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悪辣非道お嬢様配信 ~わたくし、お嬢様道を実践しているだけですの~  作者: 白い鴉


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163/172

第163話うつるもの、でございますの?

 朝の工業区には、金槌の音がしなかった。


 錆びた鉄の橋を渡ると、運河の向こうは、どこまでも白かった。継ぎ目のない壁。縦に並んだ硝子の窓。昨日まで煙突が立っていたあたりの空が、ぽっかりと広かった。


【コメント】おはよう

【コメント】一晩たっても白い

【コメント】煙が一本も上がってない

【コメント】工業区って、こんなに空が広かったのか


 白い戸口の前に、職人の方々が集まっていた。

 昨日まで、いちばん大きな工場だったところだ。代わる代わる、戸口の中を覗き込んでは、黙って首を振っていた。


「……炉が、ねえ」


 誰かが、ぽつりと言った。


「炉も、金床も、ふいごも、ねえ。真っ白な部屋だ。……今日から、何を打ちゃいいんだ」


【コメント】炉がない

【コメント】工場が、ただの白い箱

【コメント】家なら住めばいいけど、工場は仕事場だもんな

【コメント】何を打てば、は重い


 職人頭の方が、白い壁の前に立っていた。


 金槌を、振り上げた。白い壁を、こつん、と叩いた。

 それから、もう一度。もう少し強く。


 音が、しなかった。

 金槌の頭が、白い壁の上で、ただ止まった。


「……鳴らん」


 職人頭の方は、金槌を下ろした。


「この壁は、わしが積んだ。積んだときは、叩けば鳴った。……鳴り方で、どこが弱っとるか、分かったもんだ」


【コメント】……

【コメント】鳴らない壁

【コメント】自分で積んだ壁だもんな

【コメント】職人だから分かるんだな、違いが


 職人頭の方が、こちらを振り返った。

 わたくしの日傘を見て、それから、わたくしの顔を見た。


「……うつるんだ。あんたと一緒に」


 わたくしは、首を傾げた。

 それから、岸の縁まで歩いて、運河を覗き込んだ。


 黒い水に、白い壁と、日傘を差したわたくしが、並んで映っていた。


「まあ。本当に、よくうつりますのね。この運河」

「そっちじゃねえ」

「では、どちらの、うつるもの、でございますの?」


 職人頭の方は、口を開けて、閉じた。

 それきり、背を向けた。


【コメント】www

【コメント】映る、じゃない

【コメント】病気みたいに言われてるのに、鏡の話で返した

【コメント】わざとだろ、これは

【コメント】職人頭、言い返す気力が尽きた


   *


 橋のたもとで、荷車の荷をほどいている方がいらした。


 紺の上着の袖を、肘までまくっていた。古い金床が二つ。ふいごが一つ。錆びた火ばさみが、何本も。どれも、下町の、白くならずに残った鍛冶場から借りてきたものらしい。


 鈴村さんだった。


 職人の方々の何人かが、金床の前に集まってきた。職人頭の方は、来なかった。少し離れたところから、腕を組んで、荷車を見ていた。


「炉が戻るまでは、下町の道具で、ご辛抱を」


【コメント】串屋の旦那、ここでも動いてる

【コメント】この前、頭下げて断られた相手に、道具持ってきてる

【コメント】寝てないだろ、絶対

【コメント】代表、ほんとに大変だな


 鈴村さんは、金床を一つ下ろし終えると、手の甲で額を拭った。

 それから、わたくしに気づいて、いつものように、穏やかに頭を下げた。


「おはようございます、九条院様。昨夜は、ちょうど鐘の刻でございましたね」


 鈴村さんは、ふいごの口を、荷車の縁にそっと立てかけた。


「……お茶会の主には、お会いになれましたか」

「いいえ。お見えになりませんでしたわ」


 わたくしは、日傘を、少しだけ傾けた。


「お忙しい方なのでしょうね」

「……さようでございますか」


 鈴村さんは、もう一度、頭を下げて、火ばさみの束を抱え上げた。


【コメント】お茶会の主、来なかったもんな

【コメント】呼び出すだけ呼び出して

【コメント】罠の主を「お忙しい方」で片付けた

【コメント】旦那も心配してくれてるのか

【コメント】心配っていうか、代表の仕事だろ


   *


 三歩後ろで、ゲイリー様が、指を折っていた。


「……昨夜、札が五つ。倉庫の連中で三つ、布の連中で二つ」

「まあ。お疲れさまでございました」

「布の連中は、安い。……撃ってねえ奴の札は、安い」


 ゲイリー様は、それきり、何も言わなかった。

【コメント】ゲイリー、なんか引っかかってる顔

【コメント】撃ってねえ奴の札は安い

【コメント】賞金首の判定、やっぱりおかしいよな

【コメント】運営「仕様です」


   *


 橋を渡って、下町へ戻った。


 坂の下手の、白い壁の長屋の前を通ったときだった。

 戸口の前で、おかみさんが二人、声を潜めて話していた。わたくしに気づくと、ふっと口を閉じた。


 ひとりのおかみさんの手に、小さな日傘の人形が、ひとつ、握られていた。

 軒先の鉤には、もう、ひとつ吊るしてあった。


 わたくしが通り過ぎると、背中で、また声が始まった。


「……工業区まで、うつったって」

「次は、こっちだよ。まだ古いとこが、残ってるもの」


【コメント】下町まで噂が来てる

【コメント】次はこっち、か

【コメント】人形、二つ目吊るそうとしてる

【コメント】一個じゃ足りないと思ったんだな

【コメント】効くと思ってるんだよな、あれ


 坂のいちばん上の、空き店の扉は、昨日の朝と同じだった。

 札が一枚。その下の、木目の奥に、一画目の薄い跡。


 坂の下から、また誰かが、軒先に人形を吊るす音がした。小さな鉤が、かちり、と鳴った。


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