第154話閑話 裏まで、読んでくれた人
☆ 露店の薬売り視点 ☆
坂の上で、また白い光が上がったのは、昼過ぎだった。
灯台の丘の石段の下からでも、音は聞こえた。わたしは、瓶を並べていた手を止めて、台の端に配信の窓を開いた。
白くなった坂。店の三歩手前で途切れた、古い石畳。扉の前にしゃがんで、たわしを握っている雑貨屋の子。
帳面を開いた。
開いて、何も書けなかった。
*
次の日の夜、掲示板を読んだ。
512:名無しのエバー民
坂の下手の長屋の人ら、今日の昼過ぎに、撃たれたその場で戻ってきたって
513:名無しのエバー民
戻ってきて、何て言ってた
514:名無しのエバー民
「あの子の友達に、撃たれた」
515:名無しのエバー民
そりゃそうなる
516:名無しのエバー民
撃ったのはお嬢だろ
小夜ちゃん、こすってただけだぞ
517:名無しのエバー民
>>516
NPCから見たら、そこは同じなんだよ
あの子の店の前で、あの子の友達が、あの子のために撃った
で、撃った跡は、あの子の店の三歩手前まで真っ白
518:名無しのエバー民
で、今日から店の前に、熊の毛皮が座ってる
519:名無しのエバー民
ゲイリーな 用心棒らしい
520:名無しのエバー民
組は出ていけ、って書かれてた長屋と、同じ絵になってきた
521:名無しのエバー民
ゲイリーは善意だと思う
思うけど、外から見たら最悪だ
522:名無しのエバー民
評議会、明後日からだって あの子の件、議題に上がるんじゃね
523:名無しのエバー民
最初に通り道の話を書いたやつ、今どう思ってんだろうな
わたしは、五二三番を、三回読んだ。
返事は、ついていなかった。
誰も、返事をつけなかった。それで、その一行は、すぐに次の書き込みの下に沈んでいった。
三百十四番は、わたしだ。
白くなった場所を並べて、全部が雑貨屋の子の通り道の上にある、と最初に書いたのは、わたしだった。
名前は、出していない。知っているのは、わたしだけだ。
場所が重なっている、というだけです。誰かを疑っているわけではありません。わたしは、そう書いた。書いたことは、本当だった。
本当のことを並べただけで、こうなった。
*
翌朝、坂を上った。
店を出す前に、台も瓶も置いたまま、背負子だけで上った。坂の下手の通りは、店の三歩手前まで、白かった。白い壁の長屋の窓は、どこも布が引かれていた。
日向雑貨店の扉は、きれいになっていた。
ほとんど、きれいになっていた。
近くまで行くと、板の木目の奥に、一画だけ、黒い線が残っているのが見えた。遠くからでは、たぶん見えない。
店の前の石の脇に、熊の毛皮が座っていた。
腕を組んで、目を閉じていた。眠っているように見えた。わたしが近づくと、片目だけが開いた。
わたしは、立ち止まった。
毛皮の人は、わたしの顔を見て、背負子を見て、それから、片目を閉じた。
通っていい、ということらしかった。
扉を押すと、小さな鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
帳場の中から、声がした。
雑貨屋の子は、わたしを見て、少しだけ目を丸くした。それから、笑った。上手な笑い方ではなかった。
「……ひさしぶり。薬屋さん」
棚は、半分空いていた。
空いていない方の半分に、見慣れない木箱がひとつあった。上の封がついていた。
わたしは、縄をひと巻きと、携帯食を一つ、帳場に置いた。
雑貨屋の子は、それを包みながら、言った。
「帰ってきてから、お客さん、初めて」
わたしは、何か言おうとした。
喉の奥で、声が消えた。いつものことだ。口が、言葉の形に開いただけで、何も出てこなかった。
ごめんなさい、と言おうとしたのだと思う。
言えなかった。言えなかったことに、少しだけ、ほっとしていた。それが、いちばん嫌だった。
*
包みを受け取ってから、帳場の脇の値札の束に、目が行った。
わたしは、帳面から一枚破いて、ペンを出した。
――縄、ありがとう。また来ます。
裏には、何も書かなかった。いつもなら、裏に全部書く。今日は、書けることがなかった。
それだけ書いて、帳場に置いた。
雑貨屋の子は、紙を手に取って、表を読んだ。
それから、ひっくり返した。裏は、白かった。
白いのを確かめてから、もう一度、表に戻して、笑った。今度は、さっきより、少しだけ上手だった。
裏まで、読もうとしてくれた。
「字、やっぱり、きれいだね」
わたしは、頭を下げて、店を出た。
熊の毛皮の人は、もう目を閉じていた。
坂を下りながら、帳面を開いた。今日の頁に、書く。
――雑貨屋の子。帰ってきてから、お客さん、初めて、と言った。
――扉の一画目。近くでしか見えない。
それから、もう一行、書こうとして、やめた。
書いたことは、消さない。だから、書けないことは、書かない。
坂の下手で、誰かが、戸を閉める音がした。




