第161話お手紙でのお招きは、久しぶりですわ
翌朝、坂の上の空き店の前に、石がひとつ、転がっていた。
拳ほどの丸い石だった。紙が一枚、紐で巻きつけてある。夜のうちに、どなたかが置いていかれたらしい。
三歩後ろで、ゲイリー様が、坂の上と下を見回した。誰もいなかった。
わたくしは、石を拾って、紐をほどいた。
今宵、五つ目の鐘。運河沿いの倉庫にて、お茶会を。
日傘の方を、お待ちしている。
小さく、几帳面な字だった。
【コメント】おはよう
【コメント】投げ文
【コメント】鐘の刻
【コメント】炭問屋のときの紙と、同じ書き方だな
【コメント】運河沿いって、昨日職人頭が言ってたとこ
【コメント】罠だろ
【コメント】罠以外の何物でもない
「……罠だな」
ゲイリー様が、低く言った。
「ええ。きっと、そうですわね」
わたくしは、紙を、丁寧に四つに畳んだ。
「でも、お手紙でのお茶会のお招きですもの。近ごろ、お手紙をくださる方は、とんと少なくなりましたわ。……お返事をしないのは、お嬢様の作法に反しますの」
【コメント】行く気だ
【コメント】作法の問題にした
【コメント】上で「お招きなら、まずお手紙を」って言ってたもんな
【コメント】本当に手紙で来ちゃった
【コメント】差出人、お嬢の扱い分かってる
ゲイリー様は、しばらく、わたくしの顔を見ていた。
「……倉庫の連中に、札がついてりゃ、俺がもらう」
「ついていなければ?」
「あんたの好きにしろ」
*
お昼を過ぎてから、もう一度、運河を渡った。
お茶会の前には、会場を拝見しておくものだ。どこにお席があって、どなたがいらして、お庭からは何が見えるのか。お招きくださった方に、恥をかかせるわけにはまいりませんもの。
【コメント】下見
【コメント】お茶会の下見(倉庫)
【コメント】律儀すぎる
【コメント】罠の会場を下見に行くのは律儀なのか
運河沿いの倉庫の並びは、昼のあいだは静かだった。
黒ずんだ赤煉瓦の倉庫が、十棟ほど、肩を並べている。どの扉にも、大きな錠前。どの軒先にも、昨日より多くの、小さな日傘の人形。
いちばん奥の倉庫の門の脇で、お爺さんがひとり、腰かけに座って、角灯の煤を拭いていた。
「ごきげんよう」
「……ああ。日傘の」
お爺さんは、わたくしの日傘を見上げて、少しだけ身構えた。それから、角灯を膝に置き直した。
「ここの夜番さ。……荒らしの連中が来たって、わしひとりじゃ、どうにもならんがね。見てるだけだ」
「毎晩、こちらに?」
「毎晩だ。五つ目の鐘が鳴ったら、ここに角灯を下げる。三十年、そうしてる」
「まあ。三十年も」
お爺さんは、門柱の上の鉤を、顎で示した。煤で真っ黒になった鉤だった。
「今夜も、ここだよ。……あんたが来るなら、なおさら、見てなきゃならんしな」
【コメント】夜番のじいちゃん
【コメント】三十年
【コメント】今夜も、ここにいるって
【コメント】……お嬢、今、何を確かめた?
