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悪辣非道お嬢様配信 ~わたくし、お嬢様道を実践しているだけですの~  作者: 白い鴉


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157/172

第157話配信を、お切りいたしますわ

 三日後の朝は、よく晴れていた。


 日向雑貨店には、もう何も残っていなかった。縄も、糸も、値札の板も。壁に、棚の形だけが、日焼けの跡になって残っている。

 帳場の上に、小さな旅の鞄がひとつ、置いてあった。


【コメント】おはよう

【コメント】今日か

【コメント】店、空っぽ

【コメント】棚の跡だけ残ってる

【コメント】鞄、小さいな


 小夜さんは、帳場の内側に立っていた。いつもの前掛けは、していなかった。襟の詰まった、旅の上着を着ていた。


「おはよ。……ちょっと待ってて」


 帳場の下から、湯を沸かす小さな炉と、白い磁器の茶杯が二つ出てきた。それから、見覚えのある缶がひとつ。


「これ、瑠璃華が買ったお茶。……お客さんの品だけど、淹れていい?」

「どうぞ。わたくしのお茶ですもの。わたくしのお友達が淹れて、何の不都合がございまして?」


 湯の沸く音だけが、空の店に響いた。

 小夜さんは、茶葉に湯を注いで、待った。わたくしがいつもやるのと、同じ手順だった。


【コメント】最後のお茶会

【コメント】今日は小夜ちゃんが淹れてる

【コメント】お嬢が最後に買ったやつか

【コメント】泣く


 帳場を挟んで、二人で、立ったまま飲んだ。

 少し、渋かった。小夜さんも一口飲んで、顔をしかめた。


「……蒸らしすぎた」

「ええ、ほんの少し」

「瑠璃華は、いつも、もっと上手だよね」

「練習いたしましたもの。小夜さんも、向こうで練習なさいまし」


 小夜さんは笑って、茶杯を置いた。

 置いた手を、帳場の上で、きゅっと握った。


「瑠璃華」

「はい」

「……配信、切って」


【コメント】え

【コメント】切るの

【コメント】ここで?

【コメント】いや、いい。切ってやれ

【コメント】泣くとこ見せたくないんだろ


 わたくしは、小夜さんの顔を見た。それから、視界の端の文字の流れに目を向けた。


「皆様。少しだけ、お休みをいただきますわ。すぐに戻ってまいりますから」


 配信を、切った。


   *


 文字の流れが消えると、店の中は、思っていたよりずっと静かだった。


 小夜さんは、上着の襟もとをくつろげて、指を入れた。細い鎖が引き出されて、その先で、小さな飾りが朝の光を受けて揺れた。

 留め金を外す。帳場を回って、わたくしの前に来る。わたくしの手を取って、手のひらを上に向けさせて、その上に、首飾りを置いた。


 鎖は、小夜さんの体温で、まだ温かかった。


「おばあちゃんの」

「……存じておりますわ」

「行きたかった場所に、わたしが行くから。この子を、わたしが守ってなくても、いいの」


 小夜さんは、首飾りの上から、わたくしの手を、両手で包んだ。


「わたしだと思って、大切にしてね」


 声が、最後のところで、揺れた。

 ひとつ、落ちた。追いかけるように、もうひとつ。小夜さんは、わたくしの手を包んだまま、顔を伏せた。


 何か、申し上げなければ、と思った。

 言葉が、ひとつも出てこなかった。手のひらの中で、わたくしの指が、勝手に鎖を握り込んでいた。


 空いている方の手で、ドレスの隠しから手巾を取り出して、小夜さんの頬に当てた。それが、精いっぱいだった。


「……あとね」


 小夜さんが、手巾の下で鼻をすすった。


「わたしが見てると思って。……めちゃくちゃなこと、ちょっとは、控えてね」

「……ちょっとは、控えますわ」

「ちょっと?」

「ちょっと、ですわ」


 小夜さんが、泣きながら吹き出した。

 手巾で目を押さえたまま、肩を揺らして笑う。笑い終わると、ごしごしと、自分で顔を拭いた。


「……よし」


 顔を上げたときには、もう泣いていなかった。目のふちが赤いだけだった。


「これ、返すね」

「差し上げますわ。船の上で、また要るかもしれませんもの」

「要らないよ、もう」

「でしたら、振る物にでもお使いなさいまし」


 小夜さんは、手巾を、旅の鞄の口に押し込んだ。


   *


 わたくしは、ドレスの隠しから、貝殻を張った小さな箱を取り出した。

 蓋を開けると、指輪がひとつ、収まっている。上で頂いた、普段使いにはしない贈り物。その隣に、首飾りを、そっと置いた。


「……つけないの?」

「大切なものは、しまっておくものですわ」


 蓋を閉じて、小箱を隠しに戻す。その上から、手のひらを一度だけ当てた。

 小夜さんは、それを見て、うん、と頷いた。


「それなら、なくさないね」


 小夜さんは、旅の鞄を手に取った。


「帳面の最後の頁は、内緒のまま、行くね」

「ええ。お聞きいたしませんわ」


 扉の前で、小夜さんは立ち止まった。

 木目の奥の、一画目の、薄い黒い跡。その上を、人差し指で、上から下へ、一度だけなぞる。


 それから、誰もいない棚の方を振り返って、小さく何か言った。

 わたくしには、聞き取れなかった。


 扉を押すと、頭の上で、小さな鈴が鳴った。


 小夜さんの背中が、坂の明るさの中へ出ていった。扉が、ゆっくりと戻って、閉じた。

 窓の硝子の向こうで、旅の鞄を提げた背中が、坂を何歩か下りて、空を見上げていた。


 空の店に、わたくしは一人だった。


 隠しから小箱を出して、蓋を開けた。首飾りをつまみ上げて、窓の光にかざした。

 小さな飾りが、ひとつ、瞬いた。


 小箱の中の指輪と、同じ光り方をしていた。


「……やっぱり」


 指輪をいったん持ち上げて、その下に、首飾りを寝かせた。指輪を、上に戻した。

 蓋を閉じる前に、鎖の端を、指先で一度だけ撫でた。


「私が、ちゃんと持ってるから」


 蓋を閉じて、扉を押した。鈴が、もう一度鳴った。


   *


 坂に出たところで、配信を戻した。


【コメント】おかえり

【コメント】戻った

【コメント】……小夜ちゃん、目、赤い

【コメント】でも笑ってる

【コメント】何も聞かないでおこう

【コメント】お嬢、いつもの顔してる


「お待たせいたしましたわ、皆様」


 わたくしは、日傘を開いた。


「さあ、参りましょう。お見送りは、笑顔でございますわ」


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