↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪辣非道お嬢様配信 ~わたくし、お嬢様道を実践しているだけですの~  作者: 白い鴉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
158/172

第158話お見送りは、笑顔でございますわ

 空の船は、上層の島々のいちばん外れの桟橋に、横付けされていた。


 連絡艇の何倍もある、白く長い船だった。帆も櫂もない。腹の下に、浮き石の青い光が、ゆっくりと脈打っている。甲板の手すりの向こうには、雲しかなかった。その雲の、ずっと向こうへ行く船だった。


【コメント】でかい

【コメント】上のさらに向こう行き

【コメント】乗り場、人少ないな

【コメント】朝の便だからか


 鈴村さんが、乗り場の係の方と、硝子の板を挟んで話していた。

 話が済むと、鈴村さんは、薄い紙を一枚、小夜さんに差し出した。


「乗船の札です。行き先は、こちらに。……私と、船の方しか、存じません」

「ありがとう、鈴村さん。……いろいろ」

「いいえ。道中、どうか、お気をつけて」


 鈴村さんは、深く頭を下げた。

 顔を上げたとき、その目が、ほんの一瞬だけ、小夜さんの襟もとに落ちた。


 わたくしは、日傘を、ほんの少しだけ傾けた。白いレースの縁が、鈴村さんの目と小夜さんの襟もとのあいだに、下りた。


【コメント】串屋の旦那、最後まで世話焼いてる

【コメント】お嬢、小夜ちゃんに日陰作ってる

【コメント】行き先、本当に二人しか知らないのか

【コメント】お嬢、絶対あの札覗くなよ

【コメント】覗かないだろ、たぶん

【コメント】たぶん(二回目)


 ゲイリー様が、小夜さんの旅の鞄を、桟橋の昇降口の前まで運んで、下ろした。

 小さな鞄だった。ゲイリー様の手には、ほとんど何も持っていないように見えた。


「……ほらよ」

「ありがと。番も、荷物も」

「日当はもらってる」

「お金出したの、瑠璃華でしょ」

「だから、礼は、あっちに言え」


 ゲイリー様は、それきり、そっぽを向いた。

 そっぽを向いたまま、言った。


「札のつかねえとこで、元気でやれ」


 小夜さんは、笑って、頷いた。


   *


 光の足場の音がして、白い装甲が、桟橋の端に降りた。


 スタロ様だった。今朝は、東の長屋へ寄ってから、ひとつあとの連絡艇で上がってきたらしい。

 スタロ様は、小夜さんの前に立って、しばらく黙っていた。


「……困ったら」


 言いかけて、止まった。


「……いや」


 兜が、少しだけ、うつむいた。


「困るな。……困らないで、いろ」

「うん。スタロも」


 小夜さんは、スタロ様の装甲の、腕のところを、軽く叩いた。

 スタロ様は、何も言わずに、一歩、下がった。


【コメント】スタロ……

【コメント】困らないで、いろ

【コメント】不器用すぎる

【コメント】届かないって分かってるから言えないんだ


 乗り場の柱の陰に、背負子を背負った人影があった。


 灯台の丘の石段の下で、瓶を並べている薬売りの方だった。わたくしと目が合うと、小さく頭を下げた。それから、小夜さんの方へ、ためらいながら歩いてきた。

 何も、おっしゃらなかった。


 薬売りの方は、小夜さんの手に、紙を一枚、そっと載せた。値札くらいの、小さな紙だった。

 小夜さんが、表を読んだ。


 ――また、縄を買いに行きます


 小夜さんは、紙を裏返そうとした。

 薬売りの方が、その手を、首を振って止めた。


 それから、空の船を指さした。

 あちらで、と言っているようだった。


 小夜さんは、紙を、裏返さないまま、胸の前で握った。


「……うん。あっちで、読む」


【コメント】薬屋さん

【コメント】声、出ないんだよな、あの人

【コメント】裏、何か書いてあるのか

【コメント】船の上で読めって

【コメント】ずるい、それはずるい


   *


 昇降口の前で、小夜さんが、わたくしの方を向いた。


「瑠璃華」

「はい」


 小夜さんは、何か言おうとして、口を開けた。

 それから、閉じた。もう一度、開けた。


「……次に会うとき、瑠璃華が今よりもっと有名になってたら、笑う」

「あら。わたくし、今でも十分に有名ですわ」

「悪名でね」


【コメント】w

【コメント】悪名でね

【コメント】最後までそれ

【コメント】否定はしないのな


 小夜さんは、笑った。

 わたくしも、日傘の下で、笑っていた。


「いってらっしゃいませ、小夜さん」

「いってきます」


 小夜さんは、昇降口の段を、上った。

 一度だけ、振り返った。わたくしは、日傘を高く上げて、振ってみせた。


 昇降口が、閉じた。


 空の船が、音もなく、桟橋を離れた。

 白い腹が、ゆっくりと雲の上へ滑り出していく。甲板の手すりに、小さな人影がひとつ、寄りかかっていた。

 片手に、小さな紙を握っていた。もう片方の手の先で、白いものが、ひらひらと揺れていた。


【コメント】何か振ってる

【コメント】ハンカチ?

【コメント】白いの振ってる


 わたくしは、日傘を振り続けた。


 船が、小さくなった。雲の切れ間に入って、白い点になった。

 白い点が、雲の白に、溶けて見えなくなった。


 それでも、しばらく、振っていた。


【コメント】……

【コメント】行った


 わたくしは、日傘を、閉じた。


「皆様。本日の配信は、これにて失礼いたしますわ」


 視界の端の文字は、もう、ほとんど流れていなかった。わたくしは、読まなかった。


「ごきげんよう」


   *


 ヘッドギアを外すと、天井が、昼の光で白かった。


 枕元の台に、マグカップが置いてあった。朝、ログインする前に淹れたコーヒーが、すっかり冷めていた。

 私は、仰向けのまま、天井を見ていた。


 手のひらに、まだ、細い鎖の重さが残っている気がした。そんなはずはなかった。ヘッドギアの向こうのものは、こちらには持ってこられない。分かっている。


 分かっているのに、手のひらを、開けなかった。


 喉の奥から、何かが、こみ上げてきた。

 止めようと思った。止める理由が、見つからなかった。


 枕に顔を押しつけて、私は、泣いた。


 声を出して泣いたのは、いつ以来だろう。思い出せなかった。

 窓の外で、どこかの子どもが笑っていた。冷めたコーヒーの匂いがしていた。


「……いってらっしゃい」


 誰もいない部屋で、もう一度だけ、言った。


   *


 次の日、拠点から日向雑貨店へ向かうと、扉に、木の札が一枚、下がっていた。


 ――空き店


 墨の、きちんとした字だった。小夜さんの字ではなかった。

 誰が下げたのかは、分からなかった。


 札の下の、木目の奥に、一画目の薄い跡が、まだ残っていた。

 わたくしは、その前で、日傘を差したまま、少しのあいだ立っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。