【コメント】考えるな
わたくしは、門柱の鉤を見上げた。
「それでは、今宵、改めて。お邪魔いたしますわ」
*
倉庫の並びを戻る途中で、若い方がひとり、梯子にのぼっていた。
腕に、金色のサイコロの布を巻いていた。梯子の上で、倉庫の軒先の鉤に、小さな人形を、ひとつ、またひとつと掛けている。背負った籠の中には、まだ、黄色い毛糸の頭が、いくつも覗いていた。
梯子の下で、わたくしは足を止めた。
「ごきげんよう。お仕事、ご苦労さまですわ」
梯子が、ぐらりと揺れた。
若い方は、わたくしの日傘を見下ろして、顔から血の気を引かせた。籠を抱え直すと、梯子を半分飛び下りるようにして、倉庫の陰へ走っていった。
籠から、人形がひとつ、こぼれて落ちた。
【コメント】逃げた
【コメント】配ってる連中、お嬢の顔見ると逃げる
【コメント】お許し出てないの、分かってるんだろ
【コメント】倉庫にまで吊るしてるのか
【コメント】倉庫も撃たれたくないんだな
【コメント】倉庫が人形吊るして何になるんだよ
【コメント】持ち主が吊るさせてるんだろ
わたくしは、石畳の上の人形を拾い上げた。
手のひらに載せると、思っていたより、少しだけ重かった。布の中に、何か、固いものが詰めてあるらしい。
「……まあ。中身が詰まっておりますのね」
【コメント】重いの?
【コメント】綿じゃなくて砂とかじゃね
【コメント】風で回りすぎないようにだろ
【コメント】ちゃんと作ってある
【コメント】骨は足りてないけどな
わたくしは、人形の日傘の向きを、指先で直した。それから、梯子のいちばん下の段に、そっと座らせた。
「お届けものですもの。お届け先に、お返ししておきますわね」
*
橋を渡って振り返ると、運河沿いの軒先という軒先で、小さな日傘が、夕方の風にくるくると回っていた。
工場の門にも。倉庫の扉にも。職人の方々の長屋の戸口にも。
――日傘、お断り。
貼り紙の、すぐ上で。
三歩後ろで、ゲイリー様が、鼻を鳴らした。
「……あんたが嫌いなくせに、あんたばっかり吊るしてやがる」
「嫌われるのは、慣れておりますわ。吊るされるのは、初めてですけれど」
【コメント】w
【コメント】吊るされるのは初めて
【コメント】言い方
澄んだ音がひとつ、頭の上で鳴った。
光の足場を蹴って、白い装甲が、橋の欄干に降りた。スタロ様だった。兜の目のあたりが、夕日を受けて、細く光っていた。
「……こっちにいたのか」
「ごきげんよう、スタロ様。お探しの方は、見つかりまして?」
「まだだ。けど、東の長屋の婆さんが、その名前に心当たりがあるって。今夜なら、昔の帳面を出してくれるらしい」
スタロ様は、欄干の上にしゃがんで、運河沿いの軒先の人形を、ひとつずつ目で追った。
「……今夜、東へ行く。やっと、手がかりになるかもしれねえ」
「まあ。わたくしも今宵は、お茶会にお招きいただいておりますの。運河沿いの倉庫で、五つ目の鐘に」
兜が、こちらを向いた。
「……投げ文か」
「ええ。お手紙でしたわ」
スタロ様は、しばらく黙っていた。兜の奥で、何かを量っているような沈黙だった。
「……刻が、重なる」
「存じておりますわ。ですから、どうぞ、東へ」
【コメント】スタロ、迷ってる
【コメント】手紙か、お嬢か
【コメント】いや、迷うとこだろ。ずっと探してたんだぞ
【コメント】お嬢、どうぞって言った
【コメント】指さす人がいない晩になる
スタロ様は、欄干から立ち上がった。
「……今夜は、数えなくていい。どうせ、来れねえからな」
「まあ。よろしいの?」
「よくはねえ。……余計なのは、巻き込むなよ」
光の足場が、ひとつ、鳴った。
白い装甲は、東の空の方へ、跳んでいった。
【コメント】行った
【コメント】数えなくていい、って言った
【コメント】スタロが許可出した
【コメント】余計なのは巻き込むな、って難しい注文
【コメント】お嬢に一番向いてない注文だろ
【コメント】今夜の五つ目の鐘、見に行く奴いる?
【コメント】行く
【コメント】橋の上ならセーフだろ、たぶん




