第147話下へは、ご一緒に参りますの?
夜の桟橋は、昼の騒ぎが嘘のように静かだった。
つながったばかりの先端に、連絡艇が横付けされたまま、白い腹を灯りに浮かべていた。衛兵の方々の張った縄は、もう外されている。待合所の硝子の向こうで、番の方が一人、帳面に何か書きつけていた。
島と島のあいだの空には、星と、ネオンの色が、半分ずつ混じっていた。
【コメント】こんばんは
【コメント】夜の桟橋
【コメント】昼にあれだけあったのに、誰もいない
【コメント】お嬢、どこ行くの
桟橋のいちばん端に、白い装甲が腰かけていた。
両足を、雲の上に投げ出していた。装甲の光の線は、昼と同じように暗いままだった。
【コメント】スタロ
【コメント】ずっとここにいたのか
【コメント】配信、昼から切ってる
【コメント】寝ろって
わたくしが板の上を歩いていくと、兜が、少しだけこちらへ動いた。
それから、また雲の方へ戻った。
「……何か用か」
「ええ。小夜さんに、お伝えするよう言われましたの」
わたくしは、スタロ様の隣に、日傘を閉じて立った。
「今日の午後、役所で、決まりがひとつできましたのよ。罰を受けた方には、同じ件で、重ねて罰を与えない。牢に入った方は、牢で償う」
兜が、こちらを向いた。
「……十二人も、か」
「牢にいらっしゃる方は、皆様そうですわ」
「スターグリントが、出てくるのを待ってても、か」
「ええ。英雄の方であっても、ですって」
スタロ様は、しばらく、動かなかった。
それから、兜が、ゆっくりと下を向いた。
投げ出していた足を、片方、桟橋の上に引き上げた。膝に、腕を乗せた。
長いこと、そのままだった。
【コメント】スタロ……
【コメント】ずっとそれ考えてたんだな
【コメント】決まりができたの、お嬢の一言からなのに
【コメント】本人、それ言ってない
【コメント】言わないんだ
【コメント】というか、たぶん自分の手柄だと思ってない
「……どこから、出てきたんだ。その決まり」
「尊敬するお方の、お言葉からですわ。……わたくしが、少しだけ、お伝えいたしましたけれど」
兜が、こちらを向いた。
何か言いかけて、やめた。昼の桟橋で、一度だけ振り返ったときと、同じ間だった。
今度は、やめたままには、ならなかった。
「……ありがとな」
わたくしは、首を傾げた。
「何のお礼ですの?」
「いい。分からなくていい」
スタロ様は、膝の上の腕に、兜を乗せた。
装甲の光の線が、ほんの少しだけ、明るくなった気がした。
【コメント】言えた
【コメント】昼は言えなかったやつ
【コメント】何のお礼ですの?(本気)
【コメント】分からなくていい、で済ませるスタロ、大人
【コメント】線、ちょっと明るくなった
*
「それで、スタロ様」
わたくしは、雲の向こうの、ずっと下の方を見た。下町の灯りは、ここからは見えなかった。
「明日のお昼の便で、わたくしたち、下へ戻りますの。小夜さんも、鈴村さんも。……スタロ様は、こちらにお残りになるのかしら」
「……残るつもりだった」
スタロ様は、桟橋の向こうの、牢のある島の方を見た。
「牢の前に、俺が立ってるつもりで。……けど、決まりができたなら、俺がいなくてもいい」
「ええ」
「それに、下にも、直しきってないものがある。東の長屋も、北の長屋も。上に来てから、ずっと放ってある」
兜が、少しだけ持ち上がった。
「帰る。明日の便で」
【コメント】帰るって
【コメント】よかった
【コメント】下にスタロいないの、正直不安だった
【コメント】長屋のこと、ずっと気にしてたんだな
【コメント】ヒーローが帰ってくる
「まあ。では、下へは、ご一緒に参りますのね」
「……お前が下に帰るなら、なおさらだ」
「まあ」
「俺がいなくても、お前は三十数えて撃つだろ」
「ええ。スタロ様がいらっしゃらなくても、お約束どおり、ちゃんとお待ちいたしますわ」
「それが困るんだよ」
【コメント】それな
【コメント】待ってから撃つから困る
【コメント】見張りに帰るヒーロー
【コメント】正直すぎる
*
板を踏む音がして、振り返った。
待合所の方から、白髪まじりの方が、帽子を手にして歩いてきた。罷業の日に、空でスタロ様に受け止められた、あの運転士の方だった。昨日、わたくしたちを役所の島まで乗せてくださった方でもある。
運転士の方は、スタロ様の顔、というより兜を、しばらく見ていた。
「……兄ちゃん。明日、下へ帰るのか」
「ああ」
「そうか」
運転士の方は、帽子を指で回した。
何か迷っているような回し方だった。
「明日の朝、出る前に、ちょっと寄ってくれ。……頼みたいことがある」
「頼み?」
「下町で隠居してる、昔の知り合いに、渡してほしいもんがある。それだけだ」
それだけ言って、運転士の方は、帽子をかぶり直して、待合所の方へ戻っていった。
【コメント】おっさん
【コメント】罷業の日の
【コメント】昨日も、役所の島まで乗せてくれた人
【コメント】渡してほしいもの?
【コメント】何だろ
スタロ様は、運転士の方の背中を、黙って見送っていた。
それから、雲の方へ向き直って、また両足を投げ出した。
「お休みなさいまし、スタロ様」
「……もう少ししたら、寝る」
わたくしは、日傘を開いて、桟橋を引き返した。
背中で、光の足場を蹴る音はしなかった。




