのに。
格子を握ったまま、しばらく、それを見ていた。
あと、三日。この窓から、あの軒を見ていることになる。




