第153話お店の番は、お任せいたしますわ
日が傾いてから、蛍光の光の線が、坂の上に降りてきた。
光の足場が、ひとつ、またひとつ、宙で灯って消えた。最後の一枚を蹴って、スタロ様が、店の前の石畳に着地した。
東の方角からだった。
【コメント】スタロ
【コメント】今ごろ
【コメント】東から帰ってきた
【コメント】爆発、気づいてなかったのか
【コメント】聞き込みに夢中だったんだろ
スタロ様は、着地したまま、しばらく動かなかった。
白くなった坂を見ていた。店の三歩手前から下が、継ぎ目のない白に変わった通りを。それから、扉を見た。半分ほど薄くなった墨の字と、その前にしゃがんでいる小夜さんの背中を。
最後に、わたくしを見た。
兜の奥で、何か言うのかと思った。
何も、おっしゃらなかった。
スタロ様は、桶の脇に置いてあった、もうひとつのたわしを拾った。小夜さんの隣に、片膝をついた。
「……やる」
「うん」
小夜さんは、手を止めずに言った。
「そっち、お願い。下の方」
スタロ様は、頷いて、扉の下の方の、小さな字をこすりはじめた。
【コメント】断らなかった
【コメント】朝は断ったのに
たわしの音が、二つになった。
わたくしは、日傘を差して、二人の背中を見ていた。
しばらくして、スタロ様が、手を動かしたまま言った。
「東の長屋で、手紙の宛名を知ってる人がいた」
小夜さんが、ちらりと横を見た。
「昔、そう呼ばれてた爺さんがいたって。……ずいぶん前に、いなくなったらしい。どこへ行ったかは、誰も知らない」
「手紙の人?」
「たぶん」
それだけ言って、スタロ様は、また字をこすった。
【コメント】手紙の宛先
【コメント】手がかり、あったのか
【コメント】でも、いなくなってる
【コメント】下町で、誰も居場所を知らない爺さん
日が沈むころ、扉の字は、ほとんど見えなくなっていた。
ただ、「出ていけ」の一画目だけが、板の木目の奥に、薄く、黒く残っていた。
*
翌日の昼前、熊の毛皮が、坂を上ってきた。
ゲイリー様は、白い石畳を上ってきて、店の三歩手前の、白と古い石の境目で一度立ち止まり、それから、店の前まで来た。
扉を見た。一画目の、薄い跡を。
「……おい」
「いらっしゃいませ」
帳場の中から、小夜さんが言った。いつもの声に、少しだけ近かった。
「客じゃねえ」
ゲイリー様は、帳場の小夜さんを見て、すぐに目を逸らした。それから、頭をがりがりと掻いた。
「下町にゃ、碌な札が残ってねえ。安いのを三枚狩ったら、それで終わりだ。……で、暇になった」
「うん」
「だから」
ゲイリー様は、坂の下の方を、顎でしゃくった。
「店の番、いらねえか」
【コメント】は
【コメント】ゲイリー
【コメント】用心棒の申し出
【コメント】暇だからって言い方
【コメント】絶対、暇だからじゃない
小夜さんは、帳場の上で、手を止めた。
「……うち、お客さん、来ないよ」
「来ねえから、要るんだろ」
小夜さんは、何か言い返そうとして、口を閉じた。
「まあ」
わたくしは、帳場の脇から、一歩出た。
「お店に、用心棒の方。素敵ですわ。……お代は、わたくしがお出しいたしますわね」
「……あんたが?」
「ええ。わたくし、このところ、少々、懐が温こうございますの」
【コメント】お嬢が雇い主
【コメント】懐が温かい理由、だいたいゲイリーの取り分
【コメント】上で吹っ飛ばした賞金首の分な
【コメント】ゲイリーの稼ぎを横取りした金で、ゲイリーを雇う
ゲイリー様は、わたくしの顔を、長いこと見ていた。
それから、深く息を吐いた。
「……日当は、相場でいい」
「よろしいのですか」
「三倍払うのは、俺の方の決まりだ。もらう方は、相場でいい」
ゲイリー様は、店の前の、水を撒く石の脇に、どかりと腰を下ろした。
小夜さんが、帳場から、呆れた顔で見ていた。
「……勝手に決めないでよ」
けれど、追い返しはしなかった。
【コメント】決まった
【コメント】小夜ちゃん、断る元気もない
【コメント】日向雑貨店、用心棒つき
*
ゲイリー様が座り込んで、ほどなくして、鈴村さんが、上の封のついた木箱をひとつ抱えて、白い坂を上ってきた。
「小夜さんのお店にも、お分けいたします。上の、茶葉と、乾いた果物です」
「……ありがとう」
小夜さんは、木箱を受け取って、半分空いた棚を見た。
「置いても、誰も買いに来ないけど」
鈴村さんは、店の前のゲイリー様と、白くなった坂とを見た。
「評議会は、明後日から始まります。最初の席は、下町の方々だけで。……お店のことは、どうか、ご無理をなさらないでください。続けるのも、閉めるのも、小夜さんがお決めになることですから」
小夜さんは、木箱の蓋に、手を置いたまま黙っていた。
「船は、いつでも出ます」
鈴村さんは、そう言い添えて、軽く頭を下げた。
坂を下りていく紺の上着を、小夜さんは、見送らなかった。棚の、空いたところを見ていた。
わたくしは、扉の一画目の、薄い黒い跡を見た。
昨日より、少しだけ、薄くなっている気がした。




