第148話保証人の方が、お帰りになりますもの
朝の桟橋で、スタロ様が、白髪まじりの運転士の方から、封書を一通受け取っていた。
わたくしと小夜さんが待合所に着いたときには、話はもう済んでいたらしい。運転士の方は、帽子をかぶり直して、自分の艇の方へ歩いていくところだった。
スタロ様は、桟橋の端に立ったまま、手の中の封書を見下ろしていた。
【コメント】おはよう
【コメント】出発の日
【コメント】スタロ、何かもらってる
【コメント】昨日の、渡してほしいもの?
【コメント】手紙か
わたくしは、日傘を差して、スタロ様のそばまで歩いていった。
「おはようございます、スタロ様。お手紙ですの?」
「……ああ」
スタロ様は、封書を少しだけ傾けて見せた。
古い紙だった。角が、何度も手でこすられたように丸くなっている。表には、宛名がひとつだけ書いてあった。所は、どこにも書いていなかった。
「宛名だけで、届きますの?」
「届かないから、俺に頼んだんだと」
スタロ様は、封書を、装甲の胸の内側にしまった。
「昔、あのおっさんが世話になった人らしい。何年も前に、下町のどこかに引っ込んだって聞いたきりで、どこに住んでるのかは知らないって」
「まあ。下町にいらっしゃるのに、どなたもご存じないのかしら」
「さあな。……探す」
それだけ言って、スタロ様は、桟橋の端に腰を下ろした。
昨夜と同じ場所だった。けれど今朝は、両足を、雲の上には投げ出していなかった。
【コメント】宛名だけの手紙
【コメント】下町のどこかに引っ込んだ人
【コメント】スタロ、探す気だ
【コメント】人探しは得意そう
【コメント】下町の人、スタロにはなんでも話すしな
*
昼の鐘が鳴った。
桟橋の脇の、ひとかじり欠けていた白い石の縁が、ゆらりと歪んだ。
欠けた石の縁と一緒に、鉄の帯を巻いた木箱が、三つ。昨日、横取りしようとした方々と一緒にわたくしがお片付けした箱が、桟橋の板の上に、ごとりごとりと戻ってきた。
待ち構えていた紺の制服の方々が、すぐに駆け寄った。蓋を確かめて、頷き合う。
【コメント】戻った
【コメント】金の配達、一日遅れで到着
【コメント】だから配達って言うな
【コメント】これで銀行、開くんだろ
【コメント】決まった額まで、な
紺の制服の方の一人が、待合所の前で声を張り上げた。
「本店は、本日、これより払い戻しを再開いたします! お一人さま一日あたり、決まった額まで! 銀行の島行きの艇は、こちらから!」
待合所に詰めていた方々の半分が、いっせいに立ち上がった。
残りの半分は、下町行きの便を待つ方々だった。その中の何人かが、窓際の長椅子の小夜さんの方を、ちらちらと見ていた。
「……また、あの子だ」
「金が戻る時刻に、また桟橋に」
「帰るだけでしょう、今日は」
小夜さんは、膝の上で背負子の紐を握ったまま、窓の外の連絡艇を見ていた。
役所の島から戻った鈴村さんが、白い札を懐に、待合所の長椅子の端に腰かけていた。
*
熊の毛皮が、待合所の戸口に現れたのは、そのすぐあとだった。
ゲイリー様は、肩に何も担いでいなかった。懐から、手配書の束が、少しはみ出していた。
ゲイリー様は、まっすぐ鈴村さんの前まで歩いてきて、足を止めた。
「代表。世話になった」
「いえ、こちらこそ」
「俺は、上で頑張る」
ゲイリー様は、懐の手配書の束を、ばしんと叩いた。
「上は、手配書の額が違う。昨日で、二つ取れた。下に戻ったら、また安い札しかねえ。……だから、残る。嬢ちゃんたちは、気をつけて帰れ」
【コメント】ゲイリー、残るのか
【コメント】手配書の額が違う
【コメント】上で稼ぐ気だ
【コメント】ちょっと寂しいな
【コメント】見送る側の顔してる
鈴村さんは、少しのあいだ、ゲイリー様の顔を見ていた。
それから、いつもの穏やかな声で言った。
「ゲイリー様。上でのゲイリー様の保証人は、私でございます」
「……おう。だから、礼を」
「乗り場の審査のとき、係の方が、保証人は同行者の行いにも責を負う、と。……私が下へ戻りますと、ゲイリー様は、同行者ではなくなります。上には、いられません」
待合所が、しんとした。
「……は?」
「聞いてねえ」
「係の方が、はっきりと。ゲイリー様は、膜の向こうで、運賃の板をご覧になっておりましたが」
【コメント】wwww
【コメント】保証人が帰ったら、いられない
【コメント】そりゃそうだ
【コメント】審査のとき、運賃の板見てて聞いてなかった
【コメント】一貫してる
【コメント】「俺は、上で頑張る」返して
ゲイリー様は、懐の手配書の束を見下ろした。
束の上で、昨日の受取の紙が二枚、ひらひらと揺れていた。
「……乗る」
「はい。お席は、ご用意してございます」
鈴村さんが、連絡艇の方を手で示した。
ゲイリー様は、手配書の束を懐に押し込みながら、のしのしと昇降口の方へ歩いていった。
小夜さんが、窓際の長椅子で、背負子の紐を握ったまま、小さく吹き出した。
上へ来てから、二度目の笑い方だった。
*
連絡艇の中は、思っていたより狭かった。
窓際に小夜さん。その隣にわたくし。通路を挟んで、鈴村さんと、腕を組んで目を閉じたゲイリー様。いちばん後ろの席に、白い装甲が、窮屈そうに膝を折って座っていた。
「……スタロ様も、ご一緒ですのね」
「見張りだ」
【コメント】昨日言ってたやつ
【コメント】見張り(いちばん後ろの席)
【コメント】全員そろって帰る
【コメント】よかった
昇降口が閉まる直前、ゲイリー様が身を乗り出して、白い街に向かって怒鳴った。
「いつか正面から乗り込んでやるからな! 覚悟してろよ!」
「ゲイリー様」
鈴村さんが、穏やかに言った。
「そういうことを、大声でおっしゃらなければ、評判もじきに落ち着きましょう。そうすれば、保証人なしでも、正面から上がれるようになりますよ」
ゲイリー様は、口を開けたまま、昇降口から首を引っ込めた。
【コメント】殴り込み予告にしか聞こえない
【コメント】正面からって、正規にって意味だよな?
【コメント】たぶん
【コメント】それを大声で言うから審査に通らないんだよ
【コメント】鈴村さん、正論しか言わない
昇降口が閉まって、艇が、桟橋を離れた。
窓の外で、白い石の街が、ゆっくりと上の方へ遠ざかっていった。硝子の塔。島から垂れる滝。役所の島の三本の塔。
桟橋の端に、帽子を手にした運転士の方が立っていた。
こちらに向かって、帽子を、一度だけ振った。
いちばん後ろの席で、白い装甲が、胸の内側を、片手でそっと押さえていた。